( 疑問符 ) ( 2018.4.3. 記 )
[ 芸人のする“弄り”の真似から始まる、子供間の“苛め”問題に直面してる、総ての教育関係者への公開状 ]
『 うつぎれい イジリ → イジメ問題の解決方法 未成年者の芸人的な“弄り”行為そのものを、未成年者の飲酒や喫煙や無免許運転と同じく、ちゃんと法律で禁止しなければならない 』
Copyright 2018.4.3. by うつぎれい
何故なら未だ分別の無い未成年者には“弄り”は余りにも危険過ぎる心理的凶器であるからだ。
本来的に言えばあのような大人向けの話芸テクニックを、未成年者の観てる時間帯のテレビが普通に放送してる事自体が、あたかも子供にポルノ映画を平気で見せてるのにも等しいのである。 そのことの有害さに全く気付いてないテレビ関係者の如何に多いことか。 まさに呆れるばかりである。
テレビで芸人のやってる“イジリ”とは、相手をその場の“空気”で威圧して、その反応の仕方を、対峙する相手との上下関係や人気度 ・美醜度 ・強弱関係 ( 無論その背景にある過去の人間関係や義理を踏まえての ) などによって、不自然な合わせ反応となるよう強いるものである。
それは、悪く言えば 「 ヤクザの上下関係での忖度 」 や 「 SM 関係下にある男女 の駆け引き言 」 にも近い ( 変質して歪んだ ) 人間の反応様式である。
それは 「 個性差によってバラつく筈の喜怒哀楽 」 を基本的に許さず、集団原理や力関係に合わせて屈服させ、整列させる …という、古い大人社会が脱却出来ない 「 悪しきフォーム 」 そのものである。
今のバラエティ番組というのは、いわば変態芸人とスレっ枯らし芸人の仕切る 「 坩堝 」 の如きものであり、そんな異様な世界を幼い頃から普通に観て育ってる子供たちは、恐らく教育的に 「 前代未聞の酷い環境に置かれてる 」 子供たちに違いないのである。
テレビで芸人のやってる“イジリ”は ( イジられる側の 「 イジられて何ぼ 」 という金銭的補償有っての ) 恐らくその戯画化なのだろうが、未熟で実際の社会経験も無い子供が模倣すると、金銭的補償も無く、限度もわきまえられないから、“ 行動 → 感情 ”原理で暴走が始まって止められなくなってしまう。
だからそれは、未だ世の中に出てもいない未成年者 ( 特に子供 ) が安易に見聞きして模倣して良いようなものでは全然無く、今のテレビはまさしく子供に SM 系や凌辱受容系の AV を平気で見せてるのにも等しいのである。
その呆れるばかりの ( 主にテレビ局の ) 無神経さの結果が、教室内での“イジリ → イジメ”現象の蔓延になる …と分析するしかない。
それを強制的にでも止める肝心な事 ( 法制化 ) をしないでいるから、その年齢と経験故に“弄り”の限度を一応わきまえてる大人とは違って、際限も無く集団で暴走してしまう未熟な子供たちの間に、全く制御の利かない“弄り”ならぬ“苛め”の暴走的連鎖反応が起きて蔓延してしまってるのである。
それを裏付けるかの如くに、今の日本の子供社会での 「 苛め問題 」 は、テレビの芸人によるいわゆる“イジリ”の ( 模倣から始まる ) イジメのドミノ現象的な蔓延である …とは、実際の教育関係者からも多々聞こえて来る。 ( 但し彼らは、それを止める方法を持ち合わせていない。 )
まさにそうなのだろう。 それ故に子供たちはラインやメールを絶えずチェックし、返信を遅れずに返し、自分が他のコと違って目立ったりしないように、常にみんなと同じように行動し反応しようとする。 それに失敗すると自分が“イジメ”の対象にされるからだという。
元々が集団主義の傾向を持つ日本の社会では、座り方や箸の持ち方ひとつに至るまで口うるさく言って整列させ、個性を認めない 「 管理こそ正義 」 的な雰囲気が強い為、それがそのまま集団での“正義 = 突っつき”にと変化するらしい。 そして子供たちが面白半分に始めるイジリは、その“突っつき”の無用な切っ掛けを絶え間なく提供するから、彼らは気の休まる暇が無くなる。
が、そのような“イジリ”の模倣は 「 子供には危険だから未成年者には禁止されてる 」 …と、未だ社会と法律が言っては呉れないのである。 子供がお酒やタバコやクルマの運転をしては駄目 …というのと同じような法律が、本当は絶対に必要だというのに、そのことに気付いてる大人が誰も居ないのである。
するとつまりコレは、テレビや日常で世の大人が 「 飲酒や喫煙や運転やパチンコや AV を観てる 」 …等を知った子供たちが、それを真似して同じ事をしたら叱られる …というのと全く同じような基本的な決まり ( 法律 ) を、日本社会の中に大急ぎでちゃんと作る必要が絶対にある …という事なのである。
それが有れば、そのようなテレビ芸人の間の“弄り”を模倣して緊迫状況を作り出す事自体が、未だその手加減の分かってないホンの子供が 「 大人の真似をしてる事 」 その事自体が、子供のやっちゃイケナイ悪い事だ …と大人が子供にちゃんと教えられるようになるからである。
[ 欧米では確か普通にそうなってる筈だが、( 子供たちを真っ直ぐ育てるために ) 大人にしか受け止められない種類の笑いやイジリは、ポルノと同じ扱い ( 成人指定枠 ) であり、子供が観てる時間には決して放送出来ない。 大人にとってそうしたものが如何に面白可笑しく映るにしてもである。 日本のテレビ各局の良識の無さと無責任さは、恐らく 「 世界的にも厚顔無恥 」 なのに違い無いのである。 ]
それは、子供が大人の真似をしてお酒を飲んだり、煙草を吸ったり、車を運転したりしたらイケナイのと同じように、「 未だ大人では無いのに大人の ( それも芸人がテレビでウケを狙って ) してる“弄り”を真似してはイケナイのだ 」 とちゃんと教えられるようにする為に必要なのである。
( 法律が無ければ、多くの大人は、「 どうして真似しちゃいけないの? 」 に恐らく反論出来ない。 )
だからこそ、そう教える為の拠り所としての法律が、先ずは最初に存在しなければならない。
この事は本当に大声で言わなければならない。
オトナの芸人のやってる悪質で人の悪い“イジリ”を、子供が真似する事自体を禁止する法律が、明らかにいま直ちに必要なのである。
テレビで芸人のやってるイジリ方を形で覚えて、ホンのまだ子供が口先で大人をやり込める。
( クレヨンしんちゃんの物言いや、最近出て来た父娘漫才のやり取りが、大人や親を口先で馬鹿にする言い回しを覚えた大量の子供たちを、梅雨時のカビのように無用に大発生させてるだろう事は、恐らく間違い無いのである。 )
それが当たり前の光景である社会が、果たしてマトモな社会だろうか?
今の日本は、たとえ僅かにでも視聴率さえ上がればそれで良いテレビ局の果てしない堕落と事勿れと批判精神無き媚びのせいで、首相も政権政治も官僚も報道も経済も教育も医療も、そしてこの社会の世相までもが、ことごとく規律の無いロクでもないものにと変わり果ててしまってる。
この延長線上になどマトモな日本社会は無いだろう。
だから何処かでちゃんと、歯止めを掛けなければならないのである。
文責 うつぎれい
|