( 疑問符 ) ( 2015.7.21. 〜 26. 記 )
[ アニマルライツセンター 代表理事 岡田千尋さんへの公開状 ]
風の谷のナウシカみたいな お気持ちはよく分かるのですが、この地上世界は元より地獄で、この問題の本質と解決方法はもっと別の処にあります。
Copyright 2015.7.26. by うつぎれい
初めまして うつぎれい ( 宇津木令 ) と申します。
動物園や水族館は ( 動物や海棲生物に対して ) 余りにも残酷だから廃止すべき …というアニマルライツセンター HP の主張や、先日の TV タックルでの岡田千尋さんの話を聞いていて、私は自分が以前に書いていた 「 ザ・コーヴを見て 」 http://www.geocities.jp/netreal_bookbox/The_Cove/w.htm という記事の主張内容とそっくり全部繋がるのではないかと思いました。
その記事の末尾近くで私は 「 今の時代には動物園や水族館を造って維持する代わりに、世界中の先進国やグーグル社などの世界企業が、本気で大量の高性能インターネットカメラを使って、色々な野生生物 ( 海の生物を含む ) の日々の野性の姿そのものを、世界中の誰もがインターネット上でいつでも見られるようにも出来る筈で、然したる錯乱やストレスも生き物たちには与えずに、実際の野生生物の様子や行動を、小さな無人飛行カメラなどで追う事も出来るのだから、そのようなやり方を実行し、現行の動物園や水族館はそれこそ全部廃止して、更に子供たちの身近に触れられる動物や魚の代用品としてはロボット動物園やロボット水族館をこそ創るべき 」 ・・・というような内容の事を書いていたからです。
これは貴センターの目指す処とほぼ一致するのではないでしょうか?
( 代替案も無しに、動物園や水族館で愉しむのをやめましょう! …と幾ら言っても、聞く耳を持つ人は殆ど居ないと思います。 )
私はまた、「 武州豊島郡 長崎村物語 」 という別の記事 http://www.geocities.jp/netreal_bookbox/bird_eyes/nagasakimura_stories.htm#mujina の後段で、動物と人間のコミュニケーションについて、以下のようにも書いたことがあります。
『 ペットや都会のカラスみたいに、子供の時からずーっと人間社会と接して暮らしてる動物たちは、云わばみんな逆ターザン状態、或いは、逆 「 野生のティッピ 」 状態なのです。彼らは動物なのに 「 人間の国 」 で育ってしまった動物版 「 帰国子女 」 みたいなもので、人間の国の事をとても良く知ってます。人間は多分、動物たちのことを馬鹿にして 「 少しばかり見縊り過ぎて 」 います。 』
志村動物園に時々出て来るハイジさんのように、動物と実際にイメージテレパシーで話す事の出来るアニマルコミュニケーターの人たちの事を、アニマルライツセンターの方々が一体どう思ってるのかは良く分かりませんが、本当にそのような能力を持ってると判定できる ( 本物の ) アニマルコミュニケーターの人たちこそは、恐らく動物たちの最大の味方である筈なので、アニマルライツセンターの方々はそうした人たちとこそ強く連携されるのが一番良いのではないかとも思いました。
( あのハイジさんが一緒にTVタックルに出て呉れたら大変に心強いのではないでしょうか? おっと、ハイジさんはもしかすると、日本テレビの専属で日テレにしか出られないのかも知れませんね? ならば、こちらに他の本物の人たちだって沢山います。 )
岡田千尋さんの話しておられたような 「 動物側に与する風の谷のナウシカみたいな意見 」 は、それが本当に動物の身になってる人の優しさ故のものだとは良く分かるのです。
が、生きたウナギの解体ショーみたいな光景を見ても面白がるだけの人とか子供とかは普通に沢山いますし、あの さかなクン のように、魚の事が本当に大好きで、魚をカワイイカワイイと言いつつも、その魚を “ 食べるのもまた大好き ” なんて人もいます。
( 私にはそのこと自体がグロテスクなブラックジョークにしか聞こえませんが。 )
そしてこの世の中の大部分の人は、たいてい肉や魚を食べるのが大好きで、純然たるベジタリアン ( 特に肉だけでなく鶏卵や乳製品も食べないヴィーガン ) なんてそうそう居ないのも事実です。
だから 「 あの可愛らしいイルカを守れ 」 という主張を遥かに超えて、まるでマハーヴィーラの興したジャイナ教の信者みたいなこと ( ウッカリと虫を踏み潰してはイケナイ …なんてこと ) までを、テレビでついつい得々と喋って主張してしまう ( 全然場所と立場を弁えない ) 人と一緒に並んで 「 動物愛護派 」 とレッテルされてしまうと、一般の視聴者にはますます 「 異常な主張をしてる奇矯な人たち 」 と見做されて全く不利になり、ぜんぜん通用しなくなってしまいます。
既にイギリスで 「 豚肉の特定部位のみの人工培養技術 」 が少し成功しており、やがてはフォアグラ ( = 脂肪肝 ) を含め、あらゆる部位の動物肉や魚肉が、その動物の屠殺や大量の魚の殺戮によってではなく人工培養で効率的に可能となる時代が来る可能性は十分にあります。
( それは実は、食用人肉の培養へと暴走する可能性も十分にあるので、一寸怖いのですが。 )
また現在の動物実験も、( 今までのような反対運動の成果としてではなく ) むしろ今後の再生医療技術の進歩によって、そのような残酷な実験そのものが全く不要になって、更にはこれまでの医療技術や汎ゆる対症療法的な医薬品そのものまでが、再生医療技術によって根底から駆逐されてゆくという可能性も大いにあるのです。
残酷なこの地上世界はよくよく見ると、元々の自然界そのものでさえ、ここって本当は 「 地獄として設計 」 されてるのではないか? …と疑いたくなる程に残酷な様相を呈しています。
一見しただけではそう見えないのは、私たちが昆虫や植物の日々受けてる被害を無視して物を見てるからに過ぎません。
( 特に野菜が台所の俎板の上で日々受けてる残虐行為;生体切り刻みと言ったら、もう …目を覆うばかりではないでしょうか? )
しかし野生の生き物の世界はみんな、生きたままのおどり食いや活き造りが当たり前の世界でもあり、他の生き物の生まれたばかりの幼い子供を狙って襲うのは普通の事です。
私は一時 、魚の稚魚を超青田刈りしてるに等しい「 シラス漁反対 」 を唱えるべきか? …と考えた事もありましたが、あのシロナガスクジラの餌の大部分はシラスの如きプランクトンである事を思い出し、人間も知恵の発達した 「 野生生物の一種 」 と考えれば同じ事なので止めました。
また、ある一匹の動物を殺すことは、その動物が生きていたらエサとして殺すだろう厖大な数の別の生き物を守る事でもある …という見方だってあります。
確かにブロイラー工場や牛や豚の屠殺場の光景を実際に見て衝撃を受けてしまうと、生き物への優しい心情を強く持つ人たちは 「 あまりにも酷い 」 とついつい感じ、それへの直接的な反対運動までを起こしたくなってしまうのでしょうが、それは行過ぎると世の中一般から 「 気が狂ってる 」 と見做されます。
イルカが何故、欧米社会で可哀想と思われたかと言いますと、実は映画やイルカショーでのその姿が実際に余りにも愛らしく、また不思議な事にこれだけ人間に酷い目に合わされてもいながら、( 例えは日本人には太地町や東北の海上でメッタ刺しにされて獲られて食べられたりしてるのに ) それにも拘わらず、( 同じように白人の男たちに目の仇にされ、銃で殺され続けた北米のガラガラヘビたちが、その悲惨な生存環境に適応して、主に白人男性に対してだけ、極めて攻撃的な生き物になってしまったのとは全然違って ) 未だに人間に慣れ易く、親近感を持っていて、従順で全く攻撃的にはならなかった動物だから …でもあるのです。
つまりイルカは、もしかするとマハトマ・ガンジーのやり方を採用していて、その無抵抗主義で欧米の多くの女子供たちの心に訴えかけて大きく動かし、おとなしくて可愛いイルカを残酷に獲って、エサの魚も泳いでない狭い場所に閉じ込めて見世物なんかにしておいてはイケナイ!・・・という世界的な通念を獲得したのかも知れません。
実際に世界中から嫌われてるゴキブリの方は、今後例えそれが絶滅に瀕したとしても、恐らく「残酷なゴキブリホイホイやゴキジェットから可哀相なゴキブリを守れ!」・・・と、アース製薬本社前で大規模な救済運動が起きるなどとは、到底考えられません。
だから、実際にこうした保護運動が功を奏するのは、ほぼ必ず 「 カワイイ動物 」 に限られてるワケで、それ以外についてまでの運動は、全く無駄な努力と言わざるを得ないです。
むしろ、上に述べたような科学技術の進歩によって、動物実験も畜産用家畜もが何れ不必要となる事こそが、最も効率的な生き物の保護や自然保護への、最短の直道なのではないでしょうか?
私はそう思います。
以上
アニマルライツセンター 岡田千尋 殿
うつぎれい ( 宇津木令 ) より
|