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『 ザ・コーヴを見て 』





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Written by うつぎれい ( 宇津木 令 Utzsugi Rei )        筆者への連絡先はこちら

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これはイルカ漁を告発する映画「ザ・コーヴ」を観て、その訴える内容を個人的に分析し、思索してみた筆者の考えを書き留めた覚え書きです。



( 疑問符 ) ( 2010.7.7. 記 )
「ザ・コーヴ」を観てから2日目の第2印象
 「ザ・コーヴ」と「イルカ漁問題」を改めて検証してみた。
この映画への批判そのものの信憑性や如何に?


水産庁の担当者によると、今では北欧フェロー諸島で使われている鋭利な刃物 ( 金属ピン ) を使って、頚椎と頚部血管群を一瞬で切断する事により脳への血流を遮断し、2秒で即死させていてイルカの苦痛は少ない…と言うのだが、その殺し方での実際の現場や映像の公開は為されておらず、見学も出来ず、撮影も許されてはいない。
実際にはその方法でも死ぬまでに30秒ほど掛かることもあり、スジイルカやマダライルカなどでは水面で激しく暴れるので上手く行かず実行出来ていないという。
( 何故公開されないのか?と問い質すと、水産庁の担当者は「どのような生き物についても屠殺を公開している所は無い」と回答したが、ジャーナリストの森達也氏は「いのちの食べ方」執筆にあたって小学生に牛の屠殺を見学させてもいるし、また生きた魚やウナギの解体は普通にしばしば店頭などで公開されているのを全く忘れているようだ。)

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後に確認された事実についてのメモ
[ ( 2010.7.12. 追記 );数日前に水産庁に問い合わせた際、イルカ漁担当として電話に出た人物は、ザ・コーヴに登場していた同庁 諸貫秀樹氏の遠洋課課長補佐 在籍期間は2005 〜 2006年との回答だったが、本日改めて水産庁 03-3502-8111 遠洋課 川村氏に問い合わせてみると、回答は前回の人物と異なり、諸貫氏は2005年4月 〜 2008年3月まで4年間、上記の役職に在ったと言う。( 諸貫氏は現在、水産庁漁業資源課課長補佐の職に在る。)
( 2010.7.16. 追記 );水産庁漁業資源課から海外に移動直前の諸貫氏本人から話を聞いた。映画で与えられた印象とは全く違って諸貫氏は冷静でハッキリと物を言う論理的な人物であった。氏の話によるとザ・コーヴのクライマックスで挿入されてる件のインタビューは、映画の撮影とは全く告げられずに「捕鯨について話を聴きたい」との事で2007年秋に行われたものであるという。但し、その際、諸貫氏がオバリー氏から見せられた小さな画面の映像が、映画の終盤で使われていた映像と同じであったかについては判らない ( ハッキリとは覚えていない ) とのことである。電話を切った後で気付いたのだが、現在の席に2年3ヶ月目の氏が映画の公開直後のこの時期に本庁から海外に移動というのには、映画に名が出た事で風当たりが強くなり、水産庁が余計なトラブルを回避すべく急遽海外に移動させたのかも知れない…とも思った。が、諸貫氏は私の電話に全く避ける様子もなくあっさり出て来て、私との議論に30分以上も付き合って呉れた事を付記する。]

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上の追記通り、映画の中でオバリー氏にインタビューされてた水産庁遠洋課課長補佐 ( 当時 ) 諸貫秀樹氏がその役職に在ったのは2005年4月 〜 2008年3月迄で、インタビューは2007年の秋であった。
従って映画の中で諸貫氏の言った「今では 〜 」の「今では」とは、2003年 〜 2007年頃の状況を指すものであるらしい。( 興味深い事に丁度2003年 〜 2005年にかけて、この映画にも協力しているシーシェパードが太地町でイルカ追い込み漁の盗撮を行っている。)
一方で、上記フェロー諸島由来の鋭利な刃物の導入は2000年頃からであり、実際には直ぐに現場で徹底された訳ではない。
故に映画「ザ・コーヴ」に見られる殺戮映像と同じものが、2003年 〜 2005年頃の太地町で撮影出来た可能性は、十分にあるという事になる。
もうその頃にはあんな酷いやり方はしてない、という確信が本当に諸貫氏にあったのなら、リック・オバリー氏からあの決定的な映像を見せられた直後の、彼のいささか狼狽した第一声は、やはりちょっと不自然である。
( 恐らく、実際にはその当時の現場までは確認していなかったからこそ狼狽したのだろう。)

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 この囲み部分は諸貫氏の在籍期間を誤って伝えられた為の勘違いと判明したのだが、この勘違い故に映画の構成と作られ方を推論する事となり、却って冷静な見方が出来たのかも知れないので、敢えて記念に残す。

但しあのインタビューシーンが本当に2005年 〜 2006年に撮られていたのだとすると、「ザ・コーヴ」の太地町での撮影期間とされる2007年よりは以前という事になるので、この課長補佐諸貫氏がリック・オバリー氏に見せられた映像は、私たちが画面で見、また彼が見せられて狼狽したと想像した映像とは別の物という事になってしまう。
或いはそれが私たちの見た映像と同じなのなら、あの映像は少なくとも2005年 〜 2006年よりは以前に撮られたものという事になり、ルイ・シホヨス監督が太地町に入っていた上記の撮影期間より前に撮られていた映像という事になる。

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ドキュメンタリーとはいえ演出は当然あるから、全体を綜合して推論すると、映画の終盤での殺戮シーンが実際には2007年のルイ・シホヨス監督らのミッション・インポシブルみたいな盗撮作戦によって撮られたのではなく、2003年 〜 2005年頃にシーシェパードが盗撮した決定的な映像が先ずあって、その後にそのスクープ映像を最も効果的に見せるべくワクワクする台本が作られ、それに沿って適切な配役が決まり、全体を良く出来た作品にまとめる為に嵌め込むべきシーンが、2007年からルイ・シホヨス監督によって補完的に撮影され、編集されて出来上がったという構図が見えて来る。
つまり課長補佐氏の確言にも拘わらず、少なくとも2003年 〜 2005年3月迄の太地町では、まだこの映画のようなイルカの殺し方を依然として続けており、それがシーシェパードの隠しカメラによって物の見事に捉えられたのであろう。
リック・オバリー氏らはその映像を諸貫氏に突き付けて狼狽させた…というワケだ。
要するにこの映画は、その最も肝心な告発部分の本質的内容と映像は ( 数年の時差はあるものの ) 本物のスクープで、余りにも格好良過ぎる残りの部分が、如何にも本当らしく上手く演出されたドラマなのだ。( 但し少々“出来過ぎ”である。)

この事を、( どうやら水産庁の担当役人らしき人物が大慌てで書き換えたものらしい ) ウィキペディア「ザ・コーヴ」の項目には、『 銛による突きん棒漁法が、現在は行われていない 〜 略 〜 過去に撮影された、突きん棒漁法によってイルカの血で海が赤く染まる「残虐な漁法」が現在も行われていると 〜 略 〜 誤解させている 』…等とあるが、その「過去に撮影された」とは少なくとも2005年の春であり、決して遠い過去の話なんかではなく、また「現在は行われていない」も ( 太地町での追い込み漁に限ってさえ ) 恐らくはウソである。
そして何より、イルカ漁の9割を占める“追い込み漁以外”での「銛による突きん棒漁法」は、今も海の真ん中で極く普通に行われているのである。
つまり水産庁は実態がどうあれ、そう答え、そう書くしかないのである。
だから、上では少々穿った解釈をしてしまったものの、入り江には通常人の目は無いのだから、太地町では今でも同じ事を続けている可能性はあり、2007年からのルイ・シホヨス監督によって、私たちが映画で見て衝撃を受けた新たな盗撮映像が撮られた可能性だって、本当に無くはないのである。

映画に批判的な人々が主張するように、もしも太地町の殺戮映像がずっと以前に撮られたモノなら、一体どうしてあの決定的な映像はもっと以前に ( 撮られた時点で ) 世に出て来なかったのか?…とも一応尋ねてみた。
が、既に大分前からYouTube等には、イルカ愛護団体等が撮ったこの種の映像が多数アップされてるとの事である。( それは知らなかったので早速確認してみよう。)

現在、和歌山県太地町の、実際の追い込み漁では、追い込んで直ぐには殺さず2 〜 3日餌をやらずに放置して、弱らせておいて急所を刺して殺しているという。
これを水産庁の担当者は“落ち着かせてから”と表現していたが、数日も食物なしで放置しておけば当然弱り果てるのを“落ち着かせて”と表現できるところが、漁業関係者や水産庁役人の本質的な悪魔性である。
戦場にてゲーム感覚で人々を殺傷する米兵と同じく、日頃から魚類や貝などを当然のように殺傷している漁業関係者は生き物の生命を奪う事について極めて無頓着・無感覚・無慈悲である。
日常的に大量の殺傷を業として行う彼らには、生命に対する配慮や尊重心など殆ど無く、収入の為の漁獲以外には関心が無くなくなっているのである。
彼らにとって、サカナや ( 貝や海老やカニや ) イルカの苦痛や生命の尊厳について考える事は“子供じみたバカな事”でしかない。
目の前で血を流しモガき暴れる生き物たちを手に掛けながら、漁師たちは ( アパッチヘリの暗視カメラで敵兵や敵民間人をプレイステーション・ゲーム感覚で撃ち殺す米兵と同じように ) 生命に対していとも無頓着になれるのである。
これは一種の「職業的な精神病」あるいは「異常心理」なのだが、相手が人間ではない為に、対人社会的に特に問題が生じなければ、そうした心理は他者に余り注意される事が無い。
( が、その無慈悲さがイルカに対して向けられれば、太地町の事も無げな「大殺戮」となり、他の魚介に向けられれば、日本漁業の後先考えない「乱獲」となるのである。)
だから乱獲によって漁獲が致命的に下がらない限りは、ホンの小さな魚まで徹底的に獲って殺し尽くそうとし、その為に漁獲が下がり始めても自分たちの乱獲のせいだとは考えずに、 ( 元から居て海と調和して生きてきた ) イルカが魚を食べ過ぎるからだとしてイルカを目の仇にして来たのである。
漁師にとってイルカは「害獣」だろうが、延縄や網に掛かったサカナをイルカが食べるのは、実際には漁師の方がサカナを獲り過ぎていて、イルカが本来食べる分のサカナまでを獲り尽くしてしまうからであり、イルカの方こそいい迷惑で、漁師たちこそが「害人」なのに、日本の漁師はそれを全く理解しないで、イルカを勝手に「害獣」呼ばわりし、目の仇にして殺して来たのである。
( これは北米大陸を侵略し、先住民のする散発的な抵抗を理由にその95%もを殺戮し尽くし、僅かばかりの不毛な居留地に先住民を総てを押し込めてしまったWASPと同じ感覚である。)
人間はサカナを獲るがイルカやサカナは人間を獲らないので漁師の主張は常に一方的である。

彼らはついつい日頃の口癖でイルカを「サカナ」と言ってしまう事からも判る通り、イルカの生命や、イルカを愛する世界中の人々の怒りや、子供たちの心など、全く一顧だにしない職業的偏見に満ちた冷血漢ばかりなのである。
世界中の人々から非難され、心の底から憎まれても尚、ただ金の為にイルカを殺し続ける者たちを「悪魔」と呼ばずして何と呼ぼう?
過去にイルカを「魚扱い」して虐殺してきただけではなく、いまだに「魚扱い」して虐殺し続けようとしている彼らの罪は限りなく重い。

皮肉な事に、彼らに生け捕りにされ、虜囚となってイルカショーで芸をさせられているイルカたちは多くの人々や子供たちをイルカの味方につけ、漁師たちのしている事は絶対に間違いだ…と ( 無抵抗主義運動を続けるガンジー師のように ) 黙々と訴える力となり、リック・オバリー氏のようなチャンピオン ( 代戦士 ) を産み出す事によって世界全体で少しずつ勝利して来てるのである。

このようなイルカ漁が行われ続けている事を知った、世界中の子供たちや、世界中の人々だけでなく、日本中の人々、つまり私たちだって、そんな酷い事をもうこれ以上、許しておきたくはない、ときっと考えるのに違いない。

 ● イルカをサカナ扱いするのをやめろ水産庁! ( その1 )
海で最も高等な哺乳類として大型のクジラ類と共に保護対象とされるべき「イルカ」を、サカナ扱いし続けるのを水産庁は即刻やめるべきである。
何れ近い時代には太地町を始めとする日本でのイルカ漁は、ク・クラックス・クラン ( KKK ) に代表される少し過去のアメリカでの卑劣な黒人差別や西部開拓時代のサンド・クリークやウンデット・ニーの虐殺事件、ベトナム・ソンミ村虐殺事件、ポル・ポト政権による殺戮、中世ヨーロッパの異端審問 ( 魔女裁判 ) や聖バルテルミーの虐殺、そしてヒトラー・ナチスの起こした「絶滅収容所での狂気い沙汰」などとも同種の、人類の象徴的な汚点として記憶される事になるだろう。

そしてその時代には世界のほぼ何処の海でもイルカはシャチ以外からは安全で居られるようになり、やがて海水浴場などでも野生のままのイルカが人々と交わるようになるかも知れない。

イルカたちは何故か人類とずっと寄り添ってきた。
あの大型のサメをも攻撃出来る巨体と遊泳速度を以てすれば、イルカが人間を海で翻弄したり殺したりする事などいとも容易い筈なのに、彼らは決してそうしなかった。
散々仲間を殺され続けている日本の周りの海においてさえ、彼らは攻撃的にならなかった。
( これはガラガラヘビが、インディアンや黒人には特に反応しないのに、自分たちの仲間を散々目の敵に殺してきた白人に対してだけ、条件反射的に攻撃性を示す…というのとは全く正反対の、極めて特異で宥和的な生物の反応である事に注意しなければならない。)

イルカは古代からずっと、人間と戯れたり人間を助けることはあっても、人間に意図的に危害を加えたことのない不思議な生き物として認識されてきた。
古代ギリシャではだから、イルカを殺した人間は死刑にされたのである。
日本人は、特に日本の漁民は、イルカに対して最も狂暴で凶悪な種族の一つである。
本当はイルカに攻撃されてもおかしくないのだ。
なのにそれは起こらない。
太地町の漁民は ( 無抵抗のまま殴り倒され続けるインド人の姿に、やがて圧倒されて殴るのを拒否したイギリス人の警官のように ) イルカに対して恥ずかしくならないのだろうか?
私たち日本人は柔和なイルカに対して恥ずかしくないのか?
私たち日本人は、この獰猛で強欲な、既得権に固執してイルカに危害を加え続ける者たちを、民族の残忍な代表としてこのまま放置しておいて良いのだろうか?
そして私たちがイルカとの宥和的な接点と思い込んでいるイルカショーは、その残忍なイルカ漁によって海から拉致されてきた拉致被害者を、牢獄に閉じ込めて餌で強制しての曲芸に過ぎないのである。
彼らを慰み物にし続けるのを止めて、海に返してやりたくならないだろうか?
今も海で出会えば温和であり続けるイルカたちを、私たち人間はこんな目に合わせておいて良いのだろうか?

可能な限り速やかに彼らを解放すべきである。
その為にイルカショーの楽しみが減ったところでどうという事はない。
真相を一旦、凡ての人が知ってしまえばあんなモノはもう楽しみでも何でもなくなるだろう。
あの水中サーカスに出てるコは、みんな、血染めの海で誘拐されて来たコたちなのだ。
普通の神経の持主なら海へ帰してやれ、と思うだろう。
が、横田めぐみさんとは違って彼らにはもう親は待っていない。
みんな太地町の悪魔の入江で刺し殺されてしまっているのだ。
そんな哀しいコたちの餌欲しさの演技を見せられて何が楽しいものか。
早くみんな、せめて、海に帰してやってくれ。
「ザ・コーヴ」はその事を訴える為の映画である。
この映画の上映を断った総ての映画館主の良識を疑おう。
これは人類とイルカの関わりあいに於ける「正義」を守る為の戦いである。
この映画はまさに作られるべくして作られた最も優れたドキュメンタリーである。
文句のあるヤツは出て来い!

奇妙な事に法律や権力というのは、ただ金銭面ばかりを重視して権利を決めてしまう。
金銭に関係のない「人々の心の痛み ( や感情 ) 」になど特に配慮する必要など無いと、驚いた事に日本の水産庁の役人たちは本気でそう考えているのだ。
( 役人が民衆の心の痛みや感情に全く無頓着で冷酷なのは、年金問題や血液製剤厄禍、B型肝炎被害などでの彼らの長期に渡る非情な対応ぶりで、今更一々説明するまでもないだろう。)
その為に国民の大多数を占める人々の意志や感情には全くと言って良いほど配慮せず、ただ海に棲む者たちの生命を果てしなく収奪する事で生計を立てている「漁民」という獰猛な種族の都合にだけ配慮して、その支配権を与えてしまっているのである。
このトンデモない特権によって ( 現在では水産庁の規制で或る程度の制限はなされているものの ) 幾つもの海洋生物が絶滅の危機に曝されて来た。
にも拘わらず彼らは、自分たちのせいでソレが起きたとはなかなか認めようとせず、しばしばイルカが食べ過ぎるせいにして、未だに獲れれば獲れるだけ、稚魚に至るまで取り尽くしてしまおうとして来た。( 今も獲り過ぎでサバなどどんどん小型化して若いサバが獲られてしまっているし、カタクチイワシの稚魚を大量に捕獲してしまうシラス漁も、産卵の為に浮上してくる富山湾の母ホタルイカへの ( 産卵前の ) 残酷な漁も、資源減少は見られないとして相変わらずそのままである。)
それこそが大自然の全体を決して洞察しようとしない日本の漁師たちなのである。
その魚介類に対する獰猛さが、そのまま世界中で愛されているおとなしいイルカに対して向けられ、世界中から非難されてもまだ、愚かな水産庁の出す許可を盾に、イルカを殺し続けているのである。

 ● 捏造云々の根拠のない言い掛かりは、唯この映画の評判を何とかして落としたいだけだ
実際に「ザ・コーヴ」終盤の殺戮映像が、今回の撮影期間中に撮られたものでは絶対無い…とまでは言い切れない筈である。
何故なら、この映画の撮影期間中のイルカ漁にこんな場面があった筈はない…と主張しているのは、( それがあったのでは絶対に都合の悪い ) 太地町の漁師たち、および現場に立ち会って確認していた訳でもない「水産庁担当者」だけなのだ。
そしてそのような反論を証拠立てるような、別の現場映像は、存在していないのだ。

この映画「ザ・コーヴ」には「太地町以外のイルカ漁の映像も混ざっている」等と水産庁の担当者なども安易に口にはする。
だが、「では正確にその事を証明できるのか?」…と問い質してみると、結局、何一つその証拠を示す事などは出来ず、彼らにも実態は分からないままなのである。

つまり映画「ザ・コーヴ」の伝える映像に、客観的に明確な疑義を差し挟むべき根拠などは存在しておらず、残酷な殺戮映像自体は確かに存在し、イルカたちは ( この映画が完成しオーストラリアで昨年封切られて以後の ) 去年の9月から今年の3月までも日本全国各地で確かに1万頭以上殺されており、その太地町での「最近の殺し方」が映画で見せられたのよりは凄惨でない…という「明確で信憑性のある証拠」は、未だ何処にもないのだ。
( 但し、この期間の100頭のバンドウイルカについてだけは1頭も殺されなかったらしい。)

ならば差し当たりは、映画の伝えたような惨殺は今でもまだ実際に行われ続けていると考えておいて構わないだろう。
( 即ちこの肝心な部分での映画反対者の反論は、完全に失敗しているのだ。)

現在和歌山県太地町の他にイルカを殺している港は、対馬、静岡県 ( 川奈、伊東市富戸、西伊豆市 ) 、長崎県壱岐市勝本、宮城県、青森県、岩手県などであるという。
それらは太地町と同じ追い込み漁の他、突きん棒 ( 電気モリ ) 、網などによる漁である。
( 最も沢山獲られているのは東北でのイシイルカである。)

全国の小学校に給食としてイルカ肉を送り込み、強制的に日本中の小学生に食べさせて「イルカ食は日本の文化だ」の共犯にしようと画策していた太地町は、イルカ漁を拡大して日本中にイルカ肉を流通させるべく、2007年に3億3千万円の予算を付けて巨大なイルカ解体処理工場を作ろうとはしたものの、却って世界中から非難を浴び、その上イルカ肉など歯クジラ類のメチル水銀、水銀、カドミウム、DDT、PCB等の特に高濃度の汚染実態が明るみに出、更に少し前のJAS法の改正で「イルカ肉をクジラ肉と表示して売る」事自体が禁止された為に、一切が大失敗に終わっている。
( 2006年、太地町が地元小学校の給食に提供したイルカ肉のメチル水銀と水銀の汚染濃度は、厚生労働省の許容規準の10倍に達している事が判明し、地元小学校でさえ給食をやめた。)

イルカやマグロ等の、メチル水銀や水銀の高濃度汚染は、それらを含む食品全体を一年以上も全く食べなければ人体が次第に代謝排出して通常レベルにまで戻りうるとされてるものの、さすがに心配になったのか太地町漁民自身が環境省国立水俣病総合研究センターに要請して、体内残留濃度を検査した結果は2010年5月9日に漸く ( ザ・コーヴの公開前に慌てて? ) 公表され、一般平均値の4 〜 4.5倍にも達する事が判明した。

尚、「ザ・コーヴ」の世界公開によってイルカ捕獲と殺害に対する世界的な非難が高まった為にか、2009年最初の漁期に追い込み漁で捕獲されたバンドウイルカ100頭の内70頭は殺害されずに海に返された。
が、残りの30頭の拉致被害イルカたちは、各地のイルカショーに高額でその身を売り飛ばされ、海に帰ることが出来なかった。

残念ながら現在迄の「イルカを救え」キャンペーンは、「イルカの追い込み漁」に対してだけであり、洋上で行われている ( 実は殺傷全体の9割を占める ) 突きん棒や捕鯨モリその他による残酷なイルカ漁に対しては、全くと言って良いほどキャンペーンが行われていない。
( 世界では日本やフェロー諸島の他に、ソロモン諸島、ペルー等で未だにイルカが捕獲されているが、日本は太地町や壱岐、静岡などのせいでその内でも最大の悪者と考えられている。)

世界各国のイルカショーや水族館の為の捕獲が、ほぼこの和歌山県太地町の追い込み漁に依っている事は、映画の言う通りまさしく事実で、その数は年間約100頭弱であるという。

つまり全世界のイルカショーや水族館に居るイルカたちの大部分は、北朝鮮拉致被害者と同じ立場でソコに居る、海からの拉致被害者たちなのであり、しかも彼らは太地町の漁師たちに親兄弟や友達から引き離されて売られただけでなく、その多くを虐殺されてトラウマを抱えたまま、餌になる魚も泳いでいない狭い牢獄のような場所 ( 数十メートル程度のプール ) に閉じ込められ、恐ろしい記憶を与えた人間たちに取り囲まれ、囃し立てられつつ、僅かばかりの死んだ魚を餌として貰う為に、半ば強制的に芸をさせられ続けている虜囚なのである。
芸を全くしなければ殺されて、イルカ肉にされ、売られる運命なのだ。
私たちがイルカショーで見てる可愛いいイルカとは、そうした過酷な状態にある虜囚たちの哀しい姿なのである。( そういうコたちを解放した事でリック・オバリー氏は投獄されたのだ。)
彼らは嬉しそうにはしゃいでるように見えても、決して喜んでなどいない。
自分勝手な人間たちが勝手にそう見ようと自己正当化してるだけの話だ。
彼らをせめて海に解放してやろうとする人々の行動が何故、偽善的だの夢想的だの感傷的に過ぎるだの、破壊行為だのテロリストだの言われなければならないのだろう。

それはつまり、権力や法律というのは経済的にだけ物事を捉えて主に経済的に優位な者たち ( つまり金持たち ) にとっての経済的な被害を防ぐ為にしか作られていないからである。
イルカショーや水族館での展示を止めてイルカを解放し、海に返してやるとか、イルカを獲るのをやめさせられるのは、そうした施設やイルカ漁師やイルカ取引で儲けている人々にとって経済的損失が出るから悪し様に言われるだけであって、それをついつい熱血漢的に強行しようとするからテロリストなどと呼ばれてしまうのである。

 ● イルカをサカナ扱いするのをやめろ水産庁! ( その2 )
水産庁の職員を含め漁業関係者の多くは、未だにしばしばイルカを「サカナ」と呼んでしまっていることに注意しなければならない。
彼らにそれを指摘してみると、「漁業関係者としてはイルカをも普段“サカナ”と呼んでしまうのは致し方ない」…とのことだが、高等哺乳類であるイルカたちをそうやって“サカナ”と呼んでしまうことに何の問題意識も感じてない事にこそ、世界中の多くの人を本気で怒らせながらもまだ「食文化だ」「情緒的に過ぎる」「イルカは唯の捕獲対象動物です」等と言ってしまえる、その無神経さの根源であると感じる。
彼らは人体実験をやったナチスの「呪われた医師」たちや、中国や韓国で現地の捕虜の一部を“人間”ではなく“丸太”と呼んで平然と生体解剖していた731部隊の医師や軍人と同質の冷酷さを、イルカに対して平然と持っている人間たちである。
そうでなければ調査捕鯨の名目で捕鯨を続けたり、足りない分をイルカの捕獲で補うなどという方法で、日本のホンの一部の地方の食文化を維持する等という、そんな馬鹿げた事を、世界中の先進国の論調にワザワザ抗してまで出来る筈は無いからである。
彼らイルカ漁に関わる者たちは、利権や金銭や権限維持の為に人間本来の心を棄て、ナチスや731部隊の医師や軍人と同質の冷酷さを獲得してしまっているのだろう。

 ● イルカ漁反対派として当然の疑問を列挙しておこう
ザ・コーヴはイルカ漁反対者による一方的な攻撃でバランスを欠いていると言うが、( イルカ漁反対者による世界中からの轟々たる批判が有るのを知りながら ) 取り敢えず捕獲を減らしたり保留して議論するのではなく、資源的観点からの水産庁の許可を盾に、それらの批判の心情的側面一切を無視して、一方的にイルカを殺し続けているのは太地町その他のイルカ漁師たちの方である。

映画は太地町の漁師に配慮してないと言うが、では太地町の漁師はイルカに配慮してるのか?
イルカに友達と同じ親近感を持ってる多くの人々の悲痛な心境に少しでも配慮しているのか?
( そうした人々の目を避けて秘かに殺しているというのは、別に配慮の故では無いだろう。)

太地町の住民は毎年たった一人でもイルカに殺されているのか?
イルカたちは何もしてないのに、ただ一方的に大量殺戮されてるだけである。

イルカに配慮しない者たちは、イルカを愛する映画制作者に配慮されなくとも当然である。

イルカを網で捕らえて傷付け、残酷に殺そうとする者は、その網をナイフで傷付けられても文句が言える筋合いだろうか?
それはテロではなく単に「レジスタンス ( 抵抗 ) 」であり、イルカを愛し護ろうとする人々の止むに止まれない「正当防衛」なのではないか?
誰でも自分の目の前で友達や家族や恋人が殺されそうなら、その位の抵抗は凶悪犯に対してだってするだろう。

イルカを殺す銛を前より鋭利で血が沢山出ない道具に変えた位の事はイルカに対する配慮だなどとは言えず、単に水産庁役人や漁師たちが自己正当化する為の言い訳でしかないと見える。
それは自分の家族を殺す殺人犯の凶器が、出刃包丁でなく鋭利なメスなら、犯人は被害者に十分に配慮してたから無罪…と判決されるようなものではないか?

どうしてそういう最も基本的な人間の感情に気付けないほど無神経なのだろう?

太地町の漁師たちは自分の家族が目の前で網に掛かり、その鋭利で特殊なモリで誰かに突き刺されそうでも、( 網を切ると違法行為で警察に捕まるから ) 網を切らずに自分の子供が殺されるのを助けずに我慢するのか?
自分のボロ儲けの商売が危ういというだけで声を荒げる太地町の漁師たちが、そんなに我慢強い筈は多分無いだろう。

世界中のイルカを愛する人たちにとって、イルカが殺されるのは、友達を殺されるのと同じ事なのである。
黙っていられる筈がないだろう。
それなのにそれを感傷的だとか、情緒的に過ぎるとか、論理的でないと言ってせせら笑う冷血漢が居るのである。( 自分自身は金銭や机上の空論にしか関心がないクセにだ。)

この映画のような場面を実際に見せられたら、恐らく世界中の子供たちが泣き叫ぶだろう。
それは単に子供たちが未だ無知だからではなく、本能的にそうなるのだ。
太地町の無神経な漁師たちには、その子供たちの泣き叫ぶことの真の意味が分かっておらず、その本当の意味を ( 金儲けに目が眩んで ) 少しも分かろうとはしていないのだ。

既に時代が変わり、かつては何でもない些事だと思っていた女性社員への上司のセクハラが、今ではたったの1度でさえ即時「懲戒免職」になりかねないのと同じように、既にイルカ漁は殺人とほぼ同じレベルの悪事だと考える人々が多数派、どころか大多数になって来ているのである。
「イルカ漁は日本の食文化」などと馬鹿な反論をしてしまえるところが、イルカ漁関係者たちの決定的な時代錯誤の証拠なのである。
( 実際には「日本の食文化」ではなく「日本の極く一部に残る食文化」でしかない。)

イルカ漁を「悪魔的」に描いた…などと言うが、今や太地町の漁師はイルカにとってもイルカを愛する人々にとっても、正真正銘の「悪魔」なのであり、決してそれ以下ではない。
「悪魔的」などという言い方で、自分たちが悪魔より幾分かマシな存在であるかのように、勝手に表現を甘くしないで欲しい。
毎年何百何千何万頭ものイルカを殺し続けてる日本の漁師たちは、イルカにとってもイルカを愛する人々にとっても、紛れもなく「悪魔」なのであって、それ以外の何物でもない。
自分の愛する家族や子供や友人を、目の前であんな風に殺されたら、誰でも殺したその相手を悪魔と呼ぶだろう?
誰でもその悪魔を退治したくなるだろう。( 但し可能な限り合法的な方法でだ。)
自分たちのその姿が世界中のイルカを愛する人々から「悪魔」に見えるという事にさえ気付かないほど無神経だからこそ「悪魔的に描いた」などとトンマな批判を口に出せるのであり、だからこそ太地町の漁師たちの心は本当に「悪魔」のソレなのである。
彼らのしてる殺戮行為が、人間を殺しているのと全く同じに見えるからこそ、イルカを愛する人たちには彼らが「人間」ではなく「本当の悪魔」に見えるのである。

彼らホンの少数の「悪魔」が、自分のしてきた事を悪事と認めずに居直る事で、彼らの所業をこれまで全く知らずにいた日本人全体が悪魔の仲間だと思われる。
そのことは、日本民族の全体にとっての大変な迷惑である。

いい加減に目を開き、世界に向かって今後一切イルカ漁はしない、とハッキリ言いなさい。

・……………………………………………………………………………………
( 情報 ) ( 2010.9.24. 追記 )
残酷な方法でのイルカ殺戮が相変わらず続いてる…という 2006.10.23.時点での目撃証言

ジャパンタイムズ2007年2月14日付けの記事には、2006年10月23日に太地町の追い込み漁とその後の殺戮解体 ( 時には生きたままの解体 ) の様子を、自分の目で目撃した人の纏めた記事が載っている。( http://www.all-creatures.org/ha/dolphin/petition2stopDolphinKilling.html に、その日本語訳がある。)

その記事中に、殺してイルカ肉として売る場合は1頭あたり7万円程度だが、イルカショーなどに売る生きたイルカは1頭あたり 600 万円程度にまで値が吊り上がってる…という注目すべき指摘がある。

ざっと86倍の価格差であり、毎年100頭もの拉致被害イルカを売り飛ばして営利誘拐事業を続けている太地町は、その分だけでおよそ8600頭分、即ち6億円もの収入を上げてる…と推定可能である。

太地町が、純粋に ( メチル水銀汚染肉をバラまく ) 食文化維持の為に流通させてる、残りの全頭数から上がる売上の5倍もの売上が、この営利誘拐事業の方で上がっているのである。

かくして、売り上げ金額の面からも、太地町のイルカ追い込み漁が「食文化の為」というのは口実または隠れ蓑であって、古来よりの伝統どころか、精々数十年の実績しかない「イルカの営利誘拐・生体転売事業」こそが、太地町「イルカ追い込み漁」継続の、主たる目的である事がここに判明したのである。

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水産庁の役人の見解や決定如きで私たちがそれに従ってあきらめる必要など無い。
奴等はイルカ殺戮の共犯者であって、これまでの自分たちの判断ミスを認めて謝りたくない為に、自分たちは正しいと言い続けてるだけだ。
決して「何事にも真剣に取り組む者たち」の回答ではない。
こんな奴等に支配されて雁字搦めにされ、何も出来ないでいるなど、もう沢山である。


( 疑問符 ) ( 2010.7.8. 記 )
水族館やイルカショーのイルカはみんな横田めぐみさん等「北朝鮮拉致被害者」と同じ境遇にある

…という全イルカ解放運動キャッチフレーズ。( このインパクトは日本人には大きいだろう )

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 むろん優良な広々とした動物園にいる大多数の動物たちもまた、罪も無いのに捕らえられて、何年も不当に拘留されてる留置場や拘置所の中の虜囚と同じ状態である。
人類は他の動物に対するこうした暴力を早急に止めて、彼らを解放すべきである。


( 疑問符 ) ( 2010.7.16. 記 )
手加減しつつ遠慮気味に妨害してるエコテロリストを“テロリスト”と呼ぶのは間違いである

「捕鯨やイルカ漁妨害を事業にした」との批判も、ボランティアでは効率的で継続的な反対活動など出来る筈も無いので、批判自体が多分に詭弁であり、的を射ていない。

逆の視点で考えてみよう。

 ● もしも彼らが本当に本気の「テロリスト」なら、あんなもので済むだろうか?
イルカ漁や捕鯨を妨害するシーシェパードが、もしも本当に本物のテロリストなら、きっとイルカ追い込み漁のさなかにマシンガンを携えてモーターボートで入り江に突入し、太地町のイルカ漁師を全員射殺して太地町のイルカ漁それ自体を全滅させるに違いない。

違うだろうか?

彼らがそこまではやろうとしないのは、やはり彼らは止むに止まれぬレジスタンスであって、決して本物のテロリスト ( 暴力主義者 ) なんかでは無いからである。
彼らは多分に短絡的で行き過ぎてはいるものの、世界中に数多くの支持者のいる動物保護団体でもある。( 幾つもの国がテロ団体と認定してるがエコテロは半ばトムとジェリーではないか? )
何しろオーランド・ブルームやクリスチャン・ベール、マーチン・シーン、ピアース・ブロスナン、ヘイデン・パネッティーア、ユマ・サーマン、ダリル・ハンナなどまでが米国社会で公然と支持を表明してるのだ。
むろん威嚇でなく銃を使って人を殺傷したりすれば、シーシェパード支持者の殆どは離れて行くだろう。
故に彼らを単に“テロリスト”と呼ぶのは間違いであるが、日本のメディアは彼らを悪く見せようとしばしば意図的にエコテロリストではなくテロリストとだけ呼んで批判してる事に注意しよう。
シーシェパードの代表ポール・ワトソンは日本政府の要請で国際指名手配されている。
そこで日本ではこの指名手配を根拠に犯罪者呼ばわりしているが、実際には「彼が犯罪に関連してないか追加情報提供を各国警察に要請してる」だけのブルーノーティス ( 手配 ) であって、「即時本人逮捕を要請してる」レッドノーティス ( 手配 ) では全然無い。
故に日本マスコミの「犯罪者が出てるのにこの映画を上映するのか?」という配給会社アンプラグドへの非難がましい論調は、全くの詭弁 ( 事実を見誤らせて読者や視聴者を自分たちの意図する方向に誘導しようとする意図的な誤魔化し ) であった事に注意しなければならない。
( 日本のメディアはしばしばコレをやるのである。)

エコテロリストの問題点と課題は、妨害相手への破壊行為や傷害行為とならないもっとユーモラスで効果的な手法が、未だ開発出来ていない事である。


( 疑問符 ) ( アイディア◆ ) ( 2010.7.9. 記 )
イルカショーや水族館に居るイルカたちをせめて海に帰して上げる為のいちばん簡単で合理的で合法的な方法

 ● 拉致されてきたイルカを帰すには皆でイルカショーや水族館に見に行くのを我慢すれば良い
沢山の仲間たちを殺され、海から突然拉致され、残った仲間たちからも引き離され、餌となるような魚を意図的に1匹も泳がせていない殺風景な狭い牢獄のようなプールに閉じ込められ、その恐ろしい太地町の入江での拉致被害記憶を呼び起こすような、沢山の人間に囲まれ囃し立てられながら、唯々毎日、死んだ魚を餌として貰う為だけに強制的に芸を仕込まれ、演じさせられ続けてる拉致被害者である可哀相なイルカたちを、イルカショーや水族館に見に行くのを我慢しよう。

 ● 金儲けにならないと殺されてしまうかも知れないイルカをみんなで買い取って海に帰そう
イルカショーの観客が減って成り立たなくなると不要になったイルカは殺されてクジラ肉と偽って売られてしまうかも知れない。
だからみんなで「可哀相なイルカを殺さずに海に解放しろ」運動をするか、みんなでお金を集めてイルカたちを全部買い取り、何とかして彼らを海に帰してやろう。

イルカショーや水族館の展示に人気が残っている限り、幾らみんなでお金を集めて買い取っても、また別のイルカが海から誘拐されて来るだけだ。
だからみんなイルカが幾ら好きでもイルカショーのイルカを見に行くのは絶対にやめなければならない。
動物園もそうだが、イルカショーや水族館は人間たちの我が侭で勝手に動物たちを誘拐して来て、動物たちを「北朝鮮拉致被害者」みたいな目に合わせて、金儲けしてるだけの場所である。
それぞれの動物たちはやっぱり故郷にいるのがいちばん良いので、人間は見たかったらその故郷に遠隔カメラでも設置して、彼らの映像でも見てりゃ良いのである。
もしどうしても本物を見たければ、人間の方がその場所まで本物を見に行けば良い。
ちょっとばかり人間が楽して愉しむ為だけに、イルカや動物たちを誘拐して、閉じ込めて、辛い哀しい目に合わせても良い…なんて理屈は、傲慢過ぎて人間社会でだってもう通用しないのだ。


( 疑問符 ) ( 2010.7.10. 記 )
太地町漁師たちの主目的は「北朝鮮と同じく拉致」であり「営利誘拐」であること
 ( つまり日本の食文化の為でなく、営利誘拐による金儲け目的である事が証明されてしまった。)


現地の漁民が「イルカ漁反対映画を本気でなく金儲け」と誹謗中傷攻撃するなら「太地町漁師たちは日本の食文化の為でなく、ただ金儲け目的でイルカ漁を行っており、その証拠に、生きたイルカを拉致誘拐してイルカショーに高く売り飛ばす ( 事実上のイルカ“営利誘拐”ビジネス ) を優先している」と真っ向から非難する事が出来る。

彼らは自分たちの展開した論理がそのまま自分たちの首を絞める決定的な「致命傷」になるのだとは気付いていなかったのだろうか?

その証拠にリック・オバリー氏らの映画「ザ・コーヴ」がオーストラリアで封切られて以後の2009年のイルカ漁で獲られたバンドウイルカの内、展示用として売り飛ばした以外の約70頭を殺さずに海に返している。
無論これは映画の公開で高まった世界的な批判によって殺す訳にゆかなくなった結果であろうし、リック・オバリー氏らの勝利と考えて良いのだが、何よりも「日本古来の伝統食文化」だから…という彼らの反論が実はそれほど真実ではなく、多分に言い訳で、本当は「展示用の捕獲というもっとボロい金儲けこそが、そのイルカ漁の主な目的に変わって」しまっている事の明白な証拠なのである。
この事実は、太地町漁師の真の目的が ( 普通に想像される通りに ) 単なる金儲けの為の「海からのイルカの拉致誘拐」であり、その「生体転売身代金事業 ( = 営利誘拐 ) 」という、非道な人身売買同様の国際的誘拐犯罪であり、国際的に非難されても当然のモノであった事の証明である。
即ち、伝統ある捕鯨で知られていた和歌山県太地町は、日本の極く一部での伝統的食文化の担い手では無く、いまや国際的なイルカ営利誘拐団のアジトであり、日本の水産庁と地元警察はその組織の護持集団であったというトンデモない真相が世界に露見してしまったのである。
この事がインターポールの捜査対象とならないのは、まことに残念である。


( 疑問符 ) ( 2010.7.12. 記 )
イルカ愛護が日本で適切に行われない最大の原因はその事の本質である国民や全人類の心情や愛情の砦となるべく道徳省とでも呼ばれるような独立省庁が全く存在していないことに因る

イルカや他の動物たちを資源や環境の一環として捉え、それを護るに必要な措置を取れる省庁は存在しているのに、その一方で人々の心情という実は経済にも匹敵する程の巨大な社会的原動力に対して、ほぼ経済成長一辺倒で来てしまった日本の社会は、その事に殆ど配慮せず、成り行き任せにして来た為に、多くの場面で多大な苦痛を民衆に強いて平然として来た。

そのような例は、例えば公害問題や、福祉を置き去りにした行政や、民衆を愚民化して無知なままに止めて置こうとする権力に汚染されたマスコミの放置や、格差問題の解決法を知りながら放置して来た日銀の在り方等々である。


( 疑問符 ) ( 2010.7.7. 記 )
イルカ擁護論者を批判する批評家やジャーナリストたちへ
 お金で傭われている批評家やジャーナリストなんかに一体どうして「公正な批評」など出来るというのだ?

小さな演出や、部分的に演技での再現などが編集的に入り込んでいるのを見付けて指摘し、それを以てそのドキュメンタリーの全体が捏造であるかのように論じるのは、それが捉えている不都合な真実を隠蔽したい側の常套手段である。
そうした演出や再現が細部に入り込むのは余り誉められた事ではないが、だから作品全体が大筋でウソだという事にはならない。

大体、世のニュース報道にしてからが、その大部分が作為的に作られたストーリーに沿って説明されてる権力側のプロパガンダに過ぎないので、上のような批判それ自体が対抗勢力のプロパガンダだと捉えるしかない。

イルカ擁護派の映画に限って「情緒的に過ぎる」「非科学的だ」「論理的でない」「オカルト掛かっている」「イルカの知能の高さなど証明されていない」「そんな事を言ってるのジョン・リリー博士だけ」「唯のビジネス」「金儲けが目的」「イルカ愛好家の為のお伽話フィクション」などと切り捨てて、さも自分が冷静で科学的で偏見を持たない人間であるかのように見せ掛けようとする連中のした批評が並べ立てられるのを読まされる。

が、彼らは自分がどれ程に科学的で冷静で中立だと言うのだろう?
「唯のビジネス」「金儲けが目的」だなどと言うのはイルカ擁護派の脚を掬わんが為の中傷であり、何でもいいからとにかくイルカ擁護派を悪く言う為だけの、自分の事を棚に上げた形振り構わぬ攻撃でしかない。
ならば自分たちは一体何だと言うのか?
金で傭われて出版社や新聞社の売上部数や広告料獲得の為に、その意向に沿ってモノを書いてるだけの存在ではないか?
新聞を含めたジャーナリズムが、全体としてはただ権力に媚びて、その都合に合わせてしか何も書けない、言えない哀れな存在でしかない事は、自身がいちばん良く知ってる筈ではないか?
偉そうな批評をするんじゃない…と言いたいところだが、こうした批判そのものが実は彼らの自発的な自由な意見では到底無くて、そうした権力や広告主や社会支配層の指し示すところに従って為されていることは明白なのである。
奇妙な一致がそこに見え隠れしていて、こうした情に反する冷ややかな批判言は必ず常に、正直で宥和的な人々に対してなされる事が多い。
それは例えば慈善的な金持ちを偽善的と思わせる噂だったり、真の平和主義者を現実を見ない夢想家と呼んだり、戦争反対論者を非国民と呼んで糾弾したり…というお決まりのやり方である。

私たちはそうした工作的な非難によって、本当に熱い心でこの世界を少しでも良くしようとしている優しい人たちの真意を疑ってはいけない。
この世界は実際には謀略だらけである。
自分が正しいと思う同じ事を、必死にやってる人たちをとにかく信じようではないか?
その方が世界は少しはマシになるのだから。

2010年7月11日

うつぎれい


( 疑問符 ) ( 2010.7.18. 記 )
隠しカメラで撮ったという漁民側の非難は“隠しカメラでならあの殺戮場面は撮影可能”の証明

「映画は隠しカメラで撮られてる」…というザ・コーヴに対する非難および批判は、一見するとその撮影の仕方の不当性を主張してるだけのように見える。
が、本当にそんなやり方では現在イルカ漁をしてないのなら“隠しカメラを使っても撮れる筈がない”ので、太地町漁民や水産庁の「「あれは隠しカメラで撮ったんです!」という非難言は、皮肉にも「隠しカメラでなら、あの酷い殺し方のイルカ漁が、2007年にもまだ撮れた」ことの証明となり、映画終盤での衝撃的な映像が太地町のものである信憑性はますます高くなった。


( 疑問符 ) ( 2010.7.18. 記 )
「ザ・コーヴ」批判者の問う“ドキュメンタリー”とは何か?

ドキュメンタリーというのは云わば映像による論文であり、通常の論文が構成や推敲を加えた上で出来上がるのと同じく、演出や編集を加えて何らかの主張を行うべく作られるものである。
ドキュメンタリーには如何なる演出も作為もその細部にあってはならない…というのは、ドキュメンタリーが通常如何にして作られているのかを全く知らない人か、知っていながら一般の人々が良く判っていないのを良い事に、そう論じて自らの主張を有利にすべく「詭弁」として論じる人によってのみ為される主張である。

例えば普通の人々に大きなカメラをいきなり向けて話を聞こうとすると、多くの人は落ち着かなくなり ( 或いは逆に気持ち良くなって ) 、普段とはまるで違う様子になってドキュメンタリーにはそぐわない映像になってしまう。
部屋の中に大きなカメラを構えた人が居る前で、そのカメラに全く注意を向けないで普段通りに親子が会話してる等という映像が、予めの段取りや打ち合わせ無しで撮れると考える方がおかしいのである。
かくして、そういう作り込み一切無しでのドキュメンタリーというのは、厳密に言えば殆ど成り立たない事がわかる。

良く考えてみればテレビの映像というのはほぼ全部、そうした細部をコントロールする事でそれらしく見せられているだけのモノである。
上手く行かなければ頼んで取り直しも行われる。
これを悪く言えばヤラセである。

だが全体がヤラセだけで出来ている全くの創作ではなく、テーマや肝心の部分の映像が本物であれば、それがドキュメンタリーと呼ばれる事には特に問題などない。

映画「ザ・コーヴ」はイルカ漁に対する強烈な批判をテーマにしたドキュメンタリー作品であるが故に、イルカ漁関係者や水産庁遠洋課、漁業資源課などの関係部所にとっては、何とかして少しでもその評価を下げてしまいたい映画なのは絶対に間違いない。

だからその極めてドラマチックな前半部分での撮り方や、英語版ナレーションでの不注意なオーバートーク等を摘まみ出して、作為的だとか捏造的だとかのこちらもまたオーバーな言葉を使って、恰もザ・コーヴが全くの創作であるかのように錯覚させようとする批判を沢山読まされた。

が、それらの批判の大半は詳しく分析してみると結局「詭弁」の類いで、映画「ザ・コーヴ」はその主張の基本部分に於いて全く正しく、私たち日本人は彼らがもしこうした劇的な形で提示して呉れなければ、この余りにも酷いイルカ漁の現実を全く知り得なかったのである。

当事者たちが真実をひた隠しに隠して「今ではこんなに残酷な殺し方はしていない」「あれは昔に撮られた盗撮映像だ」等と否定していても、実際に今でも毎年9月〜翌年3月にかけて日本中で最大2万頭も殺されるイルカたちの90%は、ああした残酷な突きん棒漁というやり方で漁師たちに刺し殺されており、太地町の入江でのあの映像は「昔の…」とは言っても精々2005年春か2007年頃に撮られたモノと考えられるのだ。( ← どこが昔だ?! )
この推定を否定出来る反証は一つもなく、イルカたちは2009年9月〜2010年3月にかけても日本中でおよそ1万頭以上もマグロ同然に殺され続けたのである。

この映画「ザ・コーヴ」のお陰でさすがに世界中の目を意識したのか捕獲頭数は減り、そしていちばん目立つバンドウイルカについてだけは、昨年9月の太地町の最初の漁期に於いて、捕獲された100頭の内70頭が殺されずに海に放される…という「反対運動の成果」が漸く上がった。

但し、その残りの30頭は「海からの拉致被害者」として、世界中のイルカショー用に高値で売り飛ばされたのである。
この印象的な事実は実は或る“重要な証明”となった。
それはつまり、太地町のイルカ漁が実はやはり“日本の食文化”の為でなく、もっと割の良いイルカショー用イルカの営利誘拐事業としてこそ、維持されようとしているのだという事を証明してしまったのである。
これは太地町のイルカ漁にとって、まさに決定的な致命傷である筈である。
もう一度言う。
太地町は「日本の食文化」を盾にしているものの「イルカショーに高く売り飛ばす」為にこそ、イルカ漁を続けたいのだ。( 他の漁港はともかく、太地町ではそうなのだ。)

これらの事一切を ( テレビや新聞マスコミの常に漁業者寄り、水産庁寄りの偏向した報道により、毎年1000頭ものクジラの調査?捕鯨やイルカ漁にも、国内では一切反対など出来ないかのような論調を作られて ) ずっと目隠しされ封じられて来た日本国民は、この映画によって初めてその真実に直面したのである。

前半のややドラマチックに過ぎる部分に気付きながらも、この映画の重要性を認め「長編ドキュメンタリー映画賞」を授与したアカデミー賞選考委員会を始めとする多くの映画賞選考委員会に感謝する。


( 疑問符 ) ( 2010.7.4. 記 )
ザ・コーヴを観に行く前日の、妙な上映反対運動に対する印象
 多くのフツーの日本人はイルカ漁を続けて欲しい等とは思っていない筈だ
 断じて「日本人の代表的意見」でもないモノが、そうであるかのように報じられる事の異常性。


日本人の多くにとっては、これまで行われている事さえ知らなかった和歌山県や静岡県のイルカ漁は、日本や日本の文化を代表する事柄では到底なく、日本人の一部が他の地域には殆ど知られず行って来ていた恥ずべき行為でしかない。
( 但し私たちも不注意で、かつてオリビア・ニュートン・ジョンがその事を非難して来日を中止した時、彼女が何故それ程強くその事を言ったのかをうっかりと看過せずに調べて、それが極くたまに数頭…どころの話では全然無いという事にもっと早くちゃんと気付いているべきだった。)

このように感じる多くの日本人の意見を全く確認する事も無しに、「アメリカは日本を敵視するのか?」とか「日本人の伝統文化は守られるべきだ」とかの身勝手な主張を、( あたかも自分たちが「日本」や「日本の文化」の代表者ででもあるかの如くに ) 一部の奇妙な人々が行うのは、僭越極まる全く勝手な主張である。

こういう居丈高な人々の意見は、断じて「日本」や「日本人」や「日本の文化」の“代表的意見”なんかでは有り得ない。
世界中の多くの人々の愛するイルカを虐殺していながら、それを非難されたからと居直って「日本の文化だ」と主張し、日本のイメージを自分たちのショービニズムの故に低下させることに何の躊躇いも罪の意識も感じない人々になど、誰が味方するものか。

“イルカは人間の友達”は、多くの事例と事実に支えられた、いまやほぼ全世界的レベルの認識でもある。

今回の奇妙な反対運動勢力による上映妨害的な圧力で、日本の多くの映画館が上映を控えた…等というのは、それ自体が極めて恥かしい腰抜けぶりである。
全体から見ればホンの一部でしかない者たちの為に、日本国民全体がイルカの大量殺戮に対して何の異論も唱えられないほどに腰抜けだ…などとは思われたくない。
「わたしたちは日本人だが、イルカをこれ以上1頭も殺して欲しくない!」と、日本国内と世界に向かってハッキリ言おうではないか?

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 この映画の関係者はプロモーション的にも本気で日本人一般に、イルカ漁の是非を問うアンケートを実施してみた方が良い。( 多くの日本人が「イルカを殺すのはやめるべきだ」にチェックを入れるだろう。)
そうすればそれを根拠にマスコミに流させる事も可能である。

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 発端;渋谷での「ザ・コーヴ」の上映が中止されかれたというニュースに憤りを感じてのメモ


( 疑問符 ) ( 2010.7.5. 記 )
「ザ・コーヴ」を観て来ての先ずはたわいもない第一印象
 和歌山県太地町は現代日本のアウシュビッツ ( 入江はガス室 ) である
 まるでミッションインポシブル!これ程出来の良いドキュメンタリー映画を私は観た事がない!


アカデミー賞がこの作品に与えられたのは全く当然であろう。
和歌山県太地町は現代日本のアウシュビッツ ( 必死に隠されていた入江はガス室 ) であることが今や世界中に知れ渡った。
世界中でシーワールドや水族館という名の留置場に閉じ込められ、生きたまま飼い殺しにされてイルカショーで卑屈な演技を強いられてるイルカたちのかなり多くが、この入江での殺戮直前に仲間から引き離されて心に深い傷を負った生き残り ( いわば北朝鮮拉致被害者と同じ運命 ) なのである。
彼らにもし言われる通りのテレパシー能力があるとすれば、彼らはその直後の仲間たちの凄惨な死の瞬間をもテレパシーで察知しているのに違いない。
そうして彼らは深い心の傷を抱えたまま、狭い水の牢獄内で一見楽しげに演技して泳いでいるのだろう。
それには私自身全く気付いてもいなかった。
深い認識を与えてくれたこの映画に感謝である。
彼らのその悲惨な運命は、それらのショーや展示を見て喜んでいる私たちみんなが、彼らに与えたものであり、人類が明確に自覚しなければならない「罪」である。
人類の勝手な愉しみと金儲けの為だけに、人類と同じような知性を持つ優美で柔和な生き物に対して、犯罪者が留置場に閉じ込められるのと同じ苦痛を強要し続けているのである。
私たちみんながそうした場所に彼らを見に行くのを全くやめるか、法律で「彼らを捕獲・殺戮・飼育すること」を ( 人間にそんなことをするのを禁じているのと同様に ) 禁じる以外、これを完全にやめさせる事は出来ない。
ずっと昔から人類の友達であった自由な彼らを牢獄に閉じ込めてはならない。
彼らの姿を現実に ( 或いは映像で ) 見る時、私たちはその事を意識しなければならない。
和歌山県太地町は今や日本の恥であり、世界の汚点であり、この場所で行われて続けてきた禍々しい事をずっと隠し続けてきた、呪われたる人々は日本人からも世界中からも糾弾され断罪されてこそ当然である。
そして事実を知りつつもウソを言って、イルカを食用として保護対象から意図的に外してきた日本の省庁役人もまた、その無神経さと虚言と厚顔無恥さと傲慢さとによって同じく糾弾されて全く当然である。
彼ら呪われた者たちの全体が、日本人よりずっと果敢で志の高いリック・オバリー氏らの撮ったこの作品に、完全に負けたのである。
この作品の制作者全員に最大の感謝と敬意を表する。

リック・オバリー氏ら撮影班のカメラに苛立って荒々しく声を荒げるヤクザ者みたいな言葉遣いの太地町イルカ漁師たちは、ナチス絶滅収容所のアイヒマンやヒムラーを彷彿させる残忍さで、逃げ場のない可哀相なイルカたちを、その悲鳴の中で殺戮し尽くしていた。
優美なイルカたちが逃げ場のない入江に閉じ込められたまま、太地町の漁師たちに無抵抗で殺されてゆく様子は、無抵抗な子供たちをナイフで次々刺し殺した池田小学校事件さながらの地獄絵である。

シーワールドや水族館に高く売って漁師たちが儲けられる少数のイルカを選別した後で ( 慈悲の心があるなら残りは逃がしてやればよいものを ) まるで鬱屈した積年の怨みでもあるかのようにイルカたちを1頭残らず太い鉄棒でメッタ刺しにして血の海に沈めていったのだ。
これ程の事をして良心の呵責に全く責めさいなまれないで生きていられる人間の精神構造とは、一体「世田谷一家惨殺事件」の犯人等の凶悪殺人犯たちのそれと、何処が違うと言うのだろう?
明らかにマトモな神経の持主ではない。
こうして毎年約1600頭ものイルカたちが、漁船が発する意図的な騒音の壁に追い立てられ、この海の沖合からパニック状態で ( 太地町役場が立ち入り禁止にしてる ) その入江に追い込まれ、出口を塞がれた“地獄”の中で、映画「ソルジャーブルー」のラスト数分間の如くに目を覆いたくなる殺され方をするのだ。
( 映画で言われる23000頭というのは、日本全国でのイルカ漁の総頭数と思われる。)

皮肉な事に太地町で捕獲されたイルカが売り飛ばされる先のシーワールドや水族館でイルカショーを見た人々はイルカにシンパシーを感じるようになる。
その故に多くの人々に愛されているイルカがこれほど大量に惨殺されているというのは、人間社会に於いて他の只の魚が殺されているというのとは、心理的に全く違う意味を持って来る。

太地町の漁師たちにとってはマグロなど大型魚類を殺すのと同じつもりで殺しているのだろうから、イルカ漁反対者たちの非難を聴いても「タカがサカナを殺したぐらいで何をヒステリックに大袈裟に騒いでるんだ」だろうが、それはKKKに襲われ乳母車の赤ん坊を取り上げられて目の前で赤ん坊の頭を壁に叩きつけられて殺された黒人の母親が、白人から「タカが黒ん坊のガキを殺された位で何を大袈裟に騒いでるんだ」と言われた時と全く同じような憎しみを煽るという事をちゃんと理解出来ていないのだ。
ペットであるイヌやネコにとどまらず、陸上の動物については殺すどころか虐待したというだけで、それが誰かの占有動物でなくても動物愛護法に抵触し、罪に問われる。
にも拘わらず、単に ( 陸ではなく ) 海に棲んでいるというだけの理由で、そして日本の法律上ではまだイルカが保護の対象になっていないというだけのことで、明らかに優れた知性や感情を持ち、イヌやネコと同じレベルで人々に愛されている高等哺乳類の大量殺戮、それも極めて残酷な猟奇犯罪のようなやり方での殺害が ( 日本の伝統的な食文化だからと嘯きつつ ) 強欲な太地町のイルカ漁師たちによって秘密裏に行われ続けて来たのである。
これは野犬収容施設に於けるイヌやネコ、その他のペット類の殺処分にも通じるが、それらと違って元来が外洋性の野生生物であり、殺し方が残酷無比であるという点で重大である。
元々が殺戮者である漁師の最悪の行動がここに集約されていると言っても過言ではない。
そして農水省官僚と環境庁の役人、太地町役場と地元警察署とは、その残酷な事実を知りつつずっと放置し続けてイルカ漁に加担して来たのである。
映画で見る限り、太地町地元警察に至ってはまるでゲシュタポのように「ザ・コーヴ」撮影班を見張り、この呪われた「町の秘密」を彼らに何としても暴かれまいとするイルカ漁師たちと共謀し続けて来たように見えるのである。( これは映画制作者たちの演出だという批判もあるが、日本の地元警察は地場産業や有力者から頼まれれば建前以上の行動も取りかねないので、可能な限りの撮影妨害には加担している可能性があるだろう。)
彼らの全体が必死でソレを秘密にして来たという事はつまり、ソレが後ろめたく「許されない行為」だという事を彼ら自身が本当は自覚している…という事である。


 ● この映画を見るまでは誰も知らなかった太地町漁師たちの信じ難く悪質な自己正当化計画
日本中の小学校に太地町の呪われた入江で惨殺したイルカの肉をクジラ肉と偽って無料で配り、給食で食べさせて「日本中の小学生も喜んで食べてる」として自分たちの殺戮の共犯者に仕立て、自らの悪事を正当化すべく既成事実をデッチ上げてしまおう…と画策していたという。

太地町のイルカ漁師たちというのは、そんな謀略まで考え出す程に悪辣なのである。

この計画は、そのやり方の余りの悪質さに腹を立てて、その事をリック・オバリー氏ら映画撮影班のカメラの前で身を挺して証言した2人の地元民によって、からくも露見したのである。

彼らが証言した最大の理由は、イルカ肉が実際には最大2000ppm?もの水銀 ( メチル水銀? ) を含んでいるのに、それを給食という拒否出来ない形で日本中の小学生に食べさせる、という悪魔的な計画自体に2人が憤ったからだと言う。

クジラよりは小さくとも食物連鎖の頂点に居る巨大生物イルカは、魚よりずっと活動的でその分だけ食べる量も多く、しかもイルカは人間と違って海の生き物以外一切食べない為に、海水中の水銀汚染がその体内に途轍もなく高効率で蓄積する。
従って人間が小さなサカナを直接食べるよりも、イルカ肉は遥かに危険性が高い。

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但し、このようなメチル水銀汚染についてはマグロやカジキについてもほぼ同じ事情である。
水産庁は妊産婦に於けるそれらの汚染許容量について、映画の上映よりもっと前からホームページで公表し、警告を発していたと言うのだが、NHKを含めたマスコミがその事を例えばNHKスペシャルやサイエンスゼロなどで大々的に報じて警告を発していた…という記憶は特に無い。

オバリー氏らの主張する処では、日本政府の発表数値より実際の汚染度は遥かに高いという。
日本の行政機関が色々な所で自分たちに都合の悪い数値を故意に低く発表して来た事例は、数限りなく知られているので、オバリー氏らの主張を一概に無視することは危険である。

日本の「大マスコミ」と呼ばれるテレビ・キー局6社と大手新聞5紙は、事実上、 ( 公正な報道機関などではなく ) 官公庁の指示で専ら動く「国民への情報操作機関」なので、担当行政機関にとって余り都合の良くない発表は常にひっそりとしか扱わない。

水産庁の判断は基本的に漁業関係者寄りのものであって消費者や環境寄りのものでは無い。
民間消費者レベルで見る限り、日本の役人行政には殆ど誠意など無く、信用も出来ない。
日本の役人官僚ほど無責任で無神経な人々は滅多にいるものでなく、民間人国民にとって彼らはさながら“悪魔の手先”である。

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 映画「ザ・コーヴ」を見て何よりも教えられたことは、善良なアメリカ人の不屈の信念と勇気
この悪事は断じてやめさけなければならない…というリック・オバリー氏らの決意と勇気と行動力には本当に感動させられた。
私たち日本人は安全主義が過ぎて、汎ゆる場面で“腰抜け”になり過ぎている…と痛感させられた。( 憶病者になってしまったら何も出来はしないのだ。)
彼らは勇敢で、人間として本当に信じられる人たちだと感じた。
911テロ捏造事件以来、アメリカを大嫌いになり、真の世界史を学ぶにつれアメリカ人全体に対する不信感は増すばかりであったのに、彼らを知ってまたアメリカ人が少し好きになった。
リック・オバリー氏らこの映画の制作者に感謝と尊敬を捧げる。
本当にありがとう!


( アイディア ) ( 2010.7.23. 記 )
海洋楽研究所 林正道氏の魚ロボットでイルカショーや水族館を作れば良い

そうすれば可哀相なイルカや魚たちが、イルカショーや水族館の展示の為に海から拉致誘拐されて、狭い水槽に閉じ込められるという、動物愛護精神に全く悖る方法で動物愛護精神を育む等という矛盾した事を続けなくて済む。
それらの展示運営がこれまでの如く犯罪的な方法でしか維持できない…という悲惨さから脱却出来る。




(C) Copyright 2010.7.29.  by うつぎ・れい


但し、リック・オバリー氏ら「THE COVE ( ザ・コーヴ ) 」の関係者がイルカ漁への反対運動などの為に、このサイト内の文章を ( その趣旨を違えずに ) 使用するのは一切自由とします。


うつぎれい 全公開状 一覧

万有引力定数 G とは何か?  重力 = 宇宙の膨張 …だと実は簡単に証明することが可能である
空間量子 λ の論理的導入方法 / ゼノンのパラドックス 「 アキレスと亀 」 こそは空間に最小単位が存在することの明確な証明である
ブラックホールは恐らく存在しない  もしあっても周囲に重力を及ぼすことなどできない  ブラックホールについて考えたことを全部公開する
光子にも質量がある事を証明する為の最も簡単な実験方法 / 光および c 粒子群 ( 真空中での光速度粒子群 ) はすべて相対論の適用対象外である

日本政府と警察と都道府県全知事への公開状 「 プライバシーを保全しつつ凶悪犯罪を 90 % 以上減らす完全な防犯監視カメラシステムの提案 」
株式投資とは何か ? / 株式投資という非事業投資 / 株式市場とは 実質 株価賭博 市場 に過ぎない ( うっかり NISA を始める前に … )
911テロ旅客機が捏造 CG である完全な証拠と証明 / 主要な911WTC突入映像全ての飛行機とその突入の仕方が C G であると証明可能である
  その英語版 Perfect Evidence Of The 9/11 Terror Attack Plane Being Fake CGI And Demonstration Of It
  完全粉砕される 「 F4 ファントム機の壁面激突映像 」 が少しも 「 911 旅客機 CG 説の反証 」 になっていない理由

天皇への公開状 「 今上天皇への、平和憲法を守りたい一国民からのお願い 」

月面ティコの直角構造月面都市群のグーグルムーンでの存在証明をここに!
T M A チコ 直角構造都市群 Special Selection 100 ( 自動レベル調整版 )
月面ティコクレーターの完全探査 1600 シーン

グーグル・ムーンで 「 かぐや 高解像度月面画像 モスクワの海 」 から異星人基地らしき光り輝く構造物を見付ける方法の説明スライド
  かぐや 高解像度月面画像中に見付かる異星人施設らしき光る構造物群のスライド捜索ツアー

月面表側の異星人施設群 Part 1
月面表側の異星人施設群 Part 2

キュリオシティ UFO 写真 6 枚は火星上空に静止衛星群と宇宙エレベーターまでもが存在する事の明確な証拠である
  火星の夜空の実態 但しこれは 300 倍の高速表示ゆえ、実際には 10 〜 16 分間の火星の空である
  今や誰でも確認出来る まるでアリの巣のような宇宙人の火星基地とその入口の実態
  6枚組 UFO 画像がフォボスの長時間露光写真 …という説が完全に誤りだと証明しよう
  それから 6 日後の 5 月 4 日の棒状光体 UFO 組画像は NASA によって上下反転されてる
  UFO懐疑論者とは UFO否定説ばかりを簡単に信じ込む逆方向のビリーバーである

逆説的 超能力 論考 手品師ダイゴの華麗なフォーク曲げは、それが本当にトリックだとは全然証明されていない
NHK 幻解 ニューヨーク上空 UFO = 風船 という説明の大ウソ
NHK 幻解 ポポカテペトル UFO はヘリコプター …というウソとゴマカシを暴く / 火口から半径 20 km 以内は飛行禁止区域である

恐竜の現在の想像図と大恐竜絶滅の謎を解く / 地表世界は超古代からずっと宇宙人の生物実験場である  私たちは実験生物である

大ピラミッドを建造するいちばん簡単な方法 ジャン・ピエール・ウーダン説の更なる拡張
やはり北大西洋中央海嶺上に位置するアゾレス諸島こそが沈んだアトランティスの名残りである
南極海ブーベ島西方200kmの海底遺構
大西洋マデイラ島の西南西に見付かる矩形の水没都市遺構と5本の平行線地形

確率を適用して良いのはただ統計的集合体に対してのみである
  その付録 マキタスポーツのヒット曲分析で作られた曲は一体何故、大ヒットしなかったのか?

アニマルライツセンター 代表理事 岡田千尋さんへの公開状 / 風の谷のナウシカのようなお気持ちは良く分かるのですが … / アニマル コミュニケーターとこそ共闘すべきでは …
映画 「 ザ・コーヴ 」 を見て / リック・オバリーは正しく シーシェパードは断じてテロリストにあらず ( その明確な証明を此処に提示しておく )
インターネット活用選挙運動は元々自由である / 禁止法も無かったのにワザワザ解禁を議論する臆病な日本社会 ( 官僚依存国家 ) の愚
高過ぎる電気料金を課して、自分たちの給与とボーナスだけを先に災害復興させてしまった東京電力の重い罪
自転車が歩道を走れてしまう現行道路交通法こそが、危険な運転と人身事故多発の原因である
アダム ・ヴァイスハウプトはジョージ・ワシントンと同一人物では有り得ない




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