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  うつぎれい 『 株式投資とは何か? 』 

( 株式投資という非事業投資 )




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この標語部分のみ 2024 年に改稿
ハメルンの笛吹きならぬ日本政府とメディアの笛にのせられて
うっかり NISA を始めてしまう前に しっかり読んでおこう
新進気鋭の論者 うつぎれい の明晰な分析が
株式投資の本当の意味とメディア解説の乱麻を断つ!
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株式投資という非事業投資

これ以前の論考

公開株式投資による出資

経営支配権?

株価と実態との乖離

株主優待制度

第二稿

第一稿 株式の流通と偽投資 ( 初稿 )




 株式投資 新時代。
 「裸の王様」の国・日本。
 こんなこと誰も、ちゃんと教えてくれない。
 知ってる人みんなが、隠そうとしている!
 目からウロコの真実。

 …ではナゼそれを隠すのか?

 知ってると知らないでは大違い

 これを読めば、あなたの投資行動は全く変わってしまうかも知れない!

---新進気鋭の論者うつぎれいの明晰な分析が株式投資の意味とメディア解説の乱麻を断つ---

 株式投資 初心者 必見!
 いちどシッカリ読んでおけば
 あとでバカを見ずに済みます
 もうよく知ってると思ってる方は
 ショックを受けたくなければ
 読まないほうがいいでしょう
 ( どうせもう簡単には抜けられないでしょうから )




『 株式投資とは何か? 』
( 株式投資という非事業投資 )

Copyright 2002 by うつぎれい
Web を含めて不許複製





株式投資という非事業投資 = 純然たる賭博行為

[ 要約 ]
株式投資は賭博のようなモノなのではなく、純然たる賭博行為です。
公開株への投資は企業の事業資本として必要な訳でも、事業資金としてそれが機能する訳でもありません。
株式投資は唯、企業の収益をネタにして、それを横目で見ながら隣で打たれている博打…に過ぎないのです。
そのリターンは企業の上げた収益に依っているのではなく、株をいま高値で買った人の、将来の損失によって支えられてるだけです。
つまり完全なゼロサムゲームなのであって、本質的にはマルチ商法 ( ネズミ構 ) と全く同じ仕組み ( 構造 ) なのです。
公開企業の事業は本来、公開株に誰も ( たったの1円も ) 投資しなくても成立します。
株式投資とは「小金持ち」や「中金持ち」を“株価”によって踊らせ、「超大金持ち」の餌食にして、長期的にはその殆どを“意図的に仕掛けた大暴落”によって貧乏人にしてしまう、極めて巧妙な仕掛けなのです。
株式投資はまた、小金持ちや中金持ちのお金を「本当の事業」には投資させずに、無意味な博打に使わせてしまってそれが活きないようにする為の、世界規模の足枷であり、マヤカシでもあります。
詳しく知りたい方は、是非、この後の文章を ( 長いけど全部 ) 読んでみて下さい。
ちゃんと自分のアタマで考えてこの文章を読んでゆけば、きっと本当のことが分かるでしょう。

公開株にこれまで投資されたよりずっと少ない金額でも、
それが賭博への投資でなく、本当の事業に対するまともな「直接投資」に向かうなら、
この社会はきっと、もっとずっと活気に溢れた、前向きなものになります。
私たちは株式投資なんていうペテンに、何時までも騙されていてはいけないのです。
むろん総てを分かった上でバクチ打ちになりたいのなら、どうぞご自由に…と申し上げるしかありませんが。



[ 以下本文 ]
株式市場とは、公開された企業の株に沢山の人が今使わないお金を突っ込んで、皆で顔色を窺いながら ( 駆け引きして ) そのお金を取り合うゲームをしている場所です。
株式投資とは、そこに賭け金としてのお金を突っ込むことです。

株式市場に投資された総てのお金は、実は "株の人気投票" ダービーの賭け金としてだけ "投資" されていて、 "賭け" の分配金以外には一切使われません。

その "賭け" は各銘柄企業の業績や動向をダシにしていますが、その企業自身にはたったの1円も渡りません。

何故ならそれは企業の事業には全く何の関係も無い、完全な公開ギャンブルに過ぎないからです。


公開株の株主になって書き換えをし、株主優待なんていう事をされたりすると、多くの人々は完全に錯覚を起こしてしまい、自分はあの会社の "資本" の一部を担う株主であると考えてしまいます。

でも実はそれは全然そうではありません。

株式を公開している全ての会社は、最初に会社が創業した時に資本金を出した人々と、増資をしたときに直接最初に新株を引き受けた相手 ( 大抵これは証券会社です ) の出資したお金を原資として運営されています。

株式会社の資本金というものは誰でも知ってるように、一度受け入れた以上は、その会社が解散しない限り、誰にも返す必要がありません。

返す必要が無いのですから、最初から最後までその会社はその資本金を自己資金として活用し続けます。

いちばん最初にその会社を始める為に出資した人たちは、途中でお金を返してもらう訳にはいきません。

その人たちが、もし途中でお金が必要になって別の人にその株主の権利だけを ( 証拠書類と一緒に ) 売り渡してしまったとしても、その会社の資本金はあくまでもその人たちの出したものです。

元々途中で返す必要が無くて、しかも最初に会社を始めた頃に ( 例えば商品試作などの為に ) とっくに全部使ってしまっていた筈の、その "資本金" そのものを、何年も経ってただ公開株を買っただけの人たちが、一体どうやって "肩代わり" できると言うのでしょう?

公開された後で当初の株主たちが株を売ろうと売るまいと、会社の資本金には全く何の影響もありません。

もう1度はっきりと言っておきます。

株式市場に上場公開された会社の株式を買った株主は、多くの個人投資家がしばしば勘違いしているように「その企業の事業活動資金の一部を投資したり、その会社の資本金を支えたりしている」訳では全くありません。

仮にその会社の創業社長が公開に際して株を手放し、その手放した株の株主になれたとしても、その購入時価に相当するお金は、基本的に創業社長個人に渡るのであって、企業の運営資金に回る訳ではありません。

証券会社を通して公開市場で好きな企業の株を買った総ての株主たちは、株式市場という賭博場 ( 競馬・競輪・競艇のどれかと同じように公開された賭博場 ) の場外馬券売場 ( 証券会社 ) の窓口で、勝ちそうな本命や穴馬の代わりに ( 業績を上げそうで人気の上がりそうな ) 会社を選んで ( その時の社長がつまり騎手です ) 、その株式証券 ( という馬券 ) に "投資" した ( =賭けた ) だけなのです。

つまり或る銘柄 ( 会社名 ) の企業が、株式市場という人気度を競うだけのレース ( 本来は業績を競う筈なのですが必ずしも一致はしません ) で、「さーて皆さん、果たしてこの会社は現在よりもっと人気が出るでしょうか? それともその反対でしょうか? さあ、あなたはこの会社の人気がこれからどんどん上がるとは思いませんか?」と言われて、「これは人気が上がりそうだ」と思う人たちが集まって来ます。

そうして、そのレースの賭け金 ( 参加料 ) がその全員から集められるのです。

この参加料 ( つまり賭け金 ) というのが、その株の投資金額なのです。


■「事業投資」と「株式投資」と「株価投資」の違い

ですから「友達が株式会社を興すというのでそれに出資して、その会社の株式を最初から持ってる」…という本来の "投資" と、上場して公開された企業の株に "株式投資してる" …というのでは、その意味が全く異なっています。

その会社やその会社の事業に対して "投資" したと言えるのは、最初の創業時や途中での "増資" に際して、その会社の依頼に対して直接 "出資" した人々だけなのです。

その人たちがその "出資" の証拠書類である「株」を誰かに譲渡した時から、 "投資" という言葉の意味または対象が変わってしまいます。

最初の出資者たちは、その企業と、その企業の行なう事業に対して "投資" したのですが、株を2番目以降に譲り受けた人たちはそうではありません。

それは、その企業とその企業の行なう事業に "投資" したのではなく、ただ配当のつく "株" に "投資" しただけなのです。

それでももし、そうして2番目以降に株を譲り受けた人が、その株をそのままずっと持ち続けて、その持ち主の権利である「配当」だけで満足しているのなら、少しリスクの付いた預金を株の形でしている…といったようなものです。

株の成功者として有名な、ウォーレン・バフェット氏の投資は、これにかなり近い…と言えるでしょう。

株価は下がりさえしなければよく、別に上がらなくても構わないのです。

しかし多くの場合、株を買う人の目的はそうではなく、株価の値上がりを狙っています。

つまりそうした人達は ( 配当の付く )「株」に "投資" してるのではなく、( 上がるだろう )「株価」の方に "投資" してるのです。

結局この場合、株の人気度レースという博打の、参加するための「参加料」・「賭け金」・「入場料」として自分のお金を "投資" した ( つまり賭けた ) ということになります。


この人気度レースでの人気度というのは、本来はその会社の実績によって決まるべきなのですが、現実にその人気度を決めているのは、この賭けに参加する人たちが "どの瞬間に、どれだけ沢山" このレースに参加料 ( つまり "賭け金" ) を出すか? …という、完全なタイミング・ゲームになってしまっています。

この博打の勝敗を決めるのは、主として自分が賭け金を払ってこのレースに参加した時よりも、もっと高い値段で誰か他の良く分かってない人から参加料を取って、自分だけ上手くこの危なっかしい賭博レースから逃げ出せるかどうか…だけにかかっています。

ここでやり取りされるお金は全部、この同じ賭博レースに参加した人たちが払った参加料 ( 賭け金 ) です。

このお金はこの ( 投資銘柄の企業の ) 人気度レースでの勝ち負けの清算の為だけに使われる、純然たる "博打遊び" の為の "賭け金" であって、その銘柄の企業が実際に行なっている事業にも、その資本金にも、唯の1円たりと、投資されることも、組み入れられる事も、使われることもありません。

それは株価賭博という博打に賭博料 ( 賭け金 ) として "投資" されたのであって、その企業や企業の行なっている事業に "投資" されたのでは全然無いからです。

少なくとも既に公開された株式に対して "投資" された個人投資家の払い込み金が、その企業自体に渡ることは決してありません。最後まで博打打ち同士で取り合うだけです。

この株価は本来ならその企業の配当金を目安にして妥当な値段が算出されて然るべきものの筈なのですが、市場原理という「暴走システム」を採用している為に、 ( 本来的な株主権の範囲を逸脱した色々な理屈までがこじつけられて ) 上にも下にも妥当な価格を大きく逸脱します。

下にはそれでも一応の逸脱限界があるものの、ある明白な "悪意" が存在している為、上についてはほぼ限界がありません。

というわけで結局実際の株価は、瞬間的な各レース毎に投入されたその瞬間の賭け金の圧力だけでほぼ決まります。

つまり株式投資というのは、この「瞬間的な各レース毎に投入された賭け金の圧力だけで決まる」株価を利用した、賭博師同士の ( 純然たる ) 賭け金の取り合いに過ぎないのです。

それは決して投資家が支持する企業や産業に "投資" するものではなくて、常に博打・賭博に対する賭け金としてだけ "投資" されているのです。

株式投資がその銘柄の企業自体への投資だと思われていたり、株式投資が企業を支えると言われたり、株式投資が何か社会的に意味の有る高級な事のように広告されたり、PRされているのは、その実態に照らしてみると大変奇妙なことです。

証券会社は何故、株式投資を企業自体への投資のように錯覚させているのでしょう?

それは先ず第一に、お金持ちが実は単なる博打の為だけに自己資産のかなりの部分を注ぎ込んでいるのだと言うとどうにもあまり体裁が良くないからです。

次に、その事が広く世の中一般に判ってしまうと「純然たる "株価賭博" の賭け金でしかないなら、意味など無いから止めよう」と言って、株式投資からさっさと手を引いてしまう人が沢山出ます。

また、株式投資に新しく入って来なくなる個人投資家も、 きっと日本では増えるでしょう。

でもそれは、良く知らない人たちを騙したと言われても仕方のないような、イメージ戦略です。

実際ある程度以上に株式投資をやっている人々は、 ( 特に短期の値上がりを目的にしている投機を狙う人々は ) 始めて暫くすればそれが純然たる博打に過ぎない事を実感として感じます。

ただ、株式投資が銘柄企業そのものへの投資には全然なっていないのだと気付く人々は、多分その全員という訳ではないでしょう。

株式投資が実は副作用的にしか当の企業を利しておらず、他方で副作用的に当の企業を害する場合もある事を、しっかりと割り引かなければなりません。

すると総合的に言って、株式投資は当の企業とはほぼ全く関係のないもの…という事が判ります。

それはただ、その直ぐ隣で、当の企業の実績や動向やその他の指標をダシにして、参加者間の駆け引きばかりが限りなく高い“心理賭博”を続けてるに過ぎないのです。

でもそのことに本当に気付いてる人々は、更に少ないかも知れません。

ただ自分たちがそれによっては社会や世界に対して何も貢献していない…と謙虚に考えている人たちは、それほど少ない訳ではないようです。

多くの人たちが "金もうけ" 以外には何の意味もない、社会に何も付け加えない唯の「賭け事」に自分がお金を注ぎ込んでいる事を知っています。

むろんその為に "賭け" ているのです。

その "賭け" が成功すれば、他の参加者から "余分に" お金を掫ぎ取ることができます。

失敗すれば賭博者としての自分がお金を掫ぎ取られます。

成功する可能性が最も高いケースは、多分、証券会社の甘言に乗せられて、何もわからずに「気に入った企業そのものに投資するのだ」と勘違いして、賭場に賭け金を払い込みに来た、新参の個人投資家を相手 ( カモ ) にした場合でしょう。

株式市場はマルチ商法 ( 連鎖販売 ) と同じで、その為にこそ新参の個人投資家の払い込む、大量の "投資" 資金 ( 賭け金 ) の流入が必要なのです。

ペイオフ実施も差し当たり延期されたため、今のところ殆ど動きは無くなったものの、401Kやペイオフには、明らかに個人貯蓄を大量に株式投資に注ぎ込ませようとする、はっきりとした意図があったと思われます。

もしもそれで本格的に貯蓄が動き始め ( 注1 ) 、新参の個人投資家たちが ( 多分 "投資" の意味を勘違いして ) 大量に株式市場という賭場に ( 賭け金を払って ) 入場し始めていたら、恐らく大変な事になっていたでしょう。

その兆候を嗅ぎ付けた機関投資家や世界中の資金が、その先回りをして株式市場に流れ込んでいた筈です。

株価は急速に上昇して活気を帯び、吊られてむろん景気も一時的に上昇していたでしょう。

エンロンの破綻など、次々不祥事が明るみに出て株価が低落・低迷し、ペイオフも延期され、差し当たり個人貯蓄が右往左往せずに済んだのは、日本にとっては幸運であったと思われます。

もしもそうでなかったら一体どうなっていたでしょう。


市場が拡大して株価が右肩上りに上昇している瞬間には、いつ参入しても取り敢えず ( 眺めているだけの ) 株価の上では誰ひとり損失を出しません。

ただ、株を実際に売却してその株価を確定しない限り、本当はただ危険な賭場に自分のお金を突っ込んでいるだけだと、最初からちゃんと全部分かっている人は、驚くべきことにそんなに沢山は居ません。

株価が上がって「儲かった儲かった」と思っている人たちは、自分がただ上がった株価の数字を見ているだけで、儲かったわけでは無いことに気付いていません。

株価が右肩下がりに突然下がり始めると、いちばん最初の頃に飛び込んでその株をずっと持ち続けていた人たち以外はほとんど儲かる可能性が無くなります。

総てのバブルが必ずそうです。

しかし上のような状況が実際に起こった場合の実態というのは、世界中の巨大資金が総掛かりで仕掛けてきている意図的な罠なのです。

先回りして投入された資金による株価の驚くべき上昇に、当初は呆れながら躊躇していた個人投資家が次第に誘い込まれ、その流入速度がピークに達したところで、世界中の巨大資金は上手に撤退を始めます。

実はマスメディアで「株は儲かる」というような煽り記事が盛んに出るようになるのは、巨大資金がそれ以前の低迷期に大量に底値で買って保有している株を、個人投資家に高値で売り捌いて肩代わりさせ、自分たちが上手く撤退したいその時期と一致しています。

その全体が巨大資金の大儲けの為の巧妙な仕掛けなのです。

つまりその為にこそ、巨大資金はマスメディアにそういう「記事」や「番組」が沢山出るようにしているのです。

スポンサーにお金で操られている個々の番組制作者や、そうした本の著者たちは、たとえ本人にそのつもりがなかったとしても、実際にはただ巨大資金の手先としてだけ行動しているのです。

巨視的・疫学的に見るなら、その全体がほぼ巨大資金の自作自演です。

こうして株価が丁度事実上のピークに達する直前に、巨大資金は撤退を完了するでしょう。

すると後はただ、ホンのちょっとした切っ掛けがあるだけで大暴落が始まります。

それを待って、そして大暴落後の底値前後で、その後の日本社会で再び伸びそうな銘柄だけを選んで、好きなだけ買い漁ればそれで巨大資金の大仕事は終わります。

一体そんな事があるのかと思う人がいるかも知れませんが、実際には極めてよくあることです。

1929年のアメリカの大恐慌を含めて、バブルの崩壊に際しては常にこうしたことが世界中の超巨大資金によって行なわれています。

大損して全財産を失った多くの人々と、破綻して誰もが同じように悲惨な状態にあるように見える社会の裏側には、必ずトンデモナイ大儲けをして、知らん顔している一握りの人々が居るのです。

当然、こうした状況では株の新参者ほどその暴落の兆候に気付くのが遅れます。

だからもしこのような事が実現していたら、世界最大の個人貯蓄からの流入資金をカモにして行なわれる、この巨大資金の日本からの撤退は、恐らく史上空前の利益を吸収するものとなっていたでしょう。

むろん現在 ( 2002年 ) 、現実の株価は底値近くを低迷しているものの、マスメディアでは再び個人貯蓄を株式投資に誘い込む動きが活発化してきています。

従って、今から少し後にはなるでしょうが、上に述べたようなことがいずれ改めて現実化する可能性は十分にあります。

今後何らかのきっかけで、日本の個人貯蓄が大挙して株式市場に流入するようなことがあれば、その過程で必ずこうした事が世界中の巨大資金によって画策されることは間違いありません。

もしその動きによって日本中が騙されてしまえば、熱狂を含んで膨らんだ株式市場は、そのピークの後では決して持ち直すことなく急激に収縮し、投入されたばかりの日本の個人資金のほとんど総てが、その流入速度ピーク時から株価のピークに至るまでの各株価と、底値近くの株価の差額として、世界中の巨大資金に吸収され・回収されて消えてしまうでしょう。

流入速度ピーク時以降の高値で掴んだ総ての個人株主が、その犠牲になります。

世界中の巨大資金が相手なので、基本的には特に運の良い人以外全く勝てる筈がありません。

訳も分からないまま株式市場に流入するしか行き場の無かった ( 注1 ) 、しかも流入時期がほぼ予測できる、新参の多数の個人資金の流入ほど、 ( 適度にバラついていて、全体としての小回りの利かない。…従って ) 世界中の巨大資金にとって絶好の獲物 ( カモ ) になり易いものは、他に無いからです。 [ 以下の追記を挟んでその下へと続きます ]



[ 2004年11月時点での追記;2004年 〜 2005年にかけて、ここに述べていることが再び起こりかけています。個人投資が十分に流入済みなら 2005年春のペイオフがその大崩壊の切っ掛けになるでしょう。それが十分でなければその先の何処か…です。]

[ 2006年7月時点での追記; 恐らく未だに十分な流入が演出できないものらしく、云わば政治工作と巨大資金の力づくで、株価が奇妙なレベルで維持され続けています。

既に個人株主は相当数を占めるようになっているものの、容量、流入速度ともに十分でないのでしょう。

株式市場は溶鉱炉 ( 高炉 ) と同じく一旦温度を下げてしまうと再び元の温度に上げるのが困難な為、巨大資金が煽っても十分な流入速度が得られず従って十分な高値にまで達しなかった場合、結局巨大資金自体が少しでも株価が下がったら“指し値買い”する等して、その温度レベルを維持するしかなくなります。

出来高レベルでの日本の個人投資家の参加速度が予想より遥かに小さかった為に、巨大資金が撤退するチャンスを逃した…という状態なのではないかとも考えられます。

何れにしても現在の日本の株価が、巨大資金が高値で総てを売り切れる ( 個人投資家に肩代わりさせる ) レベルに達してないのは確かです。

成程、元々煽られにくい日本人の慎重な国民性故の、こういう無意識の経済的護身術とでもいうべき現象だってある訳です。

つまり余りにもゆっくりと慎重に、かつ過敏に怖る怖る入って来られたのでは、巨大資金が逃げ出すチャンスを失い、逆に自分自身が市場のインフラと化すか、精々然したる利益も出せずに少しずつひっそりと市場から出て行くしかなくなる…ということです。これは実に面白い現象です。]

[ 2007年8月時点での追記; 先進各国中央銀行の「暴落を支えるべく緊急市場介入」…などはまさしく言語道断です。
あれこそは、国家資産をドブに捨てるが如き、機関投資家への「横流し」です。
国の中央銀行が、バクチ上位者のために大量資金を投入してそれを「売り抜け」させ、信用の崩壊を糊塗する為に国家資産をそのまま「塩漬け」にして一体どうするのですか?
あれはもう ( 暴落を怖れる以上 ) 相対的実質的には回収不能な、唯の浪費に過ぎません。
社会保険庁の「グリーンピア」に匹敵する以上の「無駄遣い」が、こうして ( 日銀の手で ) ホンの一瞬のうちに行われてしまうのです。

国の中央銀行が、よりにもよって株式市場でバクチを打つ…等という馬鹿げた事が、一体どうして当たり前のようにやれるようになってしまったのでしょう?
完全に道義に反してます。
中央銀行の使命は物価を守ることであって、「株価」を守ることなんかではありません。
投入したその分の金額を、もし実際の事業資金として「市中・民間」に向けて投入したなら、遥かに大きな意味と経済効果が有るのは絶対に間違いないのです。]




株価投資の利益は基本的にゼロサムゲームです。

株式投資で可能な利益の根源はことごとく負組投資家の掛け金なのです。

それ以外にはどこにもお金の出所なんてありません。

だから「株を勉強して頑張れば儲かる」と言うテレビや雑誌の、株式投資評論家とかファイナンシャル・プランナーとかいう人達の言葉は、「勉強すればクラスで15番以内に入れる」と子供に言うのと同様に、事実誤認を誘う表現です。

何故なら、幾ら頑張ったところで、勉強したところで、周りもみんな頑張ったり勉強していれば、「クラスで何番目」という相対評価の結果がどうなるかは、誰にも分かる筈などないからです。

というより、真の対戦相手は全世界の巨大資金を駆使する株操作の専門家集団です。

偶然の幸運を除けば、最初から結果は判りきっているのです。


では、個人投資家が株式投資に手を出した場合の最終結果は、手を出さなかった場合と較べて、どうなるでしょう?

つまり社会的に云うとその結果いったい何が起こるのでしょう?

答;個人投資家から手数料を取る証券会社だけは "確実に" 儲かります。

残りの全部を勝組が手に入れ、負組は全部失います。

それより酷い場合もあります。

現実の勝ち負けの振り分けは、実際にはもう少し穏やかな場合も勿論あります。

が、何しろ賭け事ですから、負けると何処かからお金を借りてでも、負けた分のお金を取り返そうとしてもっと深くのめりこみ、結局マイナスになる場合が殆どなので、これでも良い方です。

端的に言えば、最初は“5:0:5”だった筈の "勝組:証券会社:負組" の振り分けが、最後には良く言って“9:1:0”になるゲーム ( お金遊び ) なのです。( 本当にゼロにはならない…という反論があるのは十分わかっていますけど、比喩としてはまあこう言ってもいいでしょう。)

そして下手をすると“18:2:−10”とか、或いはもっと酷いことにもなるゲームなのです。

忘れないで下さい。株式投資では "勝組が半数・負組が半数" ということはまずありません。

本当に勝組になれるのはホンの一握りなのです。

何故なら、もし誰か1人が投資した金額の何十倍、何百倍も儲けたとすると、必ず逆にそれだけの金額を大損した人が居ます。

元の金額が小さければ損した人は一人ですむかも知れませんが、元の金額が大きいとそうはいきません。それだけの "儲け" を支える一方の "損失" は、必ず沢山の人の間に拡がります。

結局、世界中の巨大資金が全体として上げる "儲け" は総て、無数の個人投資家の "損失" によって支えられることになります。

基本的にはそれが利食いを目的とする株式投資の構図です。

むろん、巨大資金の中にも実際に時として巨額な損失を出すものもあるのは事実ですが、通常、その全体がことごとく失敗して損出を出すようなことは、まずあり得ません。

従って、社会全体として云えば、このゼロサムゲームである株式投資を進める ( 薦める ) ことの社会的な最終結果は、決してその社会の経済の発展などではありません。

それはただ「株式賭博」によって、それに参加する余裕のある人々の立場を、「勝組」と「負組」に振り分ける為だけのものに過ぎません。

そして仮に多くの人々の株式投資への参加によって、現在低迷している株価が十分に上がったとしても、それはマスメディアが言うような経済の持ち直しや、景気の真の回復や、産業投資などとは、全く何の関係もない事なのです。


● 真の事業投資のための唯一の方法

もし真の経済の回復のために本当に意味のある投資をしたければ、既に上場したり店頭公開されている "株式" になど投資するのはやめるべきです。

そのお金はこれから立上げられたり本当の資本増資が必要な、有望でも名のないベンチャービジネスにこそ、事業投資すべきなのです。

あるいは本来なら十分に成り立つ筈なのに、昨今の卑劣な銀行の貸し渋りの為に立ち行かなくなったり、成長できなくなってる中小企業や零細企業に、投資すべきなのです。

そしてその事業資金は ( 証券会社を介さずに ) 自分でリスクをとって直接、投資すべきです。

そして株主になったとして、その会社の利益から適切な配当を受け、上場を果たすまで見守って、そこでどうするか決めるというのが、比較的まともな投資の在り方だと思います。

むろん投資ではなく直接その相手や会社に融資するという方法も、一応ありますが…

銀行は他人から預かったお金を又貸ししているだけですから、基本的には貸し付けることしかできず貸し付け先も限定されます ( 銀行が実際にやってる事からするとそれも奇妙な話なのですが )。

でも個人投資家が「マネーの虎」のように投資するためには、何の制限もありません。

むろんリスクはありますが、正真正銘、完全な「賭博」でしかない株価市場で巨大資金を相手に戦って負けるよりは、ずっと社会的、人間的に意味のある人道的なリスクであると思います。

しかもちゃんと自分の目で見て探せば、十分に成功 ( 時には大成功 ) する可能性があります。


現在の日本の不況の本当の原因は、実は二つあります。

一つは、十数年前からの日銀の日本政府に対する明白な造反 ( 注2 ) によって、ずっと意図的に不況が作り出されていることです。

もう一つは世界で一番貯蓄好きではないかと思われる日本国民の個人貯蓄が守りに入り過ぎて、真のビジネス投資には殆ど向かわず、消費も抑えられてしまっていることです。

その為に、日本のほとんど全ての有望なビジネスは、銀行の融資によってしか立上げられず、常にその利息という重荷を背負わされています。

そして融資がなされない為に立上げられなかったり、拡大できなかったり、立ち行かなくなって倒産したりという状態にあります。

でも銀行が現在、融資しないことは、必ずしもそのビジネスそれ自体の妥当性や、成立可能性と関係があるわけではありません。

目的が違うのでここでは詳しく書きませんが、現在の銀行が本来融資すべき人々や会社に融資せずに、知らん顔で見殺しにしているのは間違いありません。

重要なことは、本当に投資できる…誰にも口を出される必要のない…自分のお金を持っている人たちが、銀行と同じように安全主義にだけ陥っていれば、日本社会は ( 政府が日銀を捩じ伏せられない限り ) いずれ再生不能に陥りかねないということです。

少なくとも株式市場にお金を投資することによっては、株価を上げることができるだけで、日本社会の経済の実体には何も投資したことにはなりません。

マスメディアや証券会社の甘言には、カジノ遊びで大損する覚悟がないのなら乗らないことです。


● 結語として…

株価と株式市場というこの公開の賭博システムは、資本主義 ( 自由主義 ) 経済の中で、今や極めて巨大なものになっています。

株式を資産として保有してしまった企業や個人が多数居るからです。

株式は既に担保にもなっていて、それ故にその時価を高いレベルで定常的に支えうる資金 ( 賭博賭け金 ) の流入が常に必要なのです。

そのうえ日本は世界の先進国中にも前例の無い「時価会計制度」という、馬鹿げた資産評価システムを導入させられています。( 米国も導入してますが実質的な適用は外国企業についてのみです )

実はこの時価会計制度には何の正当性もなく、時価会計制度こそは日本経済を駄目にするために注がれた「毒薬」なのです。 ( 但しこれについての詳細な説明をここではしません。)

更に株価収益率が異常に高い企業だけが極端に有利な、 "株式交換" のような手法までもが、高レベルの株価を誘うためのエサとして日本でも許容されてしまいました。

よってこの博打でしかない馬鹿げた“株価の動き”は、今の社会にとって非常に大きな経済因子になってしまっています。

しかし、株式投資の実態は最初の最初から、いまここに述べた様なものでしかないのです。

それを熟知しながら企業の保有株をそのまま資産として計上することを許した政府と銀行。

時価総額という殆ど意味の無い妖怪を臆面もなく云々して世の中を浮かれさせた証券会社。

そして何より、それらを担保として受け入れ、かつてバブルを意図的に創り出し、破綻させ、経済を崩壊寸前まで追い込んだ銀行と政府。

その無見識・無責任さこそが、このような砂上の楼閣、賭博依存経済を幻のように造り出している元凶なのです。

2002年現在、その政府と金融業界とが、日本版401K、年内1000万円までの買付の非課税特例、金融庁の優遇税制法案等々で、個人預金を何とかして銀行から追い立て、株式市場に追い込もうとしています。

更に、先送りされていた2005年のペイオフもそれに追い打ちを掛けるでしょう。

しかし株の実態を良く知らず、知識も持っていない個人資産が、一連のこのような画策によってもしも株式市場に雪崩れ込んだ場合、上に述べたような悲劇的な結末に至る可能性は極めて高いと思われます。

それを最も効果的に防ぐためには、まず株式市場の実態を暴いて周知徹底させ、証券会社などによって与えられている ( 大きな ) 錯覚イメージを注意深く消滅させてしまう必要があります。

それこそが、この文書の真の目的なのです。



 注1; 日本の個人貯蓄は悪く言うとハリネズミのように保守的です。
     真の国内への個人投資の大切さをまだ理解していません。
     その為に金融機関以外には、もはやタンスや家の中の金庫しか、
     行き場所が無くなっています。

 注2; 2002.9.18.に突然出てきた銀行保有株の日銀直接買付けなど、本来物価を守らねばならない筈の日銀が、深刻なデフレを放置して国民の実際の生活をないがしろにしたまま、金融機関のためにだけ勝手にお金を発行して、単なる賭博指標でしかない株価の方を守ろうとしています。
     如何に自らの本来の役割を放棄した存在であるかが分かります。
     新日銀法の施行以来、日銀は益々手の付けられない外務省以上の怪物になっています。





これ以前の論考

以下は、参考までに掲載する ( 上記の文書に至る以前に同じテーマで書いた ) 文案です。
下段のもの程古くなり、最後尾のものは2001年1月のものなのですが、上の文を書き上げてから読み直すと“投資”概念の解釈にまだ混乱がみられます。
読者を混乱させない為には上の文だけを掲載した方が得策だと思いますが、この最も初期の文には私がこの問題を考えるようになった発端があり、また文章が別の方向にも奔放に展開しているので、そのまま載せることにしました。興味を持たれた方は御一読下さい。




公開株式投資によって当の企業に対する出資など出来ない

最初の株主の譲渡益は当初にリスクを取った見返りである。

譲渡を受けた新しい株主がその会社の元々の資本金を肩代わりできる訳ではない。

元々の資本金を担ったのはあくまでも最初の株主である。

初期資本を提供した真の株主が、その後株価が上がった時点で当該株を手放し、かつて投資した金額をそっくり回収した上、更に差額分を利益として獲得したとしよう。

その真の株主が立ち上げ当初からその会社が成功して上場するまでの間に存在したリスクを取っていた事に注意しなければならない。

真の株主はそのリスクを取って投資し、会社が成功して株が肥ったところで株主権を手放して当初の投資額を回収し、更にそれ以上のキャピタル・ゲインを得たのである。

真の株主の得たお金は会社が成功した事で得られた成功報酬である。

それは実は厳密にいうと決して「当初の投資を株の譲渡先に肩代わりさせ、投資した資金を回収した」という事ではないのである。

その会社の当初の資金はあくまでもこの真の株主によって提供されたままである。

株を譲渡された株主はあくまでも株主権を譲渡されただけで、その会社の資本金のその額面分を肩代わりしているという訳では全然ない。

大抵は設立当初に使ってしまっていて、既に無くなっている資本金をいったいどうやって肩代わりできるのだろう? 

そんなことは不可能だし、だいいち会社にしてみれば最初から資本金は返す必要がないのだから、最初の株主が株式証券をシュレッダーにかけて捨てようが燃やそうが第三者に譲渡しようが、そんな事は資本金それ自体には全く何の関係も無いことである。

実際に譲渡されているのはただ株主権という権利だけであり、資本金は会社が解散しないかぎり誰も取り戻すことも肩代わりすることもできないのである。

最初の株主は出資金を取り戻すかわりに株主権を第三者に売ってお金を得ただけのことである。

新しい株主はただ株主権を持っているだけで当該企業に出資している訳では全然ないのである。

新しい株主はただ ( 配当を目的とする ) 株式形式のややリスクのついた貯蓄 ( 長期ホールド ) に投資しているか、または株価賭博に投資している、というだけのことである。




株主権に経営支配権が含まれている事への根本的な疑問

株主権に経営参加権が含まれており、実際の経営者や従業員、顧客は、直接的・原理的にはそれに従うしかない?!!?? 

当該企業の経営方針に対して本来最も大きな影響力を持っていて然るべきなのは、明らかに先ず第1に、顧客 ( 社会 ) 。

第2に、日々その賃金以上の価値を実際に作り出すべく努力している従業員である。
  ( 全体としての従業員がそうでなければ企業は赤字である )

そして第3に、企業に実質的に資本を提供して儲ける仕掛けそのものを実現可能にした、その最初の出資者である。

そして、どう考えても然るべきではないのが、或る程度企業が安定して、公開されてから市場での値上がりや配当を目的にして公開市場で当該会社株を買った ( それも特に利益追求型の ) 次後株主たちである。

どう考えても、彼らの意向で企業の経営方針が左右されるべきではないのである。

公開株価ギャンブルに資金を投入しただけの株主たちに、いったい何を偉そうに言う権利があるべきなのだろう?
これは完全に正しくない偽投資至上主義の規定である。
いずれは、絶対に改正すべきことである。

これは絶対に詳しいチェックが必要だ!

結局こんなバカな事を決めて最終的に得するのは、例の巨大国際金融資本以外に無いわけである。



株価と実態との乖離

極く一部の浮動株の、出合いの着く、着かないによって株価が各時点でそのまま決定され、それによって残りの株主までが右往左往する場合が有りうること。

但し、もちろん通常は評価指標を大きく割りそうになればすかさず買いが入るし、安定株主 ( 特にバフェット型投資家 ) は指標しか信じないから、瞬間的なものを除いてそれほど大きなマグニチュードが発生する事はない筈ではあるが。




顧客ではなく、株主優待制度等で株主に気をつかう企業経営者の錯覚といかがわしさ

考えてみると株主優待制度というのは非常に奇妙なものである。

発足時の初期資本や増資を引き受けた真の株主を別にすれば、公開市場で株主になった総ての株主は、実は当該企業に何の恩恵も与えていない人々である。

彼らはただ株式市場にお金を突っ込んでいるだけの人々で、確かに時々株式市場で高値を作り出すことはあるが、同様に底値を作り出すこともある。

安定して持ち続けている場合には株価に全く影響を与え得ない。

実際に市場価格が高値の時に売り出された新株をその値段で買って当該企業を支えるのは、その新株の最初の買い手 ( 普通は証券会社 ) だけである。

市場で公開株を売買する株主達は実は如何なる意味に於いても株価を支えたりはしていない。

彼らはただ高値で買うことがあるというだけの事で、それを支える気など毛頭無いのである。

本当に株価を支え、企業に資本を提供しているのは、当該企業の実績それ自体と、実際に新株を高値で最初に引き受ける株主だけである。

従って、実績に自信があって新株の引き受け先に困らない企業には、本来は株主優待制度など全く必要ない筈であり、肝心な実績を上げる為にはただ顧客 ( 社会 ) と従業員 ( 企業内部 ) に目を向けていれば良い筈である。

それにも拘わらず ( 書換を行なった ) 公開市場株主の方に目を向け、わざわざ株主を優待するというところに、そうした企業経営者の錯覚といかがわしさ ( 株主への無意味な迎合と不相応な株価への期待 ) を感じずにはいられない。

真の出資者でもない人々 ( 株式ギャンブル中毒者 ) を優待して、いったい企業にとって何の意味があるのか?




第二稿

問題の骨子を明確にする為に思考実験をしてみよう。

解りやすくする為に極度に条件を単純化する。
例えばここに、10万ドルで起業されたオーナー経営者全額出資のベンチャービジネスが有ったとしよう。

ビジネスは目論見通り成功し、途中で株式を切り売りしたり、増資したりせずに3年後に上場し、オーナーは1000万ドルで全株を市場に売却して引退したとする。

株主は分散したが有能なCEOが後任として就任し、その後もビジネスは順調に拡大し、市場の期待は大きく膨らみ、僅か2年後に、その株式の時価総額は10億ドルに達したとしよう。

さてここで、この夢のような成功を収めた企業の資本金について考えてみよう。

この企業の資本金は10万ドルである。
最初から最後まで10万ドルである。

事業は大成功したので収益金からの内部留保が豊富で資金に困ることも無く、増資は結局行なわれなかったわけだ。

この企業のオーナーが、最初に出資した10万ドルの100倍のお金を手にして引退した時、図式的な見方に従えば、上場して公開されたこの企業の株式を市場価格で購入した沢山の證券投資家たちが、その額面価額に相当する部分でこの企業の資本金を創業オーナーから肩代わりしたとも考えられる。

この見方に従えば株式證券が譲渡されるごとに、その額面価額相当分の資本金の肩代わりが行なわれているという解釈になる。

しかしそうではないという見方もある。

資本金の10万ドルは、3年後に創業オーナーが全株式を売却しようとしまいと、既に企業設立当初に起業資本として機能したことは間違いない。

即ち資本金は資本金としてそのまま残っている訳ではなく、既に過去において使われてしまっており、それが有効に機能した結果、その後の状態があったわけだ。

従って、3年も経った後の株式の譲渡によって、その新しい株主が取得した株式の額面価額分が ( 過去に遡って ) 設立資本金の対応部分に肩代わりされるという考え方は妥当でない…という見方である。

この見方に従えば、株式が象徴しているのは原資となった資本金の肩代わり金額ではなく、株主権である。

即ち株式の売却譲渡の本質は株主権の移転であるに過ぎず、證券投資家は株式そのものには投資できるが、 ( 増資に伴う新株の引受を除けば ) この企業そのものに対して投資することは決してできない。

なぜなら株式が一旦発行されてしまった後で株主権がどれほど移転しようと、当の企業それ自体が活用できる資本金には変化が無いからである。




第一稿 株式の流通と偽投資( 最も初期に書かれた原案文書。故に株主の出資についての解釈に異同有 )

利食い目的の證券投資は株価変動をネタにした一種の ( 競馬に似た ) 博奕であって、本来は投資ではなく "偽投資" と呼ぶべきものである。

偽投資はそれ自体の性質によって原理的に各事業そのものの経営基盤を台無しにしかねない機能を秘めた厄病神である。

そのもたらす厄災がまだ現在のレベルに留まっている理由は、単に厄病神自身が "対応する現実の事業の業績に依存して株価が変動する筈" という迷信を信じ込んでいるからに過ぎない。

現在のように放置されている ( まるでならず者のような ) 偽投資の本当の力は、時にほんのちょっとした錯覚が生じるだけで、実際の事業内容になど全く無関係にその企業の株価を超乱高下させ、優良事業を一瞬で台無しにしてしまうほどの凶暴さを秘めている。

このことは株式だけでは無く為替についても同じで、現在の世界が立っているのは、この区別が絶対的に必要なことをまだ何も知らない "底なしの暗黒の泥沼の上" だと考えた方がいいのだ。

偽投資は事業への本来の投資とは最初からはっきりと区別すべき金銭の流れである。

偽投資の過敏神経症的な節度の無い無責任な振る舞いを投資家に許容してしまったことで、多くの投資家が誇りを失うことになった。

各投資対象について当該事業の結実に必要な時間を待つことのできない偽投資は、社会の基盤を提供する…といった重要な役割と責任を元々果たさない。

それは自らの肥大だけを求めて市場の中を泳ぎ回り、ほんの僅かな理由や兆候だけで過剰に群れ集まり、一瞬で飛散する。

古代から、そして中世のヨーロッパから延々と生き長らえてきた全ての高利資本の巨塊が、野汰打つ ( 資本の ) 大蛇となって現実の世界の実経済の何十倍、何百倍の図体で、実経済の中で生きる人々や社会や事業や国家の傍迷惑も考えず、自分の利益だけを考えて暴れ回っている。
  (
こちらにこのことを理解するのにピッタリの参考解説文書があります )

偽投資はちょうど宇宙船のフライ・バイ航法のように、成長する事業や国家や通貨をエネルギー源として自分を肥らせる。

偽投資は大量の資本を一瞬だけ注目した成長市場に持ち込むが、その市場の成長を利用して自分が投入した以上の資金エネルギーを再吸収すると、直ぐ次のフライ・バイを求めて別の成長市場に去っていく。

成長市場は単に巨大資本に利用されてエネルギーを奪われて失速し、成長を止められてしまう。

偽投資の行なっていることは大きくも小さくも常にこのようなものである。

無論偽投資が失敗した場合、偽投資家は大損する。

だが必ず別の偽投資家がそれを吸収して大儲けする。

だから偽投資は決して本当の投資にならない。

当該企業の新株が発行される場合以外、本当の事業投資は行なわれない。そして本当に規模の大きな偽投資は滅多に失敗したりはしない。

世界はだからこそお金が中心の世の中になってしまったのである。

だからこそ世界中の殆どの企業と国家と人々が貨幣経済の奴隷にされてしまっているのである。

こんなバカなことが何故見過ごされているのだろう?

もう一度言おう。

偽投資は本来の投資ではない。

投資とは元々はそこから逃げられない前提で一つの事業に対して固定的に行ない、その事業の結実を待ってその成果を正統に受け取るべきものである。

ところがこの投資の世界に狡猾なものが現れて、その成果の推定を前提に投資権者の "逃げ出し" と "肩代わり" とを許容させてしまった。

その結果「投資の結果から投資者自身が逃げ出さない」という最も重要な投資者の責任は失われてしまった。

かくして事業は極めて不安定なものに支えられることになった。

つまり、ちょっとした兆候や噂だけで直ぐに付和雷同してその権利を売り飛ばしかねない、即ち投資から逃げ出しかねない、お金でしか責任を取らない、お金のことしか考えない、そうした姑息な博奕打ちによって支えられるのが、普通のことになってしまった。

もし投資権者が最初から事業運営そのものには一切関われないという規定であれば、このような権利者の肩代わりによって当該事業が受ける影響はそれほど大きなものではない。

しかし肩代わりした投資権者は一般にそれほど奥床しくはなくて、下手をすると完全に運営・支配までするようになった。

投資権者のしばしば多くは事業そのものに思い入れを持たず、数字にしか関心を示さずに、それを支配した。

その後更に事態は進み、投資権は極めて細かく分散されて株式となった。

そして投資権の肩代わりは株式の流通と呼ばれるようになった。

そして当の事業の先行きが期待されてその株式に人気が集まると、資本主義の最も陥りやすい陥穽である市場原理にその価格を委ねるという過ちを犯してしまった。

つまり株式の売り手の目先の利益に迎合してしまったのだ。

もしも出来るだけ正確に、その時点での客観的な当該株式の貨幣価値を査定して、人気のある株式の場合には売り渡し先を抽選で決定して、あくまでも適正な査定価格で譲渡移転させていくという、より理性的で賢明な方法を採っていれば、我々は後々生じる多くの経済的厄災を避けることができた筈だった。

だが決してそうはならなかった。

かくして ( 人々の単なる思惑でしかないことも十分に有りうる ) 株価は、市場に流入する大量の株式賭博用資金に支えられた市場原理に従って、当該事業の業績をダシに些細な事で付和雷同・雲散霧消する偽投資の玩具にされてしまった。

株価はこうして統計的に参加者全体の気が変わるまでなら、幾らでも理不尽に吊り上がってしまえる可能性を持つことになった。

銘柄ごとの市場への資金流入がプラスである限り、何も根拠が無くとも株価には意味があるように見えた。

売りたければ買い手が現れるからだ。

株価は市場に入り込んでいる資金量だけによって維持されている。

つまり当該事業に対する偽投資は、正確に言うとこの意味で別のものに対する正統な投資である。

即ち "市場原理で変動する株価そのもの" を投資先とする投資である。

それは当該銘柄の市場に流れ込んだ資金だけを拠り所に、駆け引きによって戦い、一瞬出遅れたものの資金を一瞬早かった者が奪い取るという、まさしく資金量と駆け引きで成り立つ博奕の世界である。

彼らの儲けるお金は他の参加者の持ち込んだお金であって、彼らが損したお金は他の参加者の取り分になっている。

当該事業 ( 企業 ) の新株が時価発行される場合を別にすれば、これらの博奕の参加者たちが当該事業の資本金の増減に関わることは、基本的に無いと云ってよい。

この賭博場である株式市場に出入りするものの多くは、当該企業から直接株式を買っている訳ではなく市場で買っている。

従って ( 額面割れを起こしていなければ ) その株価の一部は確かに発行時の事業資本金の肩代わり分を含んではいるが、額面価格と市場価格との差にあたる部分の金額は、この賭博そのものの為の資本金として、この博奕に参加している者たちの間でやり取りされているだけである。

つまりほぼ完全に二重構造なのであって、 "事業そのものに対する投資" と、 "株価市場への流入資金そのものの増大を拠り所にする利食いを目的とした博奕への投資" とが存在しているのである。

証券マンが薦める理由は大抵後者に基づくものである。

また証券会社が個人や企業の預貯金を証券投資の世界に引きずり込もうと、マスコミを使って盛んにけしかけている理由も、実は真の事業投資で事業を本当に支えようとしているのでは決してなく、唯々、後者の株式賭博により多くの資金を流入させて株価を吊り上げ、お金だけを扱っている頂点の人たちが一番楽に儲けられるようにと意図しているだけのことである。

本来の資本評価の外に、人気を市場原理を使って上乗せ価格化し、あたかも架空の鎧のように纏わせることに、いったい当の事業の堅実な成長にとってどんな利点があるだろう。

新株の時価発行での棚ボタ資金の調達は確かに可能だが、それ以外の追加流入資金は当の事業には何の関わりも無いのである。

この意味で後者への投資は当の事業にとって "偽" 投資なのであり、当の事業への投資責任を取らずに何時でも逃げ出せるという意味においても "偽" 投資なのである。

投資権 ( 株式 ) の流通は既に現代社会の常識になってしまっているが、常にタライ回しにされていて、何か表面的に業績が上がったりすると途端に引っ張り凧にされ、僅かな変化て異常に反応する株価に、事業が依存して運営されなければならなくなっている現状は、極めて異常なものである。

いったい機関投資家や巨大資本から、行き場 ( フライ・バイ・フィールド ) を求めて流入する巨額資金によって形成される気紛れな市場での、自社の株価の変動に、企業経営者が一喜一憂しなければならない本当の理由は何だろう?

偽投資は市場を泳ぎ回るから、個別の企業にとって本来の投資 = 資本の意味を事実上持ってない。

株式は確かに市場に残るが、大量に買った筈の偽投資家に大量に売られて株価が暴落すれば、当の企業にとってLBO等の危険も生じる。

その場合には関係者は必死でこれを買い支えようとするだろう。

かくして偽投資家は自分の投入したお金をそっくり再吸収してしまう。

その買い支えが高値で行なわれれば行なわれるほど、それは偽投資家の思うツボである。


こう纏めよう。

株式の額面価額は確かにその事業 ( 企業 ) に対するあなたの投資金額。

けれど市場株価と額面価額の差額は、あなたが変動株価賭博という博奕に賭けた賭け金である。

それは博奕に対する投資であって、決してその事業 ( 企業 ) に対する投資ではない。

額面との差額が大きいほど、あなたは沢山の賭け金を博奕の方に賭け ( 投資し ) ているのである。

その金額は全て、参加している博奕打ちの間でだけやり取りされる。

決してその事業 ( 企業 ) には資金として渡ったりしない。

本当に無駄なくその事業 ( 企業 ) に投資する為には、その企業から直接買うしかないのである。

世界の株式市場の危機とか、株価低迷の問題と云ったものは、結局は株式をネタにした世界規模の博奕の盛り上がりが上手く行っていないといった事を意味しているに過ぎないのである。

サッカーくじやLOTO宝くじが上手く盛り上がらない…といった事と実は大差無いのだ。

しかし困った側面が有るのだ。

問題は世界中の ( 金儲け以外の場所には行きたがらないが故に ) 行き場の無い莫大なお金が、別の金儲け先が見つかるまでの間、この證券株式市場か金融債券市場か為替市場を常宿にしていて、その為に市場は常に本来の水準よりずっと高く保たれることが期待されているということだ。

これは、さもないと世界中の巨大資本が困るので、ありとあらゆる手を使って政府や社会に圧力が掛けられ、危機が強調され、株価回復の必要性がマスコミによって宣伝される。

最近では何と日本政府が大量に株式を買って株価水準を必要なところまで上げるべきだという、何とも恥知らずな提言まで飛び出てきた程だ。

だが残念なことに、我々は今、一概にこれを無視することができない。

その理由は、既に世界中の極めて多くの企業が、自らのバランスシートの中にこれらの市場商品を大量に抱え込んでしまっており、その保有株式や債券の価値が大きく下がると、経営そのものが成り立たなくなる場合が有るからだ。

実に情けないことに、既に世界中が、この世界三大賭博市場の開帳する大博奕に巻き込まれてしまっていて、身動きが取れなくなっているのである。

…とは言うもののこの泥沼から、本気で出来るだけ早く抜け出して、博奕に翻弄されない、博奕に使えない本当の投資システムを作り出さなければ、世界に明るい未来など来ない。

世界中の株式や通貨や債券を玩具にして、一年中博奕に明け暮れている人々が自分たちに都合のいい世界を作ろうとしているのである。

彼らは「自分たちは世界の優れた事業に投資しているのだ」と答えるだろう。

だがそれは全くの嘘だ。

全くの嘘でなくとも大いなる勘違いだ。

彼らは世界中の事業や通貨や債券をネタにして、ただ一年中博奕を打ち続けているだけなのだ。

彼らは世界にとって殆ど何の役にも立っていない。

そこに投入される実経済の何十倍何百倍ものお金は、殆どただ彼らの大博奕の掛け金としてだけ機能しているに過ぎない。

以上






© Copyright.2002.10.21. by 空樹 零 ( うつぎ・れい )

著作権法上での例外を除き、この文書の全部または一部を
著者に無断で複写複製( コピー )することを禁じます。



このページの BGM について

ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」よりアニュス・デイの前半部分

MIDI 化 By 鈴ちゃん

  ベートーヴェンと大バッハの作品を全曲、MIDI 化してしまおうと日夜がんばってる鈴ちゃんの、多分世界でも空前絶後の素晴らしい個人サイトはこちらです。英語版ページもあります。大抵の曲が見付かります。MIDI の威力、此処に極まれり! 完成したらきっと世界的に有名なページになることでしょう。




 


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