( 物理 ) ( 2004.2.12. 追記 )
光そのものの非相対論的特性の証明方法について
真空以外の任意の媒質中 ( 取りわけ “ 水 ” など屈折率の高い媒質中 ) での光圧の厳密な測定値は、従来おこなわれてきた、“ 光子への相対論効果の盲目的な適用 ” が全く誤りであった事を明確に証明しているものと思われる。
何故ならこのような媒質中では明らかに光 ( 光量子 ) は相対論的に顕著な特性を、その低速の位相速度故に失っていると考えるべきだからである。
光がそのような媒質中において、真空中の光速度 c を遥かに下回る位相速度であるにも拘わらず、相対論上の光速度での効果をそのまま維持できるというような理由は、何処にも無いからだ。
従って通常信じられているような ( 相対論効果から逆算しての ) 「 光量子の静止質量はゼロでしか有り得ない 」 というような議論は全く成り立たないことが明白である。
元より光子に相対論効果を完全に適用しうると考えられてきた事の方が、およそ常軌を逸しているのであって、本当にそうであるなら光量子は時間の中には存在しないことになる。
何故なら真空中の光は、相対論上では完全に時間の停止した状態に在る筈なのだから、光は外界との相互作用によって一切変化出来ない状態の筈だからである。
然るに現実には、光子は光電管を作用させ、鏡で反射され、サングラスで偏光し、フィルムを感光させ、C C D と相互作用し、光子ロケットの反射板で光圧を与えてそれを加速しうるのである。
従って水やガラス中で完全に光速以下の位相速度で走る光量子の与える光圧を計測すれば、それが真空中での計測値を決して大きくは下回っておらず、それが通常の ( 即ち非相対論的な ) 運動方程式に従う結果でしかないことは、簡単に判明するであろう。
そしてその結果の意味する事は、結局ただ一つである。
即ち光子には静止質量が有り、それはゼロではなく、その値は単純に 「 m = E / c2 」 または 「 m = hν / c2 」 であって、相対論は光に対しては一切適用不能である。
そして恐らくは光以外の光速度で移動する粒子、ニュートリノやグラビトンにもまた、相対論は適用できないのだろう。
それ以外に、一体どんな結論がありうるのだろう?
もし光に相対論効果がそのまま適用できるなら、光子そのものには時間経過は存在しないことになる。
すると光子は外界と一切相互作用できなくなる。
にも拘わらず実際には光は、輻射され、吸収され、偏光され、旋光性を持っていて、外界と相互作用しており ( 何よりも空間内をその位相速度で渡り続けていて ) 、ちゃんと時間の中に在る訳で、全く何をか言わんやである。
光が相対論効果の適用対象外であれば、光圧は光の静止質量に光速度を掛ければ説明できることになり、わざわざ光の静止質量をゼロと仮定する必要もなくなるのである。
例えば、現解釈では 「 光 」 にも特殊相対論の帰結がそのまま適用されている為に、そこから逆算せざるを得ない仮想的な光の静止質量は一応 「 ゼロ 」 であるという事になっている。
これは常に光速度で移動する光の質量が有効値を取れば、その値がどんなに小さくとも “ 相対論効果 ” によって質量が無限大に、従って 「 光圧 」 が計算上では無限大になってしまうからだ。
然しもしそう考えるなら、その同じ “ 相対論効果 ” によって、光の内部では時間の経過が有り得ない …ということになる。
そして時間の経過がなけれは、光は変化不能 …ということになってしまう。
すると 「 光速 」 下に有る光と、ほぼ 「 静止 」 している他の物との関り合い ( 相互作用 ) は、事実上不可能ということになるだろう。
光に内的な時間の経過がなければ、光は何物にも影響を受けない。
実際にはそうでなく、光は C C D や偏光ガラスや回折格子に出会えばそれに吸収され、位相面を回転させられ、回折されるのだし、水の表面や汎ゆる物質の表面でも屈折されたり反射して人間や動物の目の網膜に吸収されるのである。
とすればこの “ 変化する ” 光には、ちゃんと 「 時間の経過 」 があるという結論になる。
つまり光は特殊相対論の帰結の適用対象ではない …と考えられる。
しかし現在までの物理学では、この事はずっと無視され続けている。