( 情報 ) ( 2019.10.23. 記 )
『 プーチン大統領のロシアでは既に、月に地球外生物の都市が有る事自体を政府が公表してる 』
『 月 ・火星 ・地球上、そして太陽系の恐らく全体に棲息してて、人類史にも深く関わってるらしい地球外 ・人類外の知的生物についての研究は、人類にとって本来的 本質的に極めて重要である / ロシアでは既に、月に地球外生物の都市が有る事自体を政府が公表してる / この分野の情報公開が最も遅れているのはむしろアメリカ ・日本であり、その不毛なる秘密主義によって、関連する情報の一切が、その隠蔽に加担する 従順だが無能な者たち によって牛耳られ、不当に封じられ、その重大問題への大々的で本格的な研究そのものが、超長期に渡って停滞している 』
2004 年、メキシコ政府が UFO の存在を公式に認める声明を出した。
国家政府が UFO の実在を率直に認めてる国は、オーストラリア、イギリス、バチカン市国、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、フランス、スペイン、ロシア、ウクライナ、カナダ、インド、中国、ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル、ニュージーランド等々である。
特筆すべきは、ウラジミール ・プーチン氏が大統領となって以後のロシアでは 「 宇宙に関する情報は総て公表すべき、地球人の一部の人だけが独占していてはいけない 」 とされ、「 月には都市があり、月面都市が存在している 」 …という衝撃的な事実は、早くも 2002 年に元 政府機関紙 PRAVDA ( プラウダ ) 紙上で堂々と公開されてる事である。 ( 証拠はこちら )
当の記事の内容は、余りにも重要かつ重大で衝撃的なので、ほぼそのまま転載する。
注 この記事の存在によって極めて多くの、それまでは事実関係が不明だった為に判断も不能だった 「 流出 月面画像 」 の信憑性が、著しく高まる事になった。
このような情報がロシアから出て来た …という事の本質は、この"会合"当時の NASA に潜り込んでた KGB の報告書を逐一目にしてたプーチン氏が、上記視点での危惧から、大統領に就任後、敢えてソレをプラウダ紙に暴露させた可能性が高い事である。
以下、文字の色の変ってる部分は、プラウダ英語版の当該記事 を、日本語へと再翻訳 ・意訳 ・補足しての引用転載である。
( 尚、元記事には画像の添付が全然無かったので、筆者の独断で、該当すると思われるそれぞれの流出写真への参照リンクを張っておいた。 悪しからず。 )
『 地球外生命体の文明の理屈にかなった活動の明確な証拠が、思いがけず我々の近くで姿を現した。 しかしながら、我々はそれに対して心の準備が未だ出来ていない。 』
我々はまだ、次のような質問の答えを見付けようとする出版物をふと見付ける事がある。
宇宙に存在するのは我々だけなのだろうか?
それと同時に、推論していた生物の存在が月という我々の故郷に近い場所で認められた。
しかしながら、この発見は直ちに極秘事項として機密扱いにされた。
というのもそれは、既に存在する社会の原理を揺さぶりかねないくらい、とても信じられない事だったからだ。 …と、ロシアの新聞 「 VechernyVolgograd 」 はリポートしている。
この下の画像クリックで関連する月面写真と月以外での宇宙人関連画像をまとめてスライド表示出来る

ここに公式なプレスリリースからの抜粋がある。
「 火星と月の調査に参加している NASA の科学者と技術者たちは、1996 年 3 月 21 日にワシントン・ナショナル・プレスクラブで開かれた会合で、自分たちの発見に関する成果を報告した。 月で人工の建造物と物体が発見されていた事が初めて発表されたのである。 」
科学者たちは、一機の UFO に関する事を除いて、かなり用心深く、そして曖昧に、これらの物体について語った。
「 人工物であるということはあり得る 」 と彼らは絶えず言及し、そして公表された情報はまだ研究下にあって、公式結果が後ほど発表されるだろう …とも述べた。
旧ソ連が、月でのそのような活動の存在を証明する写真資料を以前には所有していたという事にも、会合の席上で言及された。
そして、それがどのような活動であったのかは明らかにされなかったのであるが、この活動とその痕跡がハッキリとわかる月面の多くの箇所を、アポロとクレメンタイン宇宙ステーションから撮影された何千もの写真とビデオの資料は捉えていたのである。
アポロ計画の間に、アメリカの宇宙飛行士たちによって撮影されたビデオフィルムと写真が、この会合で公開説明された。
会合の出席者の多くは、どうして資料がもっと以前に公開されなかったのか?…と非常に驚いたが、NASA の専門家たちは次のように答えた。
「 月に何か生き物が、過去に、あるいは今も存在しているという情報に対する人々の反応を予測する事は難しかったのです。 加えて、それに対する理由は他にもあり、NASA の ( 公開 ) 権限の範囲を超えていました。」
月研究に関する専門家 Richard Hoagland は、写真資料が一般カタログとファイルに公表される前に、NASA が未だにそれらに手を加えようとしているのだと語る。
彼らは、複写する際にそれらを修正したり、部分的にピントをボカしたりしているのである。
Richard Hoagland を含む数人の調査者たちは、地球外知的生命体が月を、地球で活動する際の中継ステーションとして ( 過去にも ) 利用していたのではないかと推測している。
これらの示唆は、我々の惑星の様々な国に残る 「 伝説 」 や 「 神話 」 によって確認されている。
「 月面都市の廃墟 」 は実際に何キロメートルにも及ぶ。
大規模な基地を覆う巨大なドーム、おびただしいトンネル、そしてその他の建造物は、科学者たちに月に関する彼らの見解を考え直させる要因となる。
どのようにして月が誕生したのかということ、そして月の如く不釣り合いに大きな衛星が地球の周囲を公転してる理由は、科学者たちにとって大きな悩みの種として映っているのである。
月面に存在する、部分的に破壊されたいくつかの物体は、自然な地質学的特徴 ( 形状 ) から外れて配置されている。
というのも、それらは複雑な構成で、幾何学的な構造を成しているからである。
ハドリー峡谷の崖の上、アポロ 15 号が着陸したところからさほど離れていない場所で、D の字形の高い壁に囲まれた建造物が 1 つ発見された。
これを発端に ( アポロ 15 号によるこの地域の探査では ) 44 もの地帯で種々の人工物が発見されたのである。
NASA ゴダード宇宙飛行センターと ヒューストン ・プラネタリー研究所は、それらの地帯の調査を行っている。
ティコ ・クレーター ( チコクレーター ) の近くでは、不可解なテラス形をした岩山の遺跡が発見された。 [ アポロ計画ではティコに着陸してない ( 筈 ) なので、この発見は周回軌道上の司令船からの写真観察によるものだと思われる。 ]
同心状の 6 面体の遺跡と、テラスの側面にあるトンネルの入口は、自然な地質学的作用の結果では有り得ず、まさしく広大な鋳型の鉱山であるかのようである。
コペルニクス ・クレーターの近くでは、クレータの縁上に建てられた透明なドームが発見された。 ( 訳注;この場所に着陸してるのはアポロ 14 号の Alan Shepard と Edgar Mitchell で、フラ ・マウロ丘陵と呼ばれてる場所である。 )
ドームは普通ではなく、内部から白と青が照り輝いている。 ( このドームの前に立ち尽くしてる Mitchell の姿を捉えた写真は有名である。 )
月の地表面でさえ実にそのような状況なのであるが、かなり特異な物体がファクトリー ・エリア ( これもコペルニクスに近いので同じアポロ 14 号の発見らしい何らかの工場と思われる地帯 ) の上部で見つかっている。
壁に囲まれた正方形の地階の上に直径約 50 メートルもの円盤が置かれているのである。
殆ど菱形に近い写真では、地面の中に黒っぽい円筒形をした朝顔口も見てとれるが、これは地下に潜った砦に通じる 「 覆われた通路の入口 」 に似ている。
ファクトリーとコペルニクス ・クレーターの間には、長方形のエリアが存在し、幅 300 メートル ・長さ 400 メールにもなる。
アポロ 8 号に続いて月には着陸せずに月を周回して月面を詳細観察したアポロ 10 号は、ヒギヌスクレーターとマニリウスクレーターの間で 「 Castle ( 城 ) 」 と呼ばれる 1 マイルの長さに及ぶ物体の写真 ( AS10-32-4822 )
を撮っており、これは実に 14 km ( 9 マイル ) もの高さがあって、月面上に明瞭な影を落としている。 ( ← 文字リンクをクリックで件の写真を表示する )
この物体はいくつかの円筒部と大きな接合部から構成されているように見える。
城の内部の多孔構造が写真の一つにはっきりと見てとれるが、これは物体の一部が透明 …であるような印象を与えている。
以上は多くの NASA の科学者たちが出席していた会合の席上で分かった事なのであるが、Richard Hoagland が別の機会にこの「 Castle 」 の写真の現物を要求した時、写真は全く 1 枚も見付からなかった。
それらは、アポロ 10 号の乗組員によって作成された 「 写真のリスト 」 からさえも消えていたのである。
物体を写した予備的な映像だけが NASA の記録保管所で見つかったが、不運にもそれは、物体の内部構造を捉えてはいなかった。
アポロ 12 号の乗組員が月面 嵐の海 に着陸した時、半透明でピラミッド形をした物体によって、その着陸が観測されているのを目撃している。
それは月面の上、数メートルの所で空中停止しており、暗闇の空に向かって虹色にチラチラと光っていたのである。
1969 年、宇宙飛行士たちの 「 嵐の海 」 への旅に関するフィルムが公開された時 [ 宇宙飛行士たちは再びその奇妙な物体を目撃しており、後にそれは 「 striped glasses 」 ( 縞模様の眼鏡 ) と呼ばれるようになった ] 、NASA はとうとう、そのような類いの統制が如何なる結果をもたらすのかという事を理解した。
宇宙飛行士の Edgar Mitchell は、帰還成功後の感想を聞かれてこう答えた。
「 絶えず頭の向きをグルリと変えなければならなかったので、首がまだ痛みます。 というのも、そこに居るのは我々だけでは無い …と感じていたからです。祈るしかありませんでした。」
ヒューストン宇宙センターで働き、アポロ計画の期間中に作られた写真とビデオの原資料について研究していた Ken Johnston は、Richard Hoagland と人工物について議論し、NASA の指導層は、非常に沢山有る、控え目に言っても異常な月の物体に、酷くイライラさせられていたと語った。
「 有人での月飛行が禁止されるかも知れない 」 …とまで語られていたのである。
調査員達は、部分的に破壊された 「 都市に似た古代の建造物 」 に対し、特に興味を抱いている。 ( 追記; それと似てるかも知れない都市構造らしき地形がこちらにも / この写真とそれに続く写真に写る月面構造物の各辺は、その殆どが月面の東西南北線に沿って建ってること、そして数十から数百メートル規模の直角構造を呈してる事に注意 / こうした構造物は月面では決して珍しくなく、幾らでも見付かる。 )
写真では、驚くほど規則的な、正方形と長方形の建造物による幾何学模様が見て取れる。
それらはまるで、地上 5 km 〜 8 km から見下ろした我々の都市に似ているのである。
任務管理のある専門家は写真について次のように論評している。
「 我々の仲間は、月面都市の廃墟、透明なピラミッドやドーム、そして神のみぞ知る今や NASA の金庫の中の奥深くに包み隠されたその他のものを観察して、不毛の島の砂の上で、突然裸足の足跡を見つけたロビンソン ・クルーソーのように感じたのです。 」
地質学者や科学者たちが、月面都市や他の異常な物体の写真を調べた後、何と言っているのだろうか?
彼らは、そのような物体は自然の形成の仕方ではあり得ないと述べている。
「 特にドームとピラミッドに関して、我々はそれらが人工の物であると認めるべきである 」 と。
( 訳注; デカルト高地に着陸したアポロ 16 号と、同じく高地のタウルス ・リットロウ峡谷付近に着陸した 17 号についての言及は特に見当たらなかった。 )
地球外文明の理屈にかなった活動 ( の証拠 ) が、我々の近くで、思いがけずハッキリと現れた。
我々はその当時、心理的にこのような発見に対する準備が出来ていなかった。
が、現在でさえ、それらが真実である …と信じられない人々も、中には居るのである。
以上は、( 2002 年 10 月 5 日 PRAVDA ) からの ロシア語 → 英語 → 日本語 再々翻訳の意訳引用であるが、このように衝撃的で具体的かつ生々しい重大情報が、日本では未だ殆ど世に知られていないままである事に、改めて愕然とさせられる。
ついでなのでその後の 2020 年 11 月になって見付かった「 夜間の月面を LRO 月面偵察衛星が撮影した驚異的な月面都市群の画像 」の一部をスライド化したものを紹介する。
こちらをクリックでスライドを表示 その発見の経緯はこちらに
プーチン大統領の統治する開かれたロシア社会と較べると、重大な情報の殆どが悉く閉ざされたままの日本社会と日本のマスコミというのは、まったく役に立たない。
いや、そうではなかった。
元より日本のマスコミというのは、真実を伝える 「 社会の木鐸 」 ではなく、真実を大衆から隠蔽すべく権力に仕える 「 目隠し機関 」 なのであった。
( 疑問符 ) ( 2002.10.30. 〜 2002.12.5. 記 / 2013.9.22. Web公開 )
『 恐竜の現在の想像図と大恐竜絶滅の謎 』
恐竜大絶滅の謎を解くべく、最も合理的な異端説を、論理的に展開するエッセイ。
ここに一緒に掲載するには少し長いので、恐竜別館に収蔵してあります。 上のタイトル文字や恐竜画像のクリックで別館に飛びます。
( 疑問符 ) ( 2013.7.10. 記 ) ( 2013.7.17. 〜 20. 追記 )
アタカマヒューマノイドの特徴とはつまり、人間より進化した種族の “ ネオテニー ( 幼形化 ) ” 現象の特徴…だと考えられること
アタと名付けられたこの遺体を、安易に特異な奇形の人間の子供のミイラと断定することは、大きな間違いである。


( 上の ATA 画像 2 枚はディスクロージャープロジェクト制作の映画 『 シリウス 』 よりの引用である )
5000 m の高地で発見されたというこのアタカマヒューマノイドの特徴からは、それが 「 人間の胎児型の奇形幼児 」 ではなく、人類と同じ DNA の系統に属するものの人間より数段進化してネオテニー化の進んだ異種族 ( 仮にネオテニー種族と呼ぼう ) の、子供の亡き骸であると見て良いのではないか?
殆ど雨の降らない ( 世界で最も乾燥した ) アタカマ砂漠の捨てられた町 ( ゴーストタウン ) に、地球起源のこうした特異な種族が現在も住み続けているのだ …等とはなかなか想像出来ず*、恐らくは地球外起源にして人類と同じ系譜に属する 「 より進化した種族 」 の幼子なのだろう。
( 注* ; もしかすると本当に地球上には伝説的な小人種族が棲息してるのかも知れないが …。)
ディスクロージャープロジェクトの主宰;スティーブン・グリア博士による今年 5 月の発表では、DNA の 91 % の一致を強調して極めて特異な奇形児だと発表されているものの、人間と一致しない残りの 9 % を強調すれば、ATA は地球人と似ているが人間ではないとも言えた筈である。
何故なら、例えばネアンデルタール人と人間の DNA 一致率は実に 99 . 5 % で、不一致は僅かに 0 . 5 % にしか過ぎず、チンパンジーや他のサルと人間とでも、96 〜 97 パーセントが一致し、不一致は高々 3 〜 4 % にしか過ぎないのである。
ATA の 「 人間との DNA 不一致 」 は驚くべきことに 9 % もあるのだから、ATA はチンパンジーよりも遥かに DNA 的に人間から遠い存在 …と結論されて当然の筈ではないか?
それなのに何故、単なる 「 極めて特異な奇形児 」 である …となるのか?
頭骨の全体形状や分割形状 ( 特に前頭骨中央縫合線 ) が人間のそれとは似ても似付かない点、
肋骨が人間より 2 本も足りないのに欠陥や破綻のない完成形を成している点、
胎児サイズでありながら ( 人間の胎児や新生児とさえ全く異なり ) 手足の関節が既にちゃんと形成されてる点、
そして何よりも誕生後 6 〜 8 年も体外で成育し、食物代謝が行われていたにも拘わらず、僅か 15 センチ足らずの体長にしか達していない点。
これら全ての点が、ATA は超早産で産まれた奇形の地球人の少年 …なのではなく、人類より以上に進化してネオテニー ( 幼形化 ) 現象の進んでるが故に、この姿形よりももっと幼い姿で今から数十年前に誕生し、6 〜 8 年間成育しつつ生き長らえた後、何らかの理由で死亡し、標高凡そ 5000 メートルのアタカマ砂漠でミイラ化した ( 人類とかなり似た DNA を持つものの ) 人間とは異なる種族の子供 ( もしかするとこれでも成人かも? ) である可能性が極めて高いのである。
DNA が人類と完全に同一なので無い限り、ATA を奇形地球人と見做すのは早計である。
チンパンジーやゴリラどころか、牛やウニ ( 海胆 ) の DNA までもが、人類のDNAとかなりのレベルで一致する…という事実がある。
牛の DNA では 80 % 、ウニの DNA でも 70 % までが人間と共通であり、牛やウニほど極端に人間と外見の異なる生き物であっても、せいぜい 20 % 、30 % しか “ 人間との DNA 上の違い ” が無いのである。
そうした事実からは、アタの DNA の 91 %までが人類と同じであっても、( チンパンジーやゴリラや牛が人間ではないのと同じく ) ATA がホモサピエンス ( 人類 ) とは全く異なる異種族である可能性の方が、どう見てもずっと高いのである。
無論、ATA の体内で見つかったミトコンドリア DNA の分析から、ATA の母親がチリの 「 西海岸地方出身の人間の女性 」 だったと判明した …という意味深長な発表内容からは、ATA はその女性と “ 何者か ” との間の混血児 ( 異種交配雑種 ) だった …と考えざるを得ないだろう。
人間とでは余りにも身体の大きさが違い過ぎるようには思えるものの、身体の大きい側の人間が女性であれば、妊娠から出産に至る過程での物理的側面での破綻は無いかも知れない。
精々 8 年しか生きずに死んでしまった ATA の短命さの原因についても、ATA が一代限りの雑種 ( ライガーの如く疾患が多く育ちにくい異種交配種 ) であった …とすれば別に不思議はない。
が、もしそうであれば ATA の父親は、恐らく ATA の 2 倍 ( 18 % ) も “ 人間の DNA との不一致を持つ種族 ” だった …という可能性を、考慮しなければならなくなるのである。
・……………………………………………………………………………………
● 備考
恐らくスティーブン・グリア博士が今回の発表でアタを一旦「人類」として見せたのは、一計有ってのことでは無いだろうか?
つまり、差し当たりはそう発表しておいて、批判勢力をひとまず黙らせておき、
凡ての人々にアタの存在が決して作り物やインチキの類いではないと認識させておいて、
一体どうしてここまで小さく、違和感があるのは何故だろうと疑問を醸成させ、
暫く時間を置いた後に「やはりあれは地球外起源と判明した」と改めて公表し直し、
反対勢力のネガティブキャンペーンのタイミングを失わせ、「ETは既にもう地球に来てる」と世の中全体に一気に認識を広めるべく巧妙な作戦ではないか? …とも思えるのである。
・……………………………………………………………………………………
ATAの姿形が一部キスティーム ( キシュティム ) のアリョーシェンカと似てるので、気になって調べてみたのだが、何とキスティーム ( クイシトゥイム / Кыштым ) の町はチェラビンスクの北西 80 km に位置する。

2004年4月に ( 1996年から行方不明になっていた筈の ) アリョーシェンカ ( Aleshenka ) の血液が8年も掛けて鑑定され、アタと同じく人間の奇形児であったと発表された。
( 周囲に6基もの原子炉があり深刻な放射能汚染が拡がっていた…との言いワケがましい説明付きであった。 本当だろうか?
それがもし本当に本当なら、同じような症例の奇形児は、もっと数多く周辺地域から出現してるだろうし、タカがその程度の鑑定に8年もの時間が掛かる筈もないのだ。)
アリョーシェンカの ( ATAとモロに符合する ) 頭骨の接合の異常さを、奇形児の一言で本当に説明出来てるのかは甚だ疑わしく、真相隠蔽のイイワケである可能性は十分にあると思われる。
( 情報 )
「エデンの神々」と中世の死神たち
ウィリアム・ブラムレーの未邦訳の著書「エデンの神々」によれば、中世のペストの流行はネズミや当時の不衛生な社会環境が直接の原因ではないらしい。
当時の記録についての彼の調査結果によると、中世のぺストの流行には彗星 ( 空中の光り物 ) の出現と、いわゆる黒い“死神”装束の謎の他所者の、村や町への“突然の侵入”が関係しており、直前には必ず黒い“死の霧”が発生しているのだという。
現代的な視点でこれを見れば、当時の記録にある“彗星”はその記述内容からみて現在知られている天体の“彗星”を指すものではなく、恐らくUFOを指していると思われる。
また“死神”というのは、ペストの発生直前に実際に現れた“謎の全身黒ずくめの見知らぬ他所者”で、手に鎌状のモノを持っていたらしく、その人物が「悪臭のある“黒い死の霧”」を発生させると、人々がバタバタとペストにかかって倒れ、村が全滅した…ということらしい。
だが、これは所謂“MIB”の中世版で、その正体はUFO搭乗者ではないのか?
恐らくは何らかの理由で、彼等が中世ヨーロッパの住民を相当大量に“間引き”する必要があった…という事なのだろう。 ( この種の事件については、次後の「UFO 年代記」を参照のこと )
実際に“彼ら”によって使用されたその“黒い死の霧”が、本当にぺスト菌を含む細菌兵器であったのか、それとも別の化学兵器であったのかは今のところ判定不能であるものの、我々の通念での歴史的認識とは明らかに異なる現実が、そこには有ったらしい。
・……………………………………………………………………………………
( 2010.8.8. 追記 )

上記ウィリアム・ブラムリー「エデンの神々」が、南山宏氏により2年かけて翻訳され、ホンの数日前、明窓出版から550ページを越える完訳本として日の目を見た。
1989年に米国で発刊された際、この本はちょっとしたセンセーションを巻き起こし、UFO本として異例のベストセラーとなった。
いわゆるUFO研究者の書いた本ではなく、歴史研究家が、歴史時代のいたるところに居て人類社会に干渉し続けていたUFOとETらしき存在についての記録を纏めた、まさしく異色の本だったからである。
( 日本ではしかし、その厳密で堅苦しい、UFO本位でない書き振りを敬遠してか、この本を刊行することの重要性は無視され、翻訳も出版もされないままの「幻の名著」となって、読むことが出来なかった。今回、翻訳の厳密正確なことで定評のある南山宏氏の手で訳されたことは非常に幸運であった。)
それもそのはず、冒頭100ページ程で、アマルナ革命の原因がアメン神官団とアメンホテップ4世 ( イクエンアーテン ) 間の単なる覇権争いによっていたのではなく、アテン神 ( 太陽神 ) の正体が、実はモーゼに降臨する前のヤハウェであったことが暴露される。
そしてモーゼはアケートアトン ( デル・エル・アマルナ ) に開かれたアテン信仰スクールの生徒だったことがわかる。
アメン信仰派の揺り戻しで、結局エジプト国内での宗教改革に失敗したヤハウェは、目を付けていたモーゼに命じて100万人のユダヤ人集団をエジプトから連れ出し、大量殺戮と洗脳支配を続けつつカナンの地になだれ込ませた…という、胸に落ちるような「出エジプト記」や「ヨシュア記」の明解な説明がこの本にはある。
キリスト教徒やユダヤ教徒である読書人の多い米国民にとっては、まさしく驚天動地の本であったと言ってよいだろう。
そういう説明を読んでから改めて旧約聖書を読み直してみると、まさしくその通りの記述であることがハッキリ判ってきて、本当にビックリさせられる。
モーゼらがエジプトから脱出したのはまさしくイクナトンとネフェルティティによるアマルナ革命の直後、即ちツタンカーメンとアンケセナーメンの時代または神官アイが権力を簒奪してアンケセナーメンを妻に娶った頃の出来事だった…事に、年表を見直してみてやっと気付くのである。
( 疑問符 ) ( 2020.6.8. 記 )
オーストラリア北東部 メルヴィル山地という巨岩の集積地帯は恐らく 非人類の捨てた巨石のボタ山 である

オーストラリア北東部 ヨーク岬半島、ケープ・メルヴィル国立公園内に有る、「 メルヴィル山地 」 という 「 折り重なる巨岩で出来たボタ山 ( 捨石山 ) 」 の如き異様な地形。
その岩塊山地の頂上部には、山地斜面に沿って上昇する海風により山上に霧が発生する為にか、周辺土地の乾燥林とは全く異なる豊かな熱帯雨林が形成されており、特異な景観を呈してる。

この熱帯雨林の生物相を探検探査すべく研究チームが結成され、その研究に NHK が同行取材し、「 ダーウィンが来た 」 という番組内でその調査研究の様子が一部紹介された。
が、気になったのはそのような特異な環境で分化した新種の生物云々ではなく、その 「 ほぼ巨大な岩塊のみ 」 で形成されてる、全体としてはまるでボタ山の如くに連なってる、海抜数百メートル程の低い山々の形成機序であった。 ( 念の為に断っておくが、この山は火山では無い。 だからこそ変なのだが …。 )

むろん番組内でも、このような ( 家ほどの大きさの ) 巨大な岩塊ばかりの山々が一体どうして出来たのか? についての通り一遍の説明 ( 最初に山のような大きさの岩が隆起し、長い間に風雨で風化して崩壊し、現在のような姿になった ) …はあった。
如何にも …な説明だが、そんなおざなりな 「 子供騙し 」 的説明では、このように幾つも連なったボタ山 形状の山々が、異様に丸っこい巨石によって実際に形成されてる事の 「 納得の行く説明 」 には 全然なってない。
何故か? 大体が元々の山の如き巨大な岩塊が風化して割れるにしても、多くは劈開に沿って割れるし、そうでなくとも割れた岩の両側はその間の部分が欠け落ちるにしても、相補的な形状を保ってる筈で、丸く磨かれたシジミの如く巨岩が 「 出鱈目に折り重なってる 」 かのような状態には絶対ならない。 ( 察するに、これらの山々の斜面からはそれぞれの山の底部にまで至れる 「 網目状の大きな隙間 」 が、あたかもトンネルの如く無数に存在してる筈で、長い命綱を使って出来るだけ垂直に下りて行けば、これらの山が本当に奥の奥まで 「 ボタ山構造 」 である事を実証出来るのではないだろうか? この事の立証は新種の生物の発見よりも遥かに重大な発見となるだろう。 )
つまりこのような、巨岩ばかりが無造作に積み上がった捨石山 ( ボタ山 ) 形状の自然の山々など、有る筈が無いのである。

ロシアのケメロヴォ州のゴルナヤショリア
やシベリアの山の山頂部に残る巨岩
のような整合的な割れ方はもしかするとするのかも知れないが ( 実際には多分、それらもまた古代の知性体による加工物だろうとは思うのだが ) 、このメルヴィル山地を形成してる巨大な岩々のような ( まるで干上がった川床や氷河の跡の、水や氷の抗しがたい力に因る巨石の乱雑な積み上がり方のような ) 乱雑そのものの積み上がり方には到底なる筈が無いのである。

つまりこのような まるでボタ山 ( 捨石山 ) のような積み上がり方 は、巨大な岩山の風化ではなく、実際にそれらの巨岩が巨大な何らかの力に因って石炭カスのように積み上げられる以外にはなかった事を意味してる。
それが川床や氷河跡のような凹んだ場所なら、その強大な力は水や氷に因ると言えるのだろうが、こちらは凸型の山だから水や氷が原因とは言えない。
無難には巨大な竜巻の力によって引き込まれ、巻き上げられた巨大な岩々が渦の中心に集められて積み上がった…とは言えそうなものの、私たちは 2016 年に登場したルディン・ルシー ( リュディン・ルシー ; Lyudin Rusie ) 氏の 「 驚異的な仮説 」
と既に出会ってしまってる。
なので一つ一つが家ほどの巨岩が、実際にボタ山の石炭屑の如く乱雑に積み上がっているのなら、本当にそれらの巨石は 「 使えない屑石として其処に捨てられたモノ 」 …という可能性を考えてみた方が良いだろう。
何よりもメルヴィル山地は 「 似たような山がボタ山と同じく幾つも連なってる 」 ので、「 巨大竜巻説 」 よりは 「 そのままボタ山説 」 の方が説明として妥当である。
即ちベネズエラのロライマ山やクケナン ・テプイ、チュニジアのユグルタ ・テーブルランドやワイオミングのデビルス タワーを伐採し、あのような姿にした者たちこそが、彼らの要らない大量の巨石を其処に捨てて、ボタ山ソックリのメルヴィル山地を造り出したのである。

そう考えて初めて、あんなにも不自然な 「 巨岩の乱雑に積み上がった 」 ボタ山そっくりの光景に、それなりの納得がゆくのである。
こうした奇妙な場所について地質学者のする、「 唯の辻褄合わせ 」 にしか過ぎない説明には、私はもう、耳を貸さないことにした。
紛れもなくこの世界は、お伽話や伝説や神話以上に、不思議な世界なのである。
( こうしたものを造作もなく造れる者たちは、実際に、この地上に、遠い昔から存在してるのである。 )
それはもう、間違いない。 ( たとえばこちらを見よ。こうしたモノを全部無視して立てられてる学説は全く無意味である。)
学校やマスコミや科学の教える、この世界や歴史や真実についての教条は、いまやその殆どが嘘か大間違いである。
自らの地位を保持すべく、バランス感覚を以て安全な範囲でしか物を言えない学者たちは、いまや殆どの事について真実など一切口に出来ない…という状態に陥ってる。
何ごとも 「 周りが何を言ってるか 」 ではなくて 「 自分の目で見て、自分のアタマで本当に考えて 」 判断せよ。
周囲に無難に合わせて 「 事を荒立てずに 」 済ますべく、唯々 「 現状肯定し続ける 」 のではなく、世界中と対立してでも真実に加担しよう。
太古の地球の超巨大な樹木の存在証拠と、巨大な岩塊だけで出来た超巨大なボタ山の実在。この2つは、そうした態度で生きる決断をするのにピッタリの、切っ掛けとなる。
( 情報 ) ( 2006.2.17. 記 )
トキソプラズマに寄生されたが故に“ ネコ好き ”になった人々のパーセンテージや如何に?
ネコとやたらにベタベタしたがる人たちのその強い衝動の正体は、猫を最終宿主とするトキソプラズマに脳神経を支配されることによって生じた感情 ( 寄生虫の宿主移転目的の為に惹起される感情 ) にだけ因ってるのかも知れないこと …に人類は気付かないといけないかも知れない。
( その目的故に、人類の凡そ50%もが既にトキソプラズマに感染してるのかも知れないこと! )
取り分け、引っ掛かれると分かっててもネコに手を出したがる人や、人に対して引っ掻きグセのあるネコ…というのは、この寄生虫によってその感情を支配されてる可能性が大いに有り …である。
ネコを宿主とするトキソプラズマは人間の凡そ半数に寄生していることが知られている。
トキソプラズマはネコに寄生する目的で猫の餌となる生き物にその卵を産み着ける。
卵から羽化したトキソプラズマはそこに膿疱を形成すると共にその一部が脳に侵入する。
トキソプラズマの最終的な寄生目標である猫は、死んだ獲物を食べてはくれないので、トキソプラズマはネズミに寄生した場合もネズミを殺さずに生かしておく。
従来トキソプラズマは、人類の半数に感染している …にしても特に害が認められなかった為、ネズミにも無害だと思われていた。
但し現代医学はその殆どが「人間ではなくマウスによって得られた実験結果」に拠ってる。
だから実際には「ネズミで害が無かったから人間にも害は無い」…と思われていた節がある。
ところが比較的最近になって、どうもそうではないらしいことが判ってきた。
( 英国オックスフォード大学と、スタンレー薬科調査研究所の E.F.トーリー博士の研究 )
この寄生虫に取り付かれたネズミは、そうでない健康体のネズミなら本来怖れる筈の“猫に対する警戒心”がなくなり、平気でその天敵に近付いてしまう傾向のある事が、判明したのである。
[ このような変化がネズミに生じるという事からは、従来ネコ以外の動物にトキソプラズマが感染しても唯その動物の筋肉中にシストの状態 ( 抗体を防御する膜に包まれた状態 ) で留まるだけで、何ら活動せず何の影響もないと考えられて来た …ことが、全くの間違いであった…ということにもなる。]
つまりトキソプラズマに感染したネズミは、ワザワザ自分を「天敵にとっての新鮮でトンマな絶好の獲物」とすべく自殺行動に出るワケである。
タカが寄生虫ごときに哺乳類がまさか?! とつい思いたくなる。
だが、実は寄生虫に侵入された他の生き物 ( 例えばアリなど ) の行動にも、これとほぼ同じような例があるのだ。
逆に、だからこそ、これも気付かれたのだろう。
寄生生物には、自己の必要とする宿主の体内に入るという目的のために、そうしたにわかには信じがたい ( SF ホラーにも近い ) 悪魔憑きのようなテクニックを駆使するものが多々ある。
例えば最も単純な例である白癬菌 ( 水虫 ) にしても、感染した人間の足に強い痒みを与えることで其処を引っ掻かせ、より深い傷を作らせることでより奥へ奥へと侵入して行く。
寄生虫は菌類よりずっと高度な生き物だから、それより遥かに手が込んでいるのだろう。
羊を宿主とする“槍型吸虫”は中間宿主として蟻を利用する。
蟻に自らの卵の塊を食べさせる為に刺激物質を放出し、そうして食べられた卵は蟻の体内で孵化すると、その蟻の神経をコントロールして葉の上に登らせ、其処で麻痺させて葉の上の端の方にアリを固定し、羊に葉と一緒に食べさせる。
そして羊の腸に到達し、そこに棲み着ついて寄生のサイクルが一巡する。
魚に寄生しておいて水鳥に移る吸虫がいる。
この吸虫に感染した魚はやがて身体を蝕まれて異常な行動を起こし、頻繁に水面から飛び跳ねる行動を繰り返すようになる。
水面近くで魚を狙っている水鳥にとってはまさに絶好の獲物である。
鳥の身体に移りたい吸虫は、そうやって自分の乗ってる魚を真先に鳥に食べさせる。
バッタの寄生虫であるハリガネムシは成長すると水棲なので、バッタの神経系を冒してバッタを入水自殺させる。そしてバッタが溺死するとその肛門から水中に脱出して水棲生活を始める。
レウコクロリディウムという寄生虫はスズメが宿主である。
先ず中間宿主のカタツムリに食べられる。そして普通は天敵の目を避けて葉の裏に居る筈のカタツムリを、コントロールしてワザと葉の表側に移動させる。
次いでその触角に集まり、触角を肥大させておいてカタツムリにその触角を回転させる。
芋虫そっくりなその動きを雀が見つけて、襲いかかる。
そうやってレウコクロリディウムは宿主のスズメの身体に入り込むのである。
どれもこれも、全く、何という生態だろうか?!
蟻にしても、ネズミにしても、魚やバッタや蝸牛にしても堪ったものではない。
シガニー・ウィーバーのリプリーと戦った「エイリアン」だってここまで悪辣ではなかった。
「エイリアン」よりは、むしろ「オーメン」の悪魔憑きにずっと近い、恐るべき寄生虫の生態である。
で、ネズミを猫に食べさせようと画策するその悪辣な同じトキソプラズマに、もう既に全人口の半分も感染してる人類 ( 30 億人以上だぞ、ヲイ!) はいったい何をされてるんだろ?
先ず最初に、猫は人間を捕食しないし、人間は猫の餌として加工されてるワケではない。
人間の方も、中国とスペイン以外では、日常的に猫を食べたりしていない。 ( 知ってる人は少ないがスペインの肉屋には皮を剥がれた猫の肉が普通にぶら下がってる。 )
だから、全然違う2つの可能性があることが、直ちに分かる。
1つ目は人類の半数にも感染しているのなら、トキソプラズマの最終宿主はもしかしてネコではなく人間ではないか? という疑問である。
[ 2016.11.19. 追記;この推測はトキソプラズマについての一般的な認識からすれば間違いであった。今の認識では、トキソプラズマは「トキソプラズマに初めて感染したネコ」の体内に入った場合にだけそのネコの腸内で成長を遂げ、有性生殖を行って ( 最長で1年以上も生き延びられる耐久卵 ) オーシストを作り、通常は「初感染から数週間の間だけ」そのネコの糞に混ざってオーシストが外界に放出される ( ネコが体調不良に陥り免疫力が下がった場合にも、同じく糞に混ざって放出されることがある ) 。オーシストは外界に出ると数日で成熟し、それ以後、数ヶ月 〜 1年以上に渡る長期感染力を保持するようになると分かっている。だからこそ最終宿主はネコと目されているのだった。だが、トキソプラズマがネコ以外の動物 ( ブタや羊や鹿など200種類以上 ) に感染してる場合、もしもその肉をナマか生に近い状態で食べれば、食べた生き物 ( 人間を含む ) にもシストの形で感染する。またネコ以外の動物の体内において、トキソプラズマはシストの形で筋肉と脳に分散して寄生する事が分かっているが、このシスト状態のトキソプラズマは必ずしも完全に休眠してるワケではない。実はその体内で特に脳内で何か得体の知れない活動をしてるらしい …という前記の事実をも考えに入れるなら、従来的な「最終宿主」や「休眠」という概念自体が、最早、全く無意味化してる可能性も十分にある。]
2つ目はトキソプラズマがネコの獲物でない ( つまりネコに食べられる筈のない ) 人間に卵を産み付けていないとすれば、いったい人間は何故トキソプラズマにそれ程多く感染しているのか? という疑問である。
1つ目の疑問には大いにその可能性があるだろう。
もしそうならトキソプラズマがネコを中間宿主に選んだのは全く正解だし、ネコを人間に食べさせなくても「家ネコの仕草を少し可愛くしてやる」だけで、幾らでも人間に乗り移るチャンスは増えそうである。
それは捕食行動と違って日々継続的なチャンスだから、トキソプラズマは猫と人間の間を、何度でも行ったり来たり出来そうである。
2つ目の疑問の答は言わずもがなである。
人間は通常ネズミを食べないし、トキソプラズマが猫の獲物として人間に卵を産み付けているのでない以上、 ( しかも多くの女性はネズミが苦手で触る筈もないのだから ) 人類の凡そ半数以上もが感染してる…というトキソプラズマの「感染経路」は基本的に2つしか有り得ない。
つまり「ネコから人」、「人から人」への感染経路しか考えられない。
よってトキソプラズマが捕食によらずに接触感染するのは間違いない。
[ 実はネコの糞からの接触感染 ( そのネコに初感染したトキソプラズマのオーシストが混ざってしまった砂 ) が、砂場等での子供たちへの感染経路として、甚だ深刻であるという。 もう一つはその状態にあるネコ …しばしば子猫 …が自らの尻を舌で舐めたり、糞やそれの混ざった砂や床や地面と接触した部分の毛繕いをこれまた舌で舐めて為ており、更にその子猫が可愛いからとネコ好きの人や子供がネコとキスしたり、ネコに舐められたりする事が重大な感染経路になってる。]
この2つ ( 3つ ) から、もう1つの答が出てくる。
つまりそうして一旦人間に感染したトキソプラズマは、ネズミやネコにするのと同じく人間の行動をも、自らの宿主交換に都合よく変化させているのに違いないだろう。
それは一体どういう行動になるのだろう?
恐らくは人間がネコに、やたらにベタベタと接触したがるということになるのではないか?
そしてもし当のネコも感染していれば、両方が時おり異常なほどにベッタリとくっつく…
実際それに近い「ネコ気違いの家庭」は多々あるし、完全にベッタリだったりするから、もしあれが実はトキソプラズマのせいでそうなっているのだとすると、もう非常に不気味である。
何よりもそれまでネコに何の関心もなかった人が、急にネコ好きに変わったりしたら、要注意だということになるだろう。
よく「ネコはネコ好きの人を見分ける」と言うが、あれはもしかするとトキソプラズマを持っている者同士が惹かれ合っているだけなのかも知れないのである。
仮に、トキソプラズマの最終目的地が人間ではなく、あくまでもネコだったとしても、人間は幸いにして ( トキソプラズマのせいで ) ネコに食べられたりするほど小さくも弱々しくもない。
だから、人類と長年付き合ってきた寄生虫が、人間とネコの日常的な関係に適応して、もっとずっと効率的で何度もチャンスのある方法で、ネコの体内に確実に入り込もうとするだろうことは、容易に想像がつく。
これは捕食行動による接触よりは移動しにくいだろうが、1回限りでなく頻繁に日々繰り返せることなので、移動が成功する可能性は極めて高いのに違いない。
忘れてはならないのは、ネズミは元々「人間のひな形として色々な医学実験に使える」から使われているので、ネズミで起こることは大抵ほぼそのまま人間にも起こりうるということである。
もしそうでないなら現在の大方の医学的実験研究は ( 臨床研究を別にして ) ネズミでのものに尽きるので、全く当てにならない…ということになる。
( まあ、この可能性は実は多分にあるのだが。)
十分に大きな可能性として、既に前記のトーリー博士の研究で、トキソプラズマは人間の脳のグリア細胞に寄生してそれにダメージを与えること、そしてそれはどうやらスキゾフレニア ( 統合失調症 = 精神分裂病 ) に繋がるらしいことが示唆されている。
( 何とスキゾフレニアの一般的な治療薬の一つは、トキソプラズマを殺す薬効を持ってることが判明してる…のだという! これは傍証と言えるだろう。)
スキゾフレニアの症状は必ずしも一定ではないので、それがトキソプラズマの移転し易い行動と一致するかどうかは分からないが、それが酷くなった時には多分、ネコと一緒にいれば極めて感染し易い状況になるだろうことは想像できる。
[ 2016.11.25. 追記 ; 最近ではシスト状態で脳内に寄生してるトキソプラズマが脳内伝達物質であるドーパミンの放出を促してる …という研究もある。 ]
かくして冒頭の疑念に戻る。
もし人間の体内に寄生するトキソプラズマのサイクルと、飼い主とネコのベタベタするサイクルに相関性があれば、また特にネコの好きでなかった人が、トキソプラズマに寄生されて以後、急にネコ好きになったりということが、少なくとも疫学的にでも証明できるなら、この可能性は大いにある…と考えなければならないだろう。
[ 2016.11.22. と 2016.11.30. に追記 ; 実はこの後段の議論には、恐らく異論を唱えたいトキソプラズマの感染に詳しい人々が、沢山居るだろう。
…というのは、通常の議論ではトキソプラズマの感染は、その休眠体であるシストの含まれる肉をナマか生に近い状態で食べて感染するか、「 トキソプラズマに初感染したネコの数週間ほどの糞にだけ含まれるオーシストに汚染された砂や土や野菜などからの感染 」 についてしか、主には語られていないからである。
トキソプラズマにはしかし、このシストとオーシスト以外に、タキゾイト ( 栄養型 ・急増虫型 ) と呼ばれる 「 寄生した生物の体内 ( 細胞内 ) で活性化した状態 」 が存在する。
このタキゾイト型のトキソプラズマは、粘膜や血液から細胞内に入り込んで寄生し、其処で急速に増殖してゆく。
その増殖はカエルの受精卵の卵割のように、元の大きさは余り変えずに内側に向かってどんどん細かくなる …という形で増殖してゆくものの、それでもやはり次第に大きくなってゆく。
そうやって十分に増殖したタキゾイトは、やがてその寄生してる細胞を破壊して細胞外へと飛び出し、他の細胞にも取り付いてその中にも侵入し、再び同じ暴虐を繰り返してゆく。
この苛酷な破壊過程でその寄生された動物に起こるのが、所謂、トキソプラズマ症である。
が、ネコでも人でも他の動物でも、その時期を何とか持ち堪えると、この無法者のトキソプラズマに対抗するトキソプラズマ抗体がその間に体内で生成されるようになり、その破壊テロ行為を力ずくで抑え込むようになる。
するとタキゾイトは鎮圧され、最早、簡単に細胞内での増殖など出来なくなってしまう。
それが最終宿主のネコの場合だと、タキゾイトは最早、( その腸管上皮層内に寄生して有性生殖して ) オーシストを作れるような状況には居られなくなってしまう。
( かくしてその時期を過ぎたネコの糞には、もうオーシストは含まれなくなるのである。)
トキソプラズマ抗体に取り囲まれ、最早勝手には動けなくなったトキソプラズマは、 ( 血中や細胞内で急速に増殖してゆく ) タキゾイト型から ( 緩増殖型の ) ブラディゾイトへと変身する。
そのブラディゾイトは、トキソプラズマ抗体から身を守る防護膜で自らを覆ったシストとなって筋肉内や心筋内では紡錘型、脳内では球型となり、筋肉内や心筋内や脳内に寄生して殆ど動かなくなり、トキソプラズマ抗体の目を晦まして密かに ( 宿主が死に至るまで ) 生き延び続けるようになる。
( 密かに …とは言ってもゆっくりと増殖してゆくそのシストの大きさは結構様々で、「 僅かに数個のブラディゾイト原虫を含む極く小さなシスト 」 から 「 数千個ものブラディゾイト原虫を含む 200 μm = 0 . 2 ミリメートルの巨大なシスト 」 までがあるのである。)
だからこの状態にある中間宿主の肉を、ナマか良く加熱しないで食べると、その捕食生物はシストの狙い通りに、中間宿主が死ぬ瞬間まで生き延びてたトキソプラズマにシスト経由で感染し、新たな中間宿主 ( それがネコ科だった場合は最終宿主 ) となるのである。
このようにトキソプラズマに既感染の生き物の体内は、トキソプラズマ抗体によってトキソプラズマが主に筋肉と脳中にシストの形で封じ込められ、殆ど動けない状態か、或いは殆ど動かずにトキソプラズマ抗体の目を晦ましつつ潜んでる状態なのである。
その故に、ネコにも人間にもそれ以外の中間宿主動物の多くにも、大した変化は現れないのである。 ( 少なくとも十数年前までは、そう思われていたのである。 )
が、一つだけ重大な見落としがあるように思えて仕方がないのだ。
それは 「 タキゾイト型やシスト型のトキソプラズマの滲み出しでの、粘膜接触感染や体液交換感染 」 の可能性が、殆ど無視されていて全く考えられてないのにも近いことである。
単純に考えるとそうした経路は、ネコの場合だと粘膜 ( 口、鼻、目、性器、肛門 ) や傷口、及び体液 ( 唾液や呼気、足裏の汗、尿 ) ぐらいしか思い当らない。
が、最近に至るまで ( 食肉中のシストや初感染ネコの糞中のオーシスト以外の ) そのような感染経路については、特に深く研究されていないようで、殆ど言及が無いのである。
その主たる理由は、この活性化状態下のタキゾイト型トキソプラズマは、胃液に曝されると死滅し胃を突破出来ない。
なので、もし間違って口に入ったとしても、それが原因で感染する危険性はない …と普通は考えられてる為である。
が、胃に達するより以前に、口中や鼻孔や目の粘膜経由で感染する可能性は、やはり実際にあるのである。
[ このタキゾイト型トキソプラズマの粘膜感染がある事は既に確認されてる。 そうしたケースは稀とされてるものの実際に無いと限ったものではない。 タキゾイト型トキソプラズマが体内で自由に活動可能なのはそれが初感染である宿主の体内で抗体が生成されて効果を発揮するまでの 2 〜 3 週間に過ぎないのだが、それでもその間に未感染生物の粘膜に接触して移動すれば、其処にも未だ抗体は存在してない為、「 タキゾイト型トキソプラズマの粘膜感染 」 は十分に有り得る事なのである。 だが、通常の感染経路 ( シストやオーシストの経口感染 ) の可能性が少しでも見出されると医療現場では直ぐに 「 それだ! 」 となってしまう為、その可能性は滅多に考慮されない。]
この粘膜で受容して感染する可能性がある …という事は、当然、その逆に初感染した生物体内の 「 タキゾイト型のトキソプラズマは粘膜上や体液中に滲出する可能性もある 」 …という理屈になる。
この理屈は更に、体内に抗体が形成されてタキゾイト型トキソプラズマがブラディゾイト型に変わり、周囲に防護膜を形成してシストとなってる筈の既感染生物の場合にも、その生き物が体調を崩し、免疫機能が十分でない時にはシストは殻を解き、ブラディゾイト型やタキゾイト型トキソプラズマが再び体内に解放されるので、既感染の場合にも 絶対有り得ない事 では決してない。
更に更に、既感染生物体内のシストは実は脳や筋肉内に限らず、身体中の至る処に入り込んでることが既知である ( これは驚くべき事であるが ) ので、シスト型のトキソプラズマが既感染者の粘膜中や体液中にも存在してるだろう事は恐らくほぼ間違いない。
するとその粘膜上のシストがもしも粘膜接触した未感染者の粘膜上にたまたま移動した場合、トキソプラズマ抗体の未だ存在してないその新規感染者の粘膜上で、シスト型が先ずはブラディゾイト型、次いでタキゾイト型へと変身し、その未だ何処にも敵の居ない新天地で大いに羽根を伸ばし、一気に増殖し始めるだろうことは簡単に推測出来る。
かくして、シストでの粘膜接触感染や体液交換での感染は十分に有りうる、という理屈になる。
これは一寸聞くと、トキソプラズマ既感染者の粘膜や体液を病院で調べて其処にタキゾイトやシストが本当に存在してるかどうかチェックしてみれば、その真偽は簡単に分かる筈 …と思うだろうが、実はそうでもなく、その専門的な研究者がちゃんと現れ、改めて研究して呉れない限り、その実態はまるで不明なままなのである。
何故なら、トキソプラズマ感染の有無は現在、実際に顕微鏡で其処にタキゾイト状態 ( 或いはシスト状態 ) のトキソプラズマが居るかどうかを一々確かめてるワケでは全然ないからだ。
トキソプラズマの感染検査は、今では血中のトキソプラズマ抗体の有無を血液検査 ( より正確には血清検査 ) でチェックしてるだけなので、感染しててもトキソプラズマ抗体が未だ形成されてない2 〜 3 週間のあいだ ( つまり身近な人たちに気付かずに粘膜感染・接触感染させてしまい易い最も危険な筈の期間 ) はずっと 「 感染無し 」 と判定され続けるし、また仮に感染してると判明しても実際のトキソプラズマが何処にどんな形で存在してるのか? …については、全く確かめられていないのである。
つまり現在の医療機関で受けられるトキソプラズマの感染検査とは、トキソプラズマに対抗するトキソプラズマ抗体が自分の血中に出来てるか否かを血清検査の結果で判断してるだけで、実際にトキソプラズマの存在自体を何処かの部位で確認してる …という事では全然ないのである。
( この辺りの事情は、厚生労働省 結核感染症課 動物由来感染症担当の女性獣医師 岡田氏に問い合わせて、大変丁寧に詳細に回答して戴いて漸く分かった事である。大いに感謝する。 )
話が少々細部に入り込み過ぎてるので、もとい。
しかしトキソプラズマに感染してる生き物には多くの場合、何の症状も現れない。
極端な話、トキソプラズマにとって最適環境である初感染直後のネコの体内では、トキソプラズマは最大の活性を発揮してる筈だが、実際に初感染したネコの様子を見れば分かる通り、通常は別に大した症状も出ないのであり、免疫不全の子猫でもない限り重症となることは稀である。
この事はネコ以外の動物についても同じで、上のネズミや人間についての研究が現れるまで、トキソプラズマの感染症状は殆ど無いものと思われていた。
そして現在、仮にトキソプラズマに感染したところで、既にフランス人の45%とかドイツ人の43% ( ガーナ92%、ブラジル67%、アルゼンチン52%、スペイン44%、日本は30% ) とかがもう感染してるワケで、サッカーの優勝国は軒並みトキソプラズマの感染率が高いなどとも言われてる位なので、ほぼ誰もがそれを 「 深刻な感染症 」 だなどとは思ってもいない。
だから、その感染経路がシストやオーシスト以外に、もっと色々有るのかも知れない …とは特に考えてもいないように見える。
現在の処、トキソプラズマ感染の危険性云々は、胎児や幼児の感染防止にほぼ限られてる。
( 少なくとも人類は未だ、ネコに於けるトキソプラズマ感染の兆候を判別出来ない。 )
故に私たちは未だ、トキソプラズマに感染してる人々の体内で ( 一見すると休眠してるようにしか見えない ) トキソプラズマが、本当は一体何をしてて、どのような感染経路を持っているのかをなんにも知らない …と考える方が正しいのに違いないのである。
恐らくトキソプラズマはこれまで知られてる以外の経路で直接的に粘膜感染する感染症であると考えられる。
ネズミや人間の事例によって、通常はただ筋肉組織や脳にシストを作って緩増殖休眠してるだけで何もしてない筈の ( ネコ以外の動物の ) 体内でも、トキソプラズマが何かしており、人類はこれまで少しもそれに気付いてなかった …と漸く分かったのである。
トキソプラズマはつまり、眠りコケてなどおらず、シッカリ起きているのである。
多分、ネコと人、人とネコ、ネコとネコ、人と人、の間での常態的 ・定常的な粘膜接触 ・循環流通感染といった経路が成立してるのである。 ]
・……………………………………………………………………………………
( 疑問符 ) ( 2016.11.18. 追記 )
AV女優常時 1 万人と AV男優僅かに 70 人は全くの新人を除いてトキソプラズマ感染者集団かも知れない?
一寸した論理的可能性妄想の類いではあるが、AV 出演者たちの殆どがトキソプラズマ感染者で AV 撮影現場は既にトキソプラズマの坩堝…というような状態ではないのだろうか?
AV の撮影現場は、現在では撮影毎に出演者全員の性病感染有無が厳しく 2 重にもチェックされており、一般人が想像してるよりずっと衛生に注意が払われてて、一般人が風俗に行くより遥かに清潔で安全な現場なのだが、性感染症については確かにそうでも トキソプラズマ感染 については、そうとも言い切れない。
汎ゆる仕事 ( 職業 ) の中でも、およそ AV 出演者ほど濃密かつ濃厚に 「 複数の人間間でのナマの体液交換 と 粘膜の擦り合わせ行為 」 を定常的に繰り返してる職種は、ちょっと他に無い。
なので、AV 女優は約 1 万人、AV 男優は僅かに 70 人という日本の AV 界の現場に於いては、その過剰なまでの体液のやり取りによる 「 高濃度なトキソプラズマ循環流通 」 とも言える感染が、AV 界の全体に拡がってたとしても全く不思議ではない。
この傾向は、僅かに 70 人程しか居ない AV 男優を介して、日々デビューしては入れ替わり引退して消えてゆく現役 AV 女優約 1 万人に順次感染して拡っているもの …と考えられる。
トキソプラズマが人間に感染した場合に現れる …と目されてる人間の性格や行動の変化は、AV 業界に於いては業務的に有効かつプラスに働くので、( サッカー界に於けるソレと同じく ) AV 界はトキソプラズマ感染の拡がりに多大な恩恵を蒙ってる …ものと考えられる。
何故ならトキソプラズマに感染してる女性は、より社交的で大胆になり淫らになり男性に媚びを売って甘えるようになり、トキソプラズマに感染してる男性は、よりアグレッシブになり反社会的になりリスクを怖れない暴走的な性格になる …と指摘されてるからである。
( 少なくとも一寸見には、トキソプラズマに感染してる AV 女優と AV 男優は、まさしく AV にうってつけの資質であるように見える。 )
だからこそ新人の清楚な AV 女優は皆、少しするとどんどん過激で淫乱になっていってしまうのではないか? そして暫くするとトキソプラズマの最終宿主であるネコを飼い始めて猫とキスまでしたりして …。 AV 男優からウツされてトキソプラズマに感染した新人 AV 女優が、外に出たこともない室内飼いのネコにキスしてトキソプラズマを感染させてしまう …というような感染経路だってきっと有るに違いないのである。 そうして AV 界全体がトキソプラズマに完全支配されて益々過激になってしまってる …のかも知れないのである。 ( さてさて完全なる妄想かな? これは? )
( 2018.10.3. 追記 )
どうやら最近は、トキソプラズマに感染した哺乳類のオスは、精子とともにトキソプラズマのシストをメスの膣内に放出する為、トキソプラズマはやはり性感染する …という所までが判って来てる様子である。 哺乳類では既に、ラット、ネコ、イヌ、羊において交尾によるトキソプラズマ感染が報告されてる …と小耳に挟んだ。 ならばヒトでも、トキソプラズマの性感染は、やはり確実に有る …という理屈になる。
が、この上の記述の如く推定に依れば、既に AV 業界は ( たまたまトキソプラズマ非感染の ) 全くの新人を除いてそのほぼ全体が 「 トキソプラズマ感染者集団 」 なのに違いなく、もしもその集団の一人一人に対してワザワザ撮影前のチェックでトキソプラズマ感染までを調べ、「 トキソプラズマ既感染なら撮影参加は不可 」 …なんてやったりしたら、結果、誰一人として出演可能者が残らず、その瞬間に AV 業界の全体が崩壊しかねないだろう。
が、結局のところそれは 「 吸血鬼 」 の物語と同じことで 「 皆が吸血鬼なら、吸血鬼を怖がる理由は別に無い 」 ワケで、既に AV 業界のほぼ全体がトキソプラズマ感染者集団なら、逆に 「 トキソプラズマ未感染者は AV 撮影に参加出来ない 」 …と決めて、AV 撮影前のチェックでは ( 全くの新人を除き ) トキソプラズマ感染チェックは一切行わずに、AV 業界そのものの方を守るのに違いないだろう。
つまり AV に出演するには新人 AV 女優のみならずアルバイトの汁男もまた、ネコを飼うなどして? 予めトキソプラズマに感染してないと、撮影参加は不可 …ということに? 否、そうはならないな …。 恐らくはただ、 「 AV 撮影に参加するからには、トキソプラズマ感染は覚悟の上で 」 …というのがAV 業界の新しい常識になるぐらいの処だろう。
・……………………………………………………………………………………
新しい恋人とキスしたりセックスしたあとで急にネコ好きになってしまった人を主人公にした、珍妙な怪奇ストーリーをついつい思い付いてしまったゾ。
ホラー少女マンガとしてピッタリかも知れない!
( 疑問符 ) ( 情報* ) ( 2008.12.7. 記 )
感染死亡率62%! 予測される新型 鳥インフルエンザ ウィルスへの防衛策とその彼方にあるもの
鳥インフルエンザ ワクチンは、いまだに3000万人分を2009年3月までに備蓄する…というレベルでしか、対処するつもりのないらしい ( 国民蔑視の ) 日本政府。
( 一見すると論理的なもののようには聞こえるものの、適用優先順位…という「国民差別意識」を平気で公表する、この政府首脳陣の無神経さは、今や米政府のソレと同じである。)
タミフル製剤は、処方可能らしいが、ウィルスの増殖を抑える効力のみの為、発症 ( 感染? ) 48時間以内に処方しなければ手遅れになる…という。
特効薬 T-705;( フジフィルム グループ 富山化学工業 ( 古田要介事業開発部長と江川裕之氏 ) が開発した、全インフルエンザ ウィルス対応、感染細胞内で当のインフルエンザ ウィルスのみを死滅させる鳥インフルエンザ全体への特効薬 ) に全世界の注目が集まっている。
この薬は現在既に治験薬として臨床実験中フェーズ2で、厚生労働省の“認可待ち”である。
( 2009.1.30. 追記 )
国立感染症研究所 ( 村山市 ) 内田哲也 主任研究官ら ( 北海道大学等と組んで「厚生労働省研究班」を形成してる ) が、研究14年目にして、これまでに発見された汎ゆるタイプのインフルエンザ・ウィルスに有効性の確認できる万能ワクチンを開発。連絡先; エ 042-561-0771 内線3336
( 但し未だ動物実験の段階で臨床治験はこれからである。)
このワクチンはウィルスの表面蛋白鎖ではなく核部分の蛋白に結合して機能する。
その為、このやり方で核蛋白を同定し、同様にワクチンを開発すれば、( 新型の鳥インフルエンザ ウィルスの他に ) SARSやC型肝炎、エイズにまで同様な効果を発揮する可能性がある。
テストしてみる価値は十分に有るという。
・……………………………………………………………………………………
このT-705;単純には日本の民間企業の力の凄さ …なのだが、エイズやエボラ出血熱と同じく新型 鳥インフルエンザで世界を脅しつつ、大量の犠牲者を上手に選択的に作り出したい …と考えてるWHO ( 世界保健機構 ) にとっては困った新薬であろう。
だから、このT-705の薬事認可には、何らかの圧力や妨害が ( 米政府から ) 厚生労働省にありそうである。
この懸念は、実際にこの薬が認可され、世界にも普及して、鳥インフルエンザの全体が、人類にとっての脅威で無くなる日までは拭えない。
( 2020.4.21. 追記; この T-705 こそが今の 「 ファビピラビル = アビガン錠 」 である。 )
・……………………………………………………………………………………
当然この画期的な特効薬を開発した富山化学工業の株価は ( 今のうちに買っておくと ) 薬事認可が降りた段階で高騰しそうに思える。
が、注意すべきは、マスコミによって恐怖感を殊更に煽られてるフシさえあるこの新型ウィルスは、未だ世界の何処にも現れてはおらず、本当に今後現れるかどうかも実際には不明な事だ。
そしてもし現れたとしても、このT-705が素早く認可され、適切に水際で適用されて極めて早期にソレを駆逐し食い止められれば、人類は最小限のT-705で安全を確保出来てしまう。
日本も世界も、それで救われるのだが、その場合、その最大の功労者であるこのT-705とその開発者 富山化学工業は、恐らく大した利益も上げられずに終わる …ということになる。
現在の「自由主義・資本主義」の貨幣経済下では、そのような功績自体に報いるシステムは特に用意されてないので、製薬会社の経営者や開発担当者は、余程高潔な人物でない限りは、世界の巨大製薬会社と同じく悪魔の囁きに耳を貸すことになりかねない。
つまり画期的な特効薬は ( 予防薬でなければ ) 、それが一番沢山必要になる時点まで待ってから発表し、売り出すのが一番儲かる、そうしないと殆ど儲からない上、大して感謝もされないだろう…という考え方である。( これは「奪わない盗賊より、一旦奪ったあとで返してくれる盗賊の方が良く思われ、感謝までされる」…という諺を彷彿させる。)
だから伝染病や色々な病気は、その犠牲者数がピーク近くに達するまでは、正式に発表も認可もされないままである方が良い…という空恐ろしい考えが、巨大製薬会社とそれに攣るんだ官僚や政治家の間には、蔓延するのである。
が、薬代や治療費といった医療費は、始めから一切無料…と決まってる、キューバのような社会主義国や福祉国家では、こうした考え方には、決してならない。
国家政府 ( 社会そのもの ) が、その特効薬の価値を評価して買うから、そうした社会の製薬会社や医療機関には、悪魔的な考えが生ずる理由も無いからである。
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言うまでも無く、アメリカ流の資本主義こそが、こうした悪魔的な思考を人間のアタマに吹き込む元凶なのである。
アメリカ社会で ( そして最今の日本社会で ) 頻発する“人間が他者を当たり前のように傷つける”行為の一切が、主に英米イスラエルの頂点層を中心として形成されてきた殺伐とした社会環境をカタパルト ( 或いは「鋳型」) として打ち出される荒廃した人間たちの起こす現象であることは、今やほぼ明白である。
端的に云えば、アメリカ式「資本主義」の徹底こそが ( 即ち「小泉 竹中 中川」売国奴政権が米潅木政権に脅され、その年次改革要望書に従って黙々と厚顔無恥に押し進めてきた「改革」こそが ) 、人心を荒廃させる悪魔的思考や行動を生み出す元凶なのだ。
アメリカ流「自由主義・資本主義」とその「年次改革要望書」とは、今や食品偽装疑惑や劣化米混入疑惑と同種の「亡国的毒物混入疑惑」の対象であり、その推進に加担して来た者たちは、須らく国民審判の前に連座させなければならない。
但し、それはむろん高潔に「無血審判」でなければならない。
流血のテロ等は、言うまでも無くアメリカ流の暴虐野蛮に属する行為だからだ。
( 情報 ) ( 2008.7.22. 記 )
サンゴの二酸化炭素吸収能は森林を遥かに越える
ならば二酸化炭素削減の為には、森林より先ずサンゴ礁を育成した方がずっと効率が良い。
( 情報 ) ( 2008.7.27. 記 )
腸内細菌叢 ( 腸内フローラ )
約 1000 種類、100 兆個もの常在菌が人間の大腸内には居る。
成人のお腹の中に居る常在菌の重量は、約1kg 〜 1.5kgである。
「 うんこ 」 の約1/4 〜 1/3は確実に腸内細菌である。
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腸内細菌叢の内、体外環境で培養が可能なのは現在僅かに 20 % 程でしかない。
残り 80 % が、現在の技術では体外培養不可能である。
その為、腸内細菌叢を各個別にではなく、纏めて全体をゲノム解析にかけることをメタゲノム解析と呼んでいる。
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希代の競走馬ディープインパクトの、腸内細菌叢に於ける乳酸菌種が、幼馬に特徴的なそれと一部一致してると判明してる。( 得られた菌種の8割以上が未知種だった )
姑息にも現在、その菌種を培養してワザワザ他の小馬に飲ませて育てる…ということを、同じ牧場の馬主が始めてるという。
( ↑ 名馬の腸内便を嫌気採取器で抜き出して他の馬に肛門から充填しての 「 腸内細菌叢移植 」 の方がずっと即効性がある筈だ… )
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この意味でだと、ギャル曽根とイチローの腸内フローラの解析結果を、同世代の健康な一般人同性と比較した結果には意味が見出せる可能性はある。
つまり、痩せの大食いのギャル曽根の腸内フローラで、楽にダイエットしたい女性と、イチローの超人的に研ぎ澄まされた腸内フローラ ( ? ただイチローの昼食は毎日カレーライスで偏食は有名だったゾ ) でアスリートの健康を得たい者たちの需要 ( んなもの有る…でも一寸有りそうだ )
また、真の玄米菜食者群と、肉食主体の食生活者や、コンビニ弁当中心の食生活者、ファーストフード食生活者、等々の同じ世代毎の腸内フローラの解析結果の違い、には大いに有意差が出てきそうだが…
但し、こうしたことが分かったからと言って、玄米菜食モドキのサプリメントや薬の開発や、その摂取に、重要な意味が有る等とは到底思えない。
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実生活においては経験法則の方が具体的で、遥かに役に立つ。
科学的手法での解析の結果は、経験法則で言われてる事の一部を、部分的に裏付けてるに過ぎない。科学的分析の方が確かだとか、重要だという主張は、科学者連中の職業的な自己宣伝に過ぎず、客観的な根拠の無い自己過信であろう。
腸内細菌叢全体の相互作用までを考えに入れた応用に耐えるのは、結局経験法則の方である。
科学的手法の価値など、所詮科学者の自己弁護以外の何物でもない。
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以上、NHK ETV 「 サイエンスゼロ 」 からの情報
( 情報 ) ( 2008.7.28. 記 )
道具を使い直立して歩けるフサオマキザル ( 2004年に発見された )
ブラジル中央部 ( ブラジリアから北へ1000km ) 乾燥地中の森 ボアヴィスタ に住むサル。
重い石をワザワザ崖の上から調達して地上に運び ( まあ多分、崖の上から落としといて後で拾いに行っただけだろうが… ) 、椰子の実を石か木の台上に据え、両手で石を抱え上げ、自分の体重を乗せて最大限の力で巧く椰子の実に打ち付け、かなり苦労して固い椰子殻を割る。
この普通のサルには割れない椰子の実を 「 食料 」 として確保したフサオマキザルがこの土地で有利なのは間違いない。
更に彼らはその重い石を日常的に高く精一杯持ち上げる必要から、既に直立歩行が出来る。
( 但しチンパンジーやボノボ、マダガスカルのキツネザルが直立歩行出来るのは周知の通り。)
現在の進化論の系統樹図式では、約 4500 万年前に枝分かれしたフサオマキザルはしかし、南米のチンパンジーと呼ばれる程にも知能の高い種である。
人間が訓練した個体は、人の言葉に反応し、実際に介護ザルとして十分役に立っている。
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このサルにアニマル・コミュニケーターを会わせて話をさせたら面白ソ…。
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二ホンザルなども直立歩行は出来るが、それは人間が訓練した結果であって、野生状態でそうなワケではなく、訓練した結果の直立二足歩行での姿勢もフサオマキザルほど完全度が高くない。
( 情報 ) ( 2017.5.26. 記 )
ウリュユのチェルケシェ = ロシア ビリュイ川上流 死の谷についての基本情報メモ
ロシア ヤクート ミールヌイウルス村
Vilyuyskoye_vodokhranilishche_Ulyuyu の cherkecheh ウリュユのチェルケシェ
● ビリュイ川の上流 右支流の一帯 「 死の谷 」
この“死の谷”には、嘗てのソヴェト ( ソビエト ) が発射実験と称して 280 発ものミサイルを撃ち込んでる。
その位置は、北緯 64 度 46 分、東経 109 度 28 分である。
( 情報 ) ( 2017.5.26. 記 )
キュリオシティの撮った棒状UFOの全長の下限値推定
キンバリーの標高は-4461m その真東に当たるアイオリス山の山腹の標高は-2804 故に標高差は1657m 距離は22701m。そのタンジェント値は0.072992379190344
対応する角度 θ 4.1747515666866度 =4°10′29.11″
2.5223013123564度 =2°31′20.28″なら、棒状UFOの長さは最小でも1000mとなる。
tan 0.017455
( 情報 ) ( 2006.3.28. 記 )
未確認の興味深い話
その1 恋煩いにはアンフェタミンが利く…らしい。
その2 マタタビの語源は実は「股旅」で、昔、股旅者たちが万能薬として携帯していた古事による。
一種の誘導体として働く向精神薬らしく登校拒否等の薬として利くらしい。
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知り合いのロベルト・F・藤沢氏から聞いた話である。
( 情報 ) ( 2006.3.31. 記 )
岩手県大船渡一帯の気仙地区こそは、平泉の黄金文化を支えた当時の世界の金鉱地帯、つまりあの“エルドラド”だった
当時の気仙地方には、そこら中至る所に平掘り出来る「金鉱」があったという。
その「金」によって奥羽の蝦夷 ( えみし ) 藤原氏の繁栄はあったのだ…と説明される。
既に掘り尽くしてしまったものらしいのだが、もう本当に残ってはいないのだろうか?
ともあれ、元寇やヨーロッパの海賊主義によって起きた「大航海時代」の原因と目的地「エル・ドラード」とは、なんと日本の「気仙」のことであった。
その遠因はどうやら、奥州「中尊寺」の金色堂を垣間見た来日中国人が、金箔張りの階段や金色堂の全体を金ムクと錯覚して伝え、その噂を中国で聞き噛ったマルコ・ポーロが、日本を「黄金の国ジパング」と東方見聞録に記してしまったこと…にあるらしい。
当時のヨーロッパ諸国には、まだ金箔張りの技術が知られてなかった為に、この誇大な解釈が生じた…とも言われている。
が、イスラム圏のイランなどには、古代から金箔張りより更に高度な金メッキの技術までが既にあって、その遺品が当時から骨董品として出回っていた筈である。
ユダヤ商人たちは広範な交易によってそれらを熟知していた筈である。
そのユダヤ人の深く入り込んでいたヨーロッパ貴族社会が、そうした技術について全く何も知らなかったという話は、従ってにわかには信じ難い。
とはいえ、昔の日本は、「黄金境」ならずとも世界で一二を争う「銀の生産地」であった。
石見銀山は本来は猫いらず ( 殺鼠剤 ) のことではなく、鎌倉時代後半から江戸時代初頭にかけて、当時世界第2位の銀鉱山であった。
日本はこの「銀」を大量に輸出することで海外から「金」を輸入し、その金が当時の大阪城の金箔張りなどを可能にした…ということである。[ 大阪城が炎上して落城した際、その金箔はどうなったのだろう? 金は燃え尽きないから、家康に埋め立てられてしまっていた内堀の辺りに、溶けて、微塵となって漉き込まれたのだろうか? あの徳川家康や天海僧正 ( = 明智光秀 ) が、そのことを果たして見逃すだろうか? 妄想は尽きない…。]
( 情報 ) ( 2006.6.6. 記 )
虫歯治療の革命「3Mix-MP法」とストレプトコッカス・ミュータンス ( Streptococcus mutans )
新潟大歯学部の星野悦郎教授と仙台市の歯科医宅重豊彦医師の開発した単純で害の殆ど無い虫歯治療法。プロピレングリコールとマクロゴールを基剤に、3つの抗菌剤 ( メトロニダゾール、ミノサイクリン、シプロフロキサシン ) を調合した混合薬を虫歯の中に入れ、詰め物で穴を塞ぐだけ…という極めて簡単なもの。
この方法だけで歯髄にまで浸透したミュータンス菌などを100%殺菌し尽くして、全く歯を削る事なく軟化した象牙質までもが再生出来るという。 連絡先;info@3mix-mp.com
尚、この治療の為の薬剤の価格は、保険適用外にも拘わらず僅かに数円だという。
まさに歯科医業界全体の営利体質が完全に窮地に陥るような、画期的な治療法の発表である。
歯科治療費の大幅な減額があって然るべきである。
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エナメル質を失った部分にされる現状での詰め物が、エナメル質の再生不可能な阻害物質であることの改善が今後の課題だろう。
再生医工学では既に常識化している骨組みやカバーだけを与えて、その内側にエナメル質が再生するようにしておいて、途中まで出来てきたらその足場を外す…という基本的な方法が、一体何故歯科治療では採用されていないのか不思議である。
( 疑問符 ) ( 2002.12.5. 記 )
人体の免疫システムそのものを崩壊させかねないライオンや花王などの生活衛生商品群
( キッチン泡ハイターなどの製品によって生活環境をクリーンにし過ぎた事の製造物責任 )
クリーン過ぎる生活環境を作り出し得るそれらの製品群と、それを「使うべき」と促すCMには、その双つが相まって私たちの生活環境をクリーンにし過ぎてしまった事の、明白なPL法 ( 製造物責任法 ) 上の責任がある。
クリーン過ぎる日常生活環境が、実は人間にとって重大な害になることが知られていなかった時点ならいざ知らず、それが既に知られるようになった現在においても、それらのメーカーは相変わらず同じ事をし続けているからである。
クリーン過ぎる日常生活環境は、色々な雑菌を含めて、通常の自然環境には存在する筈の「抗原」をことごとく排除してしまう。そのことによって、 ( 出合うことのなくなった)それらの抗原に対する個別の免疫性は、“それが作動する機会が実際に無い”という事実に因って、不要なものと認識され、体内でリストラされ、消滅してしまう。
自由に外へ出て泥んこ遊びをすることをしなくなった…というか、できなくなった子供たちは、既にそうした環境の中でだけ暮らしていると思った方がよい。彼らの一部は、少し大きくなっても電車の吊り革を普通に握ることを避けるほど神経質に育つのである。公衆電話の受話器を素手では決して握りたくない彼らにとって、ケータイやPHSの普及は願ってもない事だったろう。それは、いわゆるOCD ( 引き篭もり型接触恐怖潔癖神経障害 ) という呼称を持つ状態と紙一重でもある。
OCDの人々を含めて、生活衛生産業のCMに易々と乗るような潔癖症やバイキンアレルギーの母親たちに育てられていて、不幸にも病院の手術室にも似たクリーンな家庭環境で日々暮らすしかない幼児や小児の身体からは、従って ( 容易に想像できるように ) まず個別免疫性が次々失われてゆくことになる。その環境で暮らし続けている以上はそんなものは全然必要がないからである。その結果それらの子供たちは、そうした環境外では安全に暮らせないほどの微々たる防衛システムのみで、つまり殆ど無防備な、免疫的に言って「丸腰」の状態で生きることになる。
そしてもしこうした子供たちが、その成長期間中ずっとその状態に在り続ければ、やがていずれは、これまた滅多に使うことのない当の免疫形成システムそのものまでが、正常に機能しなくなり、最後には ( もしかすると成育の途中で)それが消滅してしまうという事にさえ、なりかねない。
まさかそこまでは ( 或いはそんな証拠はまだ無い ) という反論の一切は、恐らくそうした製品メーカー側の人間の、まったく無責任な、特に根拠のないただの楽観に過ぎないと敢えて言っておこう。長期間に渡って使われることのない身体の機能が遠からず消滅するのは、生き物の身体の中の必然であるからだ。それを甘く見ては絶対にならない。免疫システムが殆ど作動しないような、極めて異常な環境が、日本社会では既に広範に形成されつつあるのである。
実際、私たちが幼い頃に腕を傷つけてまで受けたあの種痘の効力は、その効果の残っている間に海外旅行などでたまたまもう一度天然痘の抗原に接して、その抗体が再活性化されてない限りは、既に完全に無効となっているのである。だから日本国内にもし今 ( テロなどによって ) 、大量の天然痘がバラ撒かれれば、私たちの大多数は簡単にそれに感染し発病してしまうのである。
更に ( あのエイズとは全く別に ) 、純然たる免疫不全症というものも、現実に存在している。
恐らく、現在の日本のクリーン過ぎる日常生活環境は、天然痘のような法定伝染病に対する免疫効果の消滅には限らず、あらゆる個別の免疫性や、そして免疫形成反応そのものまでをも、崩壊させるべく促しており、それは保健医療における病院の安易な抗生物質の多用と相まって、そうした危険な状態が完全に人為的かつ商業的に作り出され、全く無責任に傾向づけられていると言ってよい。
私たちは今や、その事実にはっきりと気づくべきである。
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補足
病院での院内感染の原因の一つに、人間の体内の細菌を善も悪も構わず全て殺してしまう抗生物質の安易な使用が上げられる。抗生物質の投与によって本来身体にとっては必要な善玉菌たち ( 例えば腸内細菌叢 ) までもが全滅してしまい、人間が自然に持っている免疫力が著しく低下することが知られている。
実際にある病院では余りにも院内感染が多かったために、思い切って抗生物質の投与を全くやめ、患者自身の持つ免疫力だけに任せてみたところ、院内感染が途端に激減したという事実さえある。
無論その内、ここに指摘した免疫システム崩壊を防止する為の、完全に無毒化された多種類の抗原の入った自然環境カプセルといったものを、「○○○を一定期間ごとに飲むのは、大切な免疫の維持の為には絶対に必要です」とでも謳う、製薬会社の ( 完全にマッチポンプ式の)CMに促されて、私たちはわざわざそれを買って飲むということになってしまうのだろうと予言しておこう。
無論それが本当の病原体の環境適応力に対しても、十分な対応力を持ちうるかどうかは、甚だ疑問ではあるが…。
( 疑問符 ) ( 2004.6.15. 記 )
脱臭剤への疑問符 ( 脱臭剤を多用することのバカさ加減 )
悪臭が、本来的にはその生き物にとって有害な「悪臭の源」それ自体を、徹底的に排除すべきもの、或いは避けるべきものとして、当の生き物に確実に知らせ、判らせ、そう反応させ、そう行動させる為の「臭覚的アラーム」であることを、全く無視しているとしか思えない、最近の馬鹿げた「脱臭剤の多用を薦めるテレビCM」。
そうやって生活圏の至る所で「匂いのアラーム」を表面的に化学的にだけ消してしまったら、その至る所に、実は排除すべき悪臭の元がまだ完全には排除されずに残ったままになっていたとしても、誰もそれに気付かないという事にもなりかねない。 …なりかねないどころか既に現在では、実際にその通りの事が起きているのであろう。
本来なら、その取れない悪臭故にとっくに捨てて取り換えざるを得なかった筈の公共施設の類いや、家具や、色々な備品などが、消臭剤のせいでそのまま知らん顔で使われ続けているのだと気付くと、思わずゾッとさせられてしまう。
こうしたものは間違いなく「真の清潔な環境」を人間社会にもたらす為ではなく、「表面的にだけキレイに見える」ことを求める姑息な店舗経営者などの要求にだけ迎合する為のものであろう。
まさしく「臭いものに蓋」型の商品そのまま ( 元よりそういう種類の商品だから、そう言っても全く何の非難にもなり得ないのではあるが… ) なのである。
本来的には「表面的に分からなければそれで良い」というものでは決して無いことが、こうした行き過ぎた「消臭 ( デオドラント ) 主義」の社会では全く無視されている。これは実におぞましい事ではないのか?! どうしてもっと多くの人が「表面的な消臭など、滅多な事ではすべきでない」とちゃんと気付かないのだろう。 消臭剤メーカーは消費者のその無知に付け込んで、TVのCMを大量に打ち、如何にも清潔感のあるタレントを使って自社の製品を拡販して、この社会を間違った方向に導こうとしているのである。
考えても見よ。道端のイヌのウンコに消臭剤を掛けて、もし何の臭いもしないようにしてしまったら、きっと多くの人が事前にその臭いで気付くことなしに、ついウッカリそれを踏んでしまうだろう。そして消臭剤の効き目が強力で、更に踏ん付けてもなお悪臭が無ければ、泥濘を踏んだのと同じように、大して気にもせずにソレを踏んだ靴のまま、何処へでも平気で入って行ってしまいかねないのである。
真の悪臭とは、基本的には匂いそのものだけが有害なのではなく、悪臭の「源」の方が、その生き物にとって有害であるが故に、その生き物の臭覚にとって耐えがたい「悪臭」となるよう仕組まれているのである。
むろん納豆やブルーチーズ、ドリアンと言った極端な例外はあるものの、概ねはそうである。
ハエやスカラべのように、ソレが有害でなくむしろ有益な生き物にとっては、きっとその臭いは別に「悪臭」ではないのだろうが、ソレを「悪臭」と感じる生き物にとっては、多くの場合、それは有害であるに違いないのである。その有害物の発する危険信号だけを人為的に消してしまうということが、決して正しくないことは余りにも明白である。
匂いを ( 表面的にだけ ) 徹底的に排除しようとする、この日本社会の消臭剤メーカー主導の誤った方向性には、本気で断じて反対すべきだろう。
( 疑問符 ) ( 2005.10.22. 記 ) うつぎれい 「 徒然に書き連ねると色々な事が解ってくる 」
嫌われ者の不潔な虫達こそが実は人間や動物の免疫を陰で支えているのかも知れないこと
( 馬鹿げた想像的外挿から出てきた驚くべき結論、いや、今はまだ論理的可能性だが… )
●まずは馬鹿な想像的外挿
花とは言うまでもなく植物の生殖器である。
だから“お花見”というのは言ってみれば「ポルノ鑑賞会」みたいなものだ。
いまだに国内のインターネット・モロ画像や裏ビデオ、裏DVDを取り締まっている日本の警察が、良くまあ“お花見”を取り締まらずに放っておくものだなあ…等と、つい阿呆なことも考えてしまう。
だが、改めて考えてみるに、人間や動物の性器は放っておけば生臭くなるというのに、大抵の植物のソレは毎日風呂に入ってるワケでもないのに、みんな好い匂いがする。
しかも蜜だって甘くて美味しいのだ。全く何という公徳心の高さだろう?!
こうしてみると花の蜜やその果実が甘いというのは、なかなか大変な事である。
むろん花が甘い蜜を出すのは、いわゆる虫媒花で、虫や小鳥やサルなどの動物を引き付ける為のものだから…という説明は、一応誰でも紋切り型には出来る。
だけども、それだけだとあの良い薫りの必然性の説明は、実はつかない。
何故なら、仮に蝶々やミツバチやアブの類いが、そういう良い香りや甘い蜜を好むのだとしても、別に花粉を媒介する虫たちの好む匂いが、人間の臭覚の好みと一致していなければならない理由は、 ( 少なくとも現代科学的には ) 別に無い。
大体、ウンコやゴミのような臭い物にタカる飛ぶ虫だって、ハエを始めとして沢山いる。
また蚊のように、ただ人間や動物の血液という塩辛い体液を吸う為に、わざわざ危険を冒して生きている虫たちだっている。
だから、この世界の花の匂いや蜜がそうした嫌な匂いや、塩辛い味だったとしても別におかしなことでは全然ない筈である。
果実には甘いものだけではなく、苦いものや、酸っぱいものや、辛いものなど、色々なものがあるのだから、花の匂いや蜜も色々な匂いや味のがあっても良さそうなものである。
ところがそうはなっていない。
( 2016.8.10. 追記; …でもなくて、その温度帯故にミツバチには頼れない南国のマンゴーの花やドリアンのあの強烈なる悪臭は、正にハエを授粉者として選んでるが故だと言う。 )
何故なのだろう? もしかすると動物の性器の浸出液 ( 愛液 ) は塩辛系、植物の性器の浸出液 ( 花蜜 ) は甘味系と造物主が決めてるのだろうか?
逆に考えると、もしも人間の“性”交渉が植物と同様に「風媒」とか「虫媒」であったなら、「猥褻物陳列罪」の制定は民族滅亡への道であったろう。 ( ← ますます馬鹿な外挿を始めてる )
そしてもし人間の“性”交渉が「虫媒」であったなら、きっと男も女もあの液体は甘かったり、恥垢も生臭くはなくて花のような良い薫りだったり、「風媒」なら、男の精子に羽根が付いてたりした…のかも知れない…ナンチャッテ。
いや違った、それを媒介する虫が、もしも蝶々やミツバチならそうなったのかも知れないが、ハエやウンカだったら、今のままの生臭い匂いでも十分だった訳だ。
( …とここで、しばし沈黙 …‥…‥… )
●さてここからが驚くべき可能性へと至る推論の開始である。以下はその思考展開のそのまま。
だが、もし、ハエやシデ虫 ( スカラべ ) にも、実はそのタカる対象との間に、そういう共生関係的な意味で、何かの役割があるのだとすると、…待てよ…? これは間違いなく何かある筈だな。
そう、ハエやウンカやシデムシは、動物の尻の穴の周りやその排泄物に集って、いったい本当は、当の人間や動物との生態学的な係わりの中で、我々に対して何をやってるのだ?!
もしかすると彼奴らも、そうやってタカってる動物のDNAや生殖に対して、何か意味のある事を、実はしてるのじゃあないだろうか?
待て、待てよ、「生殖」ではなくて、むしろ「免疫」について…なのかも?
そうか、…そうだ! もしそうなら、その可能性なら、元より大いに有りだ!
つまりこうだ。適度なレベルの細菌汚染を、動物の食を含めた生活環境に絶えず与えることで、彼らはそうした動物達の体内免疫システムの崩壊を防ぐと共に、日常的なそうした微細な感染に耐えられない“弱い”個体を、自然に“間引く”という働きを、担っているという可能性があるワケだ。
つまり彼らの ( あの小さな脚で ) ウンコと食物の両方にタカるという行動 ( 知恵のあるためにやたらと神経質な、人間にとっては極めて不愉快な行動 ) には、ちゃんと意味があるのだ。
そういう小さな虫の行動によってしか、日常的に安全レベルで接することのできない病原因子がそうした汚物などの中に無数に存在していて、そうしたものへの免疫は絶えず更新され続けなければならない。
だから、その機会を与えることは大変に重要なので、日常的にそれを極く微量ずつ ( 健康体には害のないレベルで ) 取り込ませるシステムの一部、それこそが、その役割を担う小さな彼らのその行動の意味なのかも知れないのである。
即ち彼らのそのイヤミな行動こそは、他の動物 ( や植物 ) にとって、空気感染以外の病原因子についての云わば“微細な種痘”なのだ。
生活衛生薬品メーカーがテレビのCMで日々宣う、「危険!不潔!」の大合唱にも拘わらず、ハエやウンカのタカった食べ物を気付かずに食べたとしても、健康な普通の人々は、実際にはそんな事ぐらいで簡単に病気になったりしない。
言うまでもなくそれは動物の身体に免疫機能が備わっているからである。
だがその免疫システムは、その機能の対象となる病原因子に絶えず適度なレベルで出会って機能し続けていないと、一度も戦争をしたことのない軍隊と同じように戦闘能力がナマってしまう。
ナマってしまうどころか身体の中の免疫機能の方は数年、十数年も働かないでいると、やがてそれが消滅してしまうのだ。
だからそうしてたまたま暫く会わなかった敵 ( 病原因子 ) への免疫を全て失って、その生き物が危険でひ弱な状態に陥らない為には、常に、適度な安全レベルでだけ、そうした病原因子とも接している方が“安全性は高い”ことになる。
この安全性とは、言うまでもなく“無菌室の中にいることの安全性”ではなく、雑菌のいる外の世界でも普通に生きてゆかなければならない情況下に於ける、現実的な安全性、の意味である。
動物たちは普通、ペットであってさえも日常的に手を洗ったりはしない。 ( アライグマはどうなんだ!?…とツッコまれソ )
ましてや「ファブリーズ」や「キレイキレイ」なんて製品を使って、自分の巣穴を消毒したり消臭したりして生活してはいない。
だから、彼らにはその心配は皆無なのだが、人間の方はと言うとそうではない。
そうした石鹸メーカーや殺虫剤メーカーなど、生活衛生産業の台頭と、広告の蔓延によって、なかなか危険な情況に在る。
特に神経質な人々と、その子供たちが最も危険な状態に在りそうだ。
かくして言えそうなのは、この生活衛生メーカー各社によって、いまや死屍累々たる“病原菌の荒野”みたいな都会の清潔環境に在って、細々と孤軍奮闘し、“小さな種痘”を施しにやって来ては叩き殺されてる、 ( まるでスターウォーズでデススターに進入したエックスウィングの如き ) 果敢な生き物たちこそが、実はハエやウンカなのかも…知れない? のである。
この異端の見解に反対する人々の数は、女性を中心にきっと物凄く多いのだろうが、私自身、元々ひどいOCD ( 強迫性接触恐怖神経症 ) であり、極端に神経質だったからこそ、逆に、これが事実である可能性は結構高いと感じるのだ。
■ 潔癖症・O C D・ニート ( 引き籠もり ) についての補足
潔癖性や神経質というのは紛れもなく進行性のものだから、どんどん屋上屋を重ね、その度合いは果てしなく高じてゆく。
極限では自らが作り出した勝手な規準によって、自分自身を、中途半端に物理科学的な架空論理で、外界から遮断してしまおうとする。
その結果、それが亢じた人々は、外の世界に出たり、他の人間と交わってまともに生活してゆくこと、それ自体が出来なくなってしまう。
各自が形成する半ば現実的で半ば非現実的な架空論理は、それぞれが全く千差万別バラバラなので、個別に対応することの意味は大してない。
だが、放っておくと彼らは、自分の人生そのものを、その自己の勝手な規準で囲い込み、雁字搦めに縛り上げて、全ての出口を封じ、未来への可能性をも摘んで、自分を何もすることの出来ない人間にしてしまいかねない。
余りにも自分自身の神経質さと感情とを、絶対的なものと考え過ぎてしまっている為に、この現実の ( 彼ら自身も実際には其処に生きている ) 世界が、全然そんな規準では出来て等いないことに気付かないのだ。
そして自分がそうしていられるのは唯、そんな事を規準にしててもまだ何とか生きてられる、相対的に恵まれた生活状態にいるからでしかない…ということにも殆ど気付いてないからである。
基本的にそれらの人々は、自分の頭で考えた論理や感情だけによって行動し続けることが出来ているから、そうしていられるだけのことである。
だからそれでは生きてゆけない情況に、そこからは逃げられない状態で放り込まれれば、自然に直ってしまう場合が多い。 ( たとえば大震災などで、其処には居られなくなれば…である。)
彼らが閉じ籠もっているのは一種の心の袋小路のような場所である。
そんな極めて特殊な自分だけの巣のような物理的な場所が、元々作れないような状況にもし生きていれば、人間がそんな場所に閉じ籠もりきりになることは先ず殆ど無いだろう。
だから、神経質で色々な事に気付いてしまう人たちほど、そしてその神経質さを部分的にでも満足させてしまえる環境が可能なほど、こうした種類の心理状態は起き易くなる。
それは自分の許容出来ない汚い外部世界の拒否あるいはその遮断である。
彼らの考えが部分的には正しくとも、その規準ではこの現実世界は成立しない。
世界は“星とスミレ”では済まず、ハエやクマネズミだっており、ウンコや腐った死骸だってある。しかもそれらにさえ、ちゃんとした意味と役割があるのである。
生活衛生産業と現代医学の医者たちには、そう何でも「危険だ!衛生だ!」と騒ぐのをやめて欲しいものである。
危険なのはむしろ、あなたたちの“過ぎた警告”の方なのである。
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だが、もし…ここに述べた通りだとすると、この深い意味ではハエやウンカや、そして多分、蚊やゴキちゃんに到るまでもが、実は“益虫”だったという事になってしまって、学研の図鑑や文部省はさぞ困る事になるだろう。
全く「理屈と膏薬は何処にも貼り付く」とは良く言ったものであった。
( ところでいま、「理屈と公約は何処にも貼り付く」と誤って変換されかけ…て思ったが、それも言えてるワケで、このIMって、なかなか頭が良いのかも知れないナア。なんちゃって! )
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「動物はすべてを知っている」の著者; J.アレン・ブーンは上のことを、あのハエのフレディーから教えて貰わなかったのだろうか?
( 疑問符 ) ( 2002.12.24. 記 )
アメリカの牛肉は安全…という建前に隠されたとんでもない嘘
「アメリカの牛肉は安全」という、意図的に作られた「全くの幻想」の元に、相変わらず殆ど何の検査もされずに出荷され続けているアメリカ産牛肉 ( アメリカン・ビーフ ) 。
最近“米国食肉輸出連合会”という団体が日本の国内市場での販売拡大のために、わざわざ米国産牛肉の消費促進キャンペーンを始めている。余り目立ちはしないがこうした動きに対しては注意が必要である。何しろ…想定される危険は以下に述べる通り余りにも大きいからである。
牛丼やハンバーガーなどで、ずっと米国産牛肉を大量に消費し続けている日本市場に対して、今更なぜ、彼らが突然そんなキャンペーンをしなければならないのだろう? 重大な問題がそこに隠れている。 ( 日本のマスメディアは例によって殆ど何も報道しないが、実は恐らくアメリカでも日本でも、現在急激に“アメリカ産”牛肉の消費が冷え込んで来ているに違いないのである。 )
実際、米農務省から情報公開法によって洩れ出てきた「狂牛病広報計画」という政府文書の中には「米国内に狂牛病が存在するかも知れないという懸念が少しでも生じるような広報は、 ( たとえそれが事実であったとしても ) 重大な経済的損失が関係業界全般に生じるので、決して政府としては出すべきではない。イギリス政府が行なったような“事態の正直な”公表は愚の骨頂であり、絶対に避けるべきである。」という意味のことが…但し実際にはひどく遠回しに…記されている。
恐らくは大多数の人々の認識を混乱させるために半ば意図的になされているのではないかとも思えるのだが、狂牛病には“その感染した動物および症状”ごとに付けられた別々の病名がワザと一つに統一されずにそのまま残され、敢えて判りにくく報道されているフシがある。
そのために聞く方がかなり注意して聞いていないと、それが同じ狂牛病について話されているのだとは、直ぐには分かりにくいような学会流の厳密な説明に始終出合うのである。
それらはスクレイピー、BSU、ヤコブ病、クロイツフェルト・ヤコブ病、それから鹿 ( ワチピーやヌース等 ) が感染した場合の何とかいう別の病名、そして「ダウナー症候群」である。
むろん現在、アメリカの畜産業者や米国政府は、「ダウナー症候群」が“狂牛病”の一種だとは絶対に認めないだろう。何しろ、現在アメリカでは年間10万頭もの牛がダウナー症候群で死亡しているにも拘わらず、全く何の処置も取られていないからである。そればかりかそうして死んだ牛までもが当然のように肉骨粉化され、その肉骨粉が他の健康な牛の飼料としても与えられ続けているのである。
このダウナー症候群は、確かに今のところまだ狂牛病と同じ原因によるとは認められていない。
何故なら米国農務省や畜産業者がそれを認めるのを拒否して、そのことを確認する為の厳密なプリオン検査を、決して本当にはダウナー症候群で死んだ牛に対して、実施しようとしていないからである。
確かにダウナー症候群は言葉の上だけからは「狂牛病」には当らない。何故なら「狂牛病」という名は、最初にイギリスで病原性プリオン蛋白に感染した牛たちの示した初期症状によって名づけられた病名だからである。
イギリスでのそれは「まず狂ったように突進するようになり、それからよろめいて倒れ、立ち上がれなくなって死ぬ」ことから“狂牛病”と呼ばれるようになった。
だが一方、ダウナー症候群に罹って死んでゆくアメリカの牛たちは「単によろめいて倒れ、立ち上がれなくなって死ぬ」だけだからだ。
( 確かに前半の症状が欠けているのだが、後半の症状が全く同じである事に注意しよう )
そこでこの理由だけのために ( つまり“狂牛”という名前の原因になった「狂ったように突進する」という前半の症状が“運良く”欠けていた為に ) 、米国農務省や畜産業者は「だからダウナー症候群は“狂牛”病ではない」…と一応主張できるだけの ( 屁 ) 理屈を持ってしまったのである。
事の重大さと深刻さから云うとまるでブラックユーモアのような理屈なのだが、少なくとも論理的にこうした理屈だけは成り立つということこそが、彼らの当初の“言い張り”のための拠り所となったことは恐らく間違いない。
ただ、一般に多くの感染症では、同じ病原によって感染した全ての個体が同じ全ての症状を示すとは限らない。主要な部分では同じでも初期症状など細部では ( 人間の感染症でも相当な個人差がある ) その個体やグループの初期条件によって異なっているのが通常である。
従ってこのことを本来は熟知している筈の、米国農務省や畜産業者団体は、実は大変危険な決定を下したということになる。 ( 恐らくは確信犯なのだろうが )
もしも彼らが本当にそのことを ( 言い張っているだけでなく ) 信じているのであれば、ダウナー症候群で死亡している年間10万頭とも云われる牛の死体をことごとく本気で検査して、その潔白を証明すればそれでよいだけのことである。
日本やイギリスで出来ているのにアメリカで同じ事ができない筈はないだろう。
だから…それを敢えてしようともしないで、彼らが何の根拠もなしに「アメリカの牛肉は絶対安全だ」宣言をしている事こそは、既にダウナー症候群の原因が病原性プリオンである事の明白な疫学的証明…と受け取られても仕方がないような対応の仕方なのである。
無論、米国関係者上層部では秘かにダウナー症候群で死んだ牛の厳密な検査を試みているに違いないから、その結果がもし何の問題も含んでいなければ堂々と公表してくる筈で、それがそうならずに、いつまでも本気で検査をせずに膠着状況のままだという現実こそが、“ダウナー症候群 = 狂牛病”に彼らが実は気づいていることの明白な証拠である…という見方も当然できるだろう。
( 非常に早い時期の ) 1992年に始まったウィスコンシン大学の獣医学者リチャード・マーシュらの警告等により、これまでに辛うじて行なわれてきた米国内の牛の狂牛病検査は、以下のようにおよそ信じがたい程の貧弱さでしかない。…というよりは、まさしく意図的な ( 悪意の ) 隠蔽を感じさせるものでしかない。たったこれだけのデータで、いったいどうして常時1億頭も飼育されているという、アメリカの牛が総て安全だなどと言い切れるのだろう?
何しろ検査は本当にこれだけしか行われていないのである。
●神経障害で死亡したと見られる牛の脳の検査 ( 1995.12.までの累計で ) …僅かに2660例
●その内、顕微鏡検査までしたもの…2579例
●更にプリオン検査まで行なったもの…156例
…ただし1995年以降の検査は全く行われておらず。
もう一度繰り返そう。飼育されているおよそ1億頭にものぼるアメリカの牛の内、現在 ( 肉牛と乳牛を含めて ) 年間約10万頭が、狂牛病によく似た症状の「ダウナー症候群」に感染して死んでいる。しかし現在のアメリカではそのダウナー症候群で死んだ牛でさえ、肉骨粉にすることが禁止されていない。そればかりではなく、食肉業界の反対によって、アメリカ政府は死んだ鹿や羊などの反芻動物の肉骨粉の使用でさえ、法的にまだ殆ど何も規制していないのである。
だからこそアメリカの畜産業者や酪農業者は、実際に今でも、そうした肉骨粉を含んだ配合飼料を使って牛を育てている。現在、配合飼料の使用率が最も高いのはウィスコンシン州とワシントン州である。そしてそのウィスコンシン州では年間約3万頭もがダウナー症候群で死んでいる。
これは全米でのその同じ死亡の30%にも当たる。そして云うまでもなくこれは、イギリスで確認された肉骨粉の使用と狂牛病感染についての相関性にもピッタリと符合しているのである。
「ダウナー症候群」が病原性プリオン感染に依るのではないという根拠は、いったい何処にあるのだろう?
更に驚くべきは上記の検査の実態である。それは単に検査個体数が少な過ぎるということには止まらない。まず第一に狂牛病は顕微鏡検査によっては十分に判定できない。従って ( 単純に ) そのことを考慮すると、現在までにアメリカの牛で本当に狂牛病の検査 ( プリオン検査 ) をされた頭数はたった156例のみということになるのだが、実はこの156例そのものが怪しいのである。
実際に検査されたのは神経障害で死亡したと見られる牛の脳だけなのであるが、神経障害で死ぬのは必ずしもダウナー症候群には限られない。そこで畜産業界は明らかにダウナー症候群で死亡したと見られる牛はすべて意識的に避けて、それらの脳を検査対象としては決して選ばず、確かに神経障害で死んだものの明らかに症状が違っていて、別の原因で死んだと判っている牛の脳だけを156例、厳密なプリオン検査にかけて、実情を糊塗したという可能性が極めて高いのである。
この点については、前述の“肉骨粉を含む配合飼料を最も多く使っていてダウナー症候群で死ぬ牛が最も多い”ウィスコンシン州の獣医学者であるリチャード・マーシュがこう述べている。
「彼ら ( 畜産関係者たち ) は、ダウナー症候群で死んだ牛を始めから狂牛病には関係ないものと決めつけて無視し、全く関係のない別の牛だけを調べているのである。」…と。
いったい何故、このような危険な状況がアメリカではそのままに放置されているのだろうか?
呆れたことに、その唯一の理由らしいものは、畜産業者と食肉業界、そして肉骨粉業者が大打撃を受けるから…なのである。そのことによって将来 ( と言っても精々10年後なのだが ) 、自国民や肉の輸出先の他国民の生命が大打撃を受けることについてはどうでもよいのである。
いったいこれは犯罪ではないのか? これは明白な人類に対する重大犯罪 ( 食肉テロ ) ではないのか?! そして、米国産牛肉とは果たして10年後の殺傷効果をもつ緩慢なる大量殺戮兵器の一種ではないのか?! それは飛行機に乗って人々の胃袋に送り込まれ、10年後に脳の中で爆発して多くの人間の生命を奪うのである。これが大量殺戮兵器でなくていったい何だろう?
アメリカ政府よイラクを査察して武装解除する前に先ず自国の牛を隠れた大量殺戮兵器として査察せよ!…とでも言いたくなるではないか?
自国民と他国民に対するこれほどの悪意があるだろうか?
たかが現時点での食肉産業の打撃を避ける為に、どれ程多くの人々を危険な目に合わせ、その生命を奪うつもりなのだろう?
このようなことを平気で行なっているアメリカを世界の誰が許すだろう?
一体どういうつもりなのだ?
環境問題でのあの身勝手な離脱といい、今のアメリカは既に完全に良心を失ってしまっているとしか思えない。
既にあの9.11テロでさえ、アメリカ政府が陰で絡んでの自作自演らしい事が次第に判明してきてしまっている ( 2002年10月27日の作家ゴア・ヴィダルの論文や http://tanakanews.com/ 等 ) 。
新聞やテレビのニュースでは全く報じないから余り知られてはいないが、アメリカはアフガンの爆撃で飢餓状態の一般住民 600 万人 〜 900 万人を餓死させている。9.11 テロが本当に自作自演なら ( 色々な証拠からして、どうやら本当にそうらしいのだが ) ブッシュによるアフガン爆撃はあのヒトラーをも超える残虐行為に違いない。上記の推定被害者数の下限 600 万人でさえ、言うまでもなくホロコーストで殺戮されたユダヤ人の総数に達しているのだ。
でっち上げの理由によって何の関係もない貧しい人々を、これだけ沢山無意味に死なせた無慈悲な悪魔が現在、名目的なアメリカの頂点に居るのである。
彼がミサイルの代わりにアメリカの牛肉を緩慢な大量殺戮兵器として各国の食卓に送り出したとして、いったい何の不思議があるだろう? 何しろ人間としては完全に気が狂っているのだ。
勿論、大統領ブッシュが単なる傀儡 ( 操り人形 ) に過ぎないのは疑うべくもないから、本当の悪魔は彼のずっとずっと背後に居る。だが、問題はその背後にいる本当の悪魔こそが完全に狂っているということである。
これは果たして馬鹿げた空想だろうか? そうとも言えない。何故ならこのような理由による、緊急事態下での食肉産業の打撃を解消し、それを再生させる程度の出費など、本当はアメリカ政府や FRB にとって全く大したものではないからだ。
その気になれば何時でもできる筈である。それを放置した場合の被害の補償 ( 尤も補償する気があればの話だが ) の方がずっと大きい筈なのである。
それなのになぜこの馬鹿げた状態が放置されているのか? それはまだ解らない。だがアメリカ産牛肉を食べる人たちの安全と生命が全く意に介されてないことだけは絶対に確かなのである。
こうして「絶対安全」というその主張にも拘わらず、アメリカの牛肉が安全である証拠は現在何一つ無い。恐らくいま世界で最も危険な牛肉こそはアメリカン・ビーフであろう!
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( 以上は、TBSの深夜枠“CBS NEWS「60ミニッツ」”その他の関連情報の統合である。)
注;後にこの「ダウナー症候群の牛」は日本の報道では「へたり牛」と呼ばれるようになった。
★ 以下は上の最終段の別稿。病原性プリオンが生物兵器として開発されたものとしての推測。
AIDS の HIV ウィルスと同様に狂牛病の病原性プリオンにもまた、それがアメリカで生物兵器として開発されたものだという話がある。このことを考慮すると上の最終段は以下のように変わる。
これは果たして馬鹿げた空想だろうか? そうとも言えない。何故ならこのような理由による、緊急事態下での食肉産業の打撃を解消し、それを再生させる程度の出費など、本当はアメリカ政府や FRB にとって全く大したものではないからだ。
その気になれば何時でもできる筈である。
そして CIA や NSA などの情報サービスは、恐らく農務省よりずっと詳細にこの問題の本質と実態とを既に把握しているであろう。
まともに取り組むつもりがあればすべき事は直ぐにもなされる筈である。
畜産業者が幾ら事実を糊塗して隠蔽しようとしたところで、エシュロン ( 米国内では表向きはE-Systems という会社名を使っている筈である ) などの盗聴システムを総動員して調べれば、農務省などよりずっと早くこの重大問題の全体を把握できる。そして無論、実際にそうしてる筈である。
もしこの問題が真にアメリカのエリート層にとっても危険であれば、対応は直ぐにもなされる。畜産業者の隠蔽など見る間に引き剥がされ、マスコミで糾弾され、最も根本的な食を通じて社会に害をなした極悪人として畜産食肉業界の中心人物が何人も逮捕され、裁判がTVで公開され、処罰され、そして即座に抜本的な解決が図られている筈である。放置しておける問題ではないからだ。
だがそうはなっていない。何故だろう?
差し当たり二つの可能性が考えられる。
一つは先に述べた通りこれが本当に最初から ( 自国民と他国民の中貧困層に対する ) 大量殺戮兵器として画策されているという可能性である。
もう一つは既にそうした情報機関が詳しく調べ終わっていて、ダウナー症候群はプリオン起源ではないと判った結果、事態が放置されているという可能性である。
だが逆にそうだとすると後者は全然理屈に合わない。
何故なら、もしそうならその事実を畜産業者に伝え、厳密な検査を公開で行なって結果を公表すれば、ダウナー症候群に由来する米国畜産・食肉産業界の落ち込みは一気に解消する筈だからである。
従って実に恐るべきことだが、前者が唯一の可能性として残る。
その場合、実際にダウナー症候群が危険だとしてもエリート層には簡単な逃げ道がある。エリート層は安全な肉の生産地を別に確保して、そこからのルートを確保しているだろう。そして彼らは安全の確保された肉以外には決して手を出さないだろう。
そんな事が一体有りうるのか? だが今のアメリカは何だってやりかねない。道理が無いのだ。
9.11 テロで絶対に必要な緊急スクランブルを34分も遅らせて発進させ、十分に防げたはずのWTC攻撃にワザと遅刻させてそれを成功させ、予め双つのビルに大量の爆薬を仕掛けてあの奇妙な説明のつかない ( ビル爆破専門家も首を傾げる ) 相次ぐビル崩壊を起こさせ、自国民を含めて2801人の人々を無残に死なせ、全く飛行機が突っ込んでもいないペンタゴンを自分たちで内側から爆破して飛行機に突っ込まれたと偽り、飛行機の残骸の全くないその現場にはマスコミを一切近づけなかった。
そして最初から全てを知っていた大統領は歴史的英雄を気取ってテレビ画面に現れ、知らぬ顔で正義を語ってみせる。そして本当には殺すつもりもないビン・ラディンを敵役に仕立てて、国連の止めるのも聞かずにアフガンを爆撃し、何の関係もない 600万人以上もの飢餓難民を餓死に追いやり、その惨状を国連が直後に調査しようとすると、それを禁止したのである。 ( その総てを何一つ報道できなかった日本のマスコミの不甲斐ないことと言ったら! )
この現在のアメリカ政府が何を始めようと全然不思議はないではないか?
正確に言うとそれはアメリカ政府というよりは“世界の超エリート層”であって、アメリカ政府はその“世界の超エリート層”の“顔”であるに過ぎない。もっと正確に言うと現在のアメリカ政府は顔であると同時にその“操り人形”でしかない。
結局、今の世界全体は“大金持ちのエリート層とそれ以外”という図式で、人類の頂点の周囲に境界線の引かれた超封建 ( 世界 ) 社会になりかけているのである。
アメリカの富の70%が上位僅か3%程の人々の所有であり、米国人の70%が貧困層に属するという事実は、そのプロセスを明白に物語っている。
その頂点層が金融システムを世界支配の道具として駆使し、アメリカを“顔”として境界線の外の世界中の総ての人々を、力と金銭と策略によって好き勝手に支配しようとしているという図式が既に成り立っているのである。
そして長期間に渡る彼らのやり方を見ていて次第に判ってくるのは、貧者・弱者に対する策略を駆使した果てしのない色々な形での殺戮である。
日本のような先進社会で安全に暮らしている多くの人は、しばしば全く気づいていないのだが、アメリカやイギリス、フランスなどが遠い過去だけではなく、近い現代においても如何に多くの貧しい国や弱い人々に苛酷で残虐な運命を強いてきたかは枚挙にいとまがない。
きれい事の建て前でできている表面的な世界の裏には常に現実の地獄絵図が存在する。
最初からその地獄に位置づけられてしまった多くの国々があり、最初からその地獄に生まれてしまった多くの人々が居る。
彼らにとって世界の頂点層は最初から悪魔としてだけ行動している。
その頂点層の悪魔が今回は10年という超ロングスパンの“食兵器”とでも呼ぶべきものを、私たち中貧困層に対して実験的に ( 偶発を装って ) 仕掛けてきたのだと見ることができる。
尤もそれにしては CBSニュース ( 60ミニッツ ) にすっぱ抜かれるなど、少々仕掛け方が杜撰なのではあるが…
さて陰謀の分析はここでお終い。…で、今後どーするか?
これに抗して身を守る唯一の方法は、結局、米国産牛肉を今後一切口に入れないことだ。
その為には日本の食品業界各社にこの事を知らせないといけない。結構ビーフ・エキスとか色々使っているしなあ。全部全頭検査をしている国産牛だけにして貰わないと危ないぞ。
そして“ダウナー症候群 = 狂牛病”を、できるだけ多くの人たちに教えることである。
まだ気が付いてなくてアメリカの牛は大丈夫だ。なんて思ってる人いっぱい居るもんねーっ。
頑張らないと!
( メモ ) ( 2000.12.3. 記 )
与那国島の海底遺跡の矢穴
与那国島沖の例の階段状の海底遺跡が単一の堆積岩の層璃による自然の造形物に過ぎないとする反動的見解に対して、吉村作次教授が決定的な反証を挙げ、これが遺跡だとする新説を援護した。
階段形状の縁の部分に繰り返し見いだされるU字型の窪みは、通常、石工が巨石を切り出す為に連続的に打ち込む“杭”によって穿たれた「矢穴」である…という吉村作次教授の明確な証言。
この時点での、その証言の重要性たるや計り知れない。
この種の画期的発見は常にこうした決定的な反証を誰か権威者が上げない限り、あれほど歴然とした遺構であってさえも、「10000年以上も前にそんな遺跡を残す文明が存在した筈が無い」という旧泰然とした先入観によって、可能なかぎり何とか自然物として処理して重要な証拠を無視してしまおうとする ( 新しいものの嫌いな ) 旧勢力の悪意に満ちた否定的な攻撃に、曝され続けるらしい。本当にひどい話である。吉村教授、天晴れ! ( 2000.12.3.放送のNTV特命リサーチ2000より )
( 情報 )
三内丸山遺跡と南米アイマラ族インディオ
青森県の三内丸山遺跡の発掘により、縄文人の生活や文化が東北のこの地を中心にした北海道から中部地方、樺太、中国北部、朝鮮半島に至る広大なものであったことが判明。
少なくとも 800 人規模の村が存在し、定住し、栗の栽培を行なっていたという事は確実である。
その後、BC 5000 頃に九州南方の鬼界カルデラの噴火により気温が下がったらしく、北国での栗の収穫が不可能になり、縄文人は村を放棄。
ロシア方面やバヌアツ、エクアドルに移住。
現在それらの地域で縄文土器が出土している。
日本人に特徴的な ATL ウィルスの DNA の分析からは、南米アイマラ族インディオが、当時日本から移住した縄文人の子孫であることが、既にほぼ判明しているという。
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仮説を立ててみよう;
もしこの説が本当に正しいなら、アイマラ族インディオの喋る言葉はそのまま縄文人の喋っていた言葉の末裔であるかも知れない。大和言葉からは完全に隔離されていた訳で、その可能性は高い。少なくとも縄文言語の痕跡は多々残っているに違いない。
そしてそれは、この仮説のクロスチェックにもなる。
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ブータンやシッキムにも日本人と極めてよく似た人々が居住している。
・……………………………………………………………………………………
また、全く表記される文字の形は異なっているものの、ミャンマー ( 旧ビルマ ) の文法は日本語の文法とそっくりだという。
( 情報 )
秋田犬と秋田美人の系譜
イヌの血液型物質にはA型とG型があり、全世界のイヌの血液型はAG混合とA型単独のふたつに分けられる。
この血液型の分布からみると日本の在来種とアジア起源のイヌ ( いわゆる和犬、アジア犬 ) はAG混合型、ヨーロッパ起源のイヌ ( いわゆる洋犬 ) はA型単独である。
ところがここに二つの例外種がおり、北海道犬と秋田犬は共になぜかA型単独である。
これはこの二種の犬の祖先がヨーロッパ起源であることを遺伝学的に示しており、北海道犬と秋田犬は恐らく古代にヨーロッパから日本に持ち込まれた洋犬であったと考えられる。
他方、興味深いことにこれに関する傍証がある。
人類が古来から持っている非常に発病率の低いあるウィルス ( 全人口の約8割が既に感染しており、日常生活での緊密な接触によって親から子に感染してゆき、余程免疫機能が低下しない限りまず発病はしないが、発病すると脳神経細胞の髄鞘の鞘部分を溶かすウィルス ) の世界的分布の綿密な亜種分析調査 ( 尿のDNA分析 ) によって、全世界の各人種の分布と拡がりに関する新たな遺伝学的知見が得られており、それによれば、秋田県北東部と青森県最西端部 ( いわゆる三内丸山遺跡周辺の古代文化圏にほぼ一致する ) 地域には、明らかにこのウィルスのヨーロッパ型亜種の保持者の分布が見られるという。
即ち、より単純化して通俗的に表現すれば、古代のこの地域に明らかにコーカソイド ( 白色人種 ) の入植があったことの遺伝学的証拠があり、いわゆる "秋田美人の色の白さ" は白人の遺伝子に因ると説明することが可能になりそうである。
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◆疑問点 ;
ただし番組…2001.3.18.放送 NTV「特命リサーチ2001」…の中ではこの秋田県人のウィルス調査のサンプリング方法についての情報開示も、出てきた "E型" の比率についての開示も無かった。
当該地域の人々が現時点で白人そのものの外見を持っているのでは無い訳だから、県外の日本人…つまりE型以外…との混血が長期間に渡って行われてきている筈であり、もしE型が特別に優生で無ければ当然日本型の同ウィルスとの混在になっている筈である。
すると例えば当該ウィルスの感染が生殖そのものによるものでなく生活感染であるという点を考慮しても、現代の "白人親と同居生活している" ハーフやクォーターの場合はどうして出ないのか?
また果たして、江戸時代後半以降に相当数の混血のあった九州地域や、明治以降の横浜地区や、1945年以降の米軍駐屯基地周辺地区において相当数発生していたはずの混血によっても、同様な結果が生じない理由は、本当に白人の父親が同居して居なかったから…と解釈すれば説明がつくのか?
白人の父親が日本人の母親に同ウィルスを性的行為によって感染させる可能性はゼロなのか?
また、それらの白人の父親は子供との同居生活を本当にしていなかったのか?
初代のハーフの混血児にE型が一度伝わりさえすれば、その後は幾ら純然たる日本人とだけ掛け合わせてもE型は残る筈だからこそ、何千年以上も前の白人の祖先の入植の痕跡が三内丸山周辺地区の住民に残っているのであろう。
とすれば、この同じ調査の中で九州地区や横浜等で似たようなサンプルが何故出なかったのか?
そのようなサンプルは果たして充分に有意性のあるほど現れては来なかったのか?
或いはもしそれを無視して良いほどの差があったのだとすれば、その差はどういう形なのか?
もし三内丸山周辺地区の住民のほぼ全体にE型が薄く広く現れていて、九州地区などでは個人ごとの差が大きいというのであれば、それは一つの説明になっていると思われるものの、それでも九州などのように既に100〜400年も経過している混血の場合、ハーフ、クォーター、1/8、1/16、1/32、1/64、…勿論その各段階の相互混血によってその中間の混血も有りうる…等々となって拡散していってる筈であり、上記のようなDNA分析によって三内丸山周辺地域のみに特異性が現れたという結果には少々疑問が生じる。
番組のご都合主義ではないと納得させるだけの余程明確な説明と、サンプリング方法とその結果の解釈規準についての十分な情報開示が行われない限り、三内丸山周辺地域に特徴的な遺伝学的謎が存在するという折角興味深い事実は、その本当の意味を判断しがたいものにされてしまう。
サンプリング方法と解釈規準についての、より明確な情報開示を求めたい。
疑問点は、以上。
( 情報 )
鬼の城
巨鬼の城;岡山県総社(そうじゃ)市に鬼の城(きのじょう)という、山上に巨大な石垣(全長3km)を巡らした場所がある。
日本で最大の山城跡として現在調査中。
中腹にドルメン・メンヒルと思われる巨石遺構が存在し、鬼の大釜と云われる直径1.8mの鉄釜も残っている。
身の丈3m以上の大鬼達が築いて住んだと云われる。
朝鮮半島からの移住者たちの居住地であったという説が、最近出てきている。
( 情報 )
明智光秀 外伝?
明智光秀 = 天海和尚 ( 徳川家康の懐刀 ) という可能性があるという。その根拠は…
天海が乱世の終わりに忽然と現れたこと。
そして明智光秀の死は厳密に云うと確認不能であったこと。
東照宮を始めとする家康縁の場所の至るところに、なぜか明智家の「桔梗」家紋が重用されて紛れ込んでいること。
「カゴメ」の歌 ( これは元よりユダヤ起源だ何だと色々異説の多い謎めいた歌であるが… ) の歌詞が明智光秀を指している可能性が有ること。
本来はとっくに死んだ筈の明智光秀の名で寺に高額の寄付のあったことが記録されていること。
そして筆跡鑑定によれば、明智光秀の自筆文書と天海の自筆文書には、文字によってはほぼ同一と言ってもよい文字が含まれている。
( 但し特定の文字以外はかなり筆跡が異なるので、現代の筆跡鑑定によれば別人の筆跡と判定された。とはいうものの一部に同一筆跡の文字が含まれる二つの文書の書き手には、親子などの血縁関係が有ると推定されるらしい。)
明智光秀の謀反の原因については公家の陰謀だとか色々な説が有るが、上記の情報を考慮に入れれば、それが家康との密約に基づいて行なわれたという可能性は極めて高い。
家康側に援助されて脱出すれば、落ち武者として無残に首を狩られることなく、秀吉の没するまで家康の庇護の元で功労者として隠遁生活を送ることが出来たろう。
その間に知恵を巡らせ、徳川の天下となった時、天海として忽然と表舞台に返り咲いた訳だ。
ええい、まったく許しがたい家康のタヌキめが ! やっぱりお前が黒幕か !
貴様の陰険な謀略で信長が死んだりしなければ、日本の歴史はその後きっと、もっとずっと面白かっただろうに!…とか、つい思ってしまうのだが、以下もじっくりと参照のこと。
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日本の歴史上最も重要なインターセプト
もし明智光秀なかりせば日本社会は安土桃山時代に既に台無しにされ崩壊していたかも知れない!
本能寺の変の新しい解釈が出現した! 織田信長は悪魔だったかも知れない!
もしかすると織田信長は当時のイルミナティ的悪魔思想にどこかで接触して、それに影響されて行動していた可能性が十分にありそうだということが判ってきた。
( 大名とその故郷とも云える領地の結びつきを全く無視した ) 信長のあまりにも徹底的な能力主義は、現在の陰の世界政府の企図と全ど同じ種類のものである。
最近、判明した信長のほぼ完全な旧価値観 破壊計画 ( 当時の国内世界に於ける国家解体・領土解体 ) は、間違いなく当時のあらゆる旧勢力を完全に激怒させてしまったろう。
従ってあの時点では織田信長は、およそ誰にでも殺されかねない状況にあり、明智光秀以外の誰に殺されたとしても、それは全く不思議な話では無かった。
とすればあの明智光秀は、単に徳川家康の支援で信長を暗殺し、その後、天海となって徳川家康の懐刀となったというような単純な話では全く無かったという事である。
秀吉は「本能寺の変」以後の天下統一に於いては結局、信長の方針とは全く逆に「旧勢力をそのまま取り込んで纏め、全体としては旧価値観をほぼそのまま温存」したのである。
( つまり秀吉は明智光秀を主君の仇として討伐しておきながら、結局、信長の遺志には全く沿わずに、謀反人である方の光秀の遺志を継いだ事になる )
他方、その転回点を実際に世に与えたにも拘わらず、明智光秀は自ら主君裏切りの重大な汚名を着て歴史の表舞台から消えていった。
通説によれば光秀は落ちていく最中、落ち武者狩りの竹槍で討たれたという。
だが周知の通りそれは風聞に過ぎず、実際に光秀が討たれてその首が秀吉側に確認されたというような事実は一切ない。
光秀がその時点で死んだという証拠は ( 奇しくも本能寺の信長と同様に ) 何処にも無い。
然し新しく判明した事実によるならば明智光秀こそは、実は大変な英雄だったのかも知れない。
だとすれば、その大役を果たし終えて生き延び得た光秀を、その後、徳川家康が手厚く保護し、 ( 忽然と現れた天海和尚名義で ) 重用して、その後の日本を纏め直し、危険極まりない外国からの思想と干渉を一切締め出して日本を護国する為に、あの時点で鎖国に踏み切ったということは、一大英断であったということになる。
日本は言わば織田信長という、外来の「悪魔的諸国解体弱体化・合理能力主義」に極めて感化され易い急進主義者によって、伝統的価値をバラバラにされる寸前で、危うく明智光秀によってインターセプトされ、秀吉によって元の価値観に戻され、家康によって旧価値観を温存したまま統一され、国家安定の盤石の態勢を整えたということになる。
もしも信長があの時点で死なずに長寿を全うして計画通りに日本を作り直してしまっていたら、恐らくこの国は極めて早い時期に現在のアメリカの都市社会のような、温かみのない、ギスギスとした能力主義の社会を現出させていたのかも知れなかったのである。
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本能寺の乱 追加情報
( 2002.12.15. 記 )
( 明智光秀の決行直前の決意表明の上の句 )
「天下る …‥… 五月哉」
( 家康の代理人によるその返歌であった下の句 )
「花落つる 流れのさきを せきとめて」
●明智光秀の手勢は当初、家康を討つものとばかり思い込んで本能寺に討入り、相手が信長と知って動転したらしい。
●秀吉はさっさと決着を着けたかったのか、落武者狩りの農民に竹槍で刺殺されて4日目の腐乱した首を、簡単に光秀の首と断定している。
南光坊天海 = 明智光秀 …の証拠群
光秀の討たれた場所から僅か8km の比叡山出身の僧だが、それ以前の事が一切不明である。
東照宮に刻まれている明智家の桔梗家紋。更に東照宮の周囲一面に桔梗の花が植えられてる事。
華厳の滝を望む絶景の地を、わざわざ天海自ら“明智平”と命名していること。
2代秀忠と3代家光の命名者であること。光秀の名から一字ずつ埋め込んだとも十分にとれる。
光秀の没後20年目に、明智光秀の名で天海の出身寺「比叡山」に石燈篭が寄贈されている…という事実がある。
[ 注;本物の家康は大阪夏の陣にて真田幸村側の放った銃弾に当って早々と没しており、以後の約1年間は替玉であったことが判明している。
( 大阪夏の陣直前に、豊臣側により徳川方の兵站地となるのを防ぐべく焼き払われた堺市。その巻き添えを食って焼失した臨済宗南宗寺は、当時この寺の住職だった沢庵和尚によって、「夏の陣」の後に再建された。が、その境内には当時から「家康の墓」とされる墓が残っている。そしてその墓には秀忠、家光、が二人共にわざわざ墓参している。この墓は実際に現在も存在しており、もし事実でなければ「家康の墓」などという不吉なもの、または紛らわしくも怪しいものが、江戸時代を通して存在し続けられる筈はない…とも云える。また日光の東照宮に祀られているのは家康の霊であって、遺体ではない ) ]
二代秀忠は家康も評する通り、余りにも律義過ぎて柔軟な発想に欠けていたので、この時期以降、南光坊天海の実質的な権力は、事実上最強だったと思われる。
( 情報 ) ( 2006.3.22. 記 )
信長はやはり日本社会を破壊しかねなかったワケだ
フランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイス、そしてオルガンチーノの寺社破壊。
神社が実はユダヤや景教と密接な関係があるのは実に皮肉だが、やはりそうだったのだ。
するとやはり日本人にとっては、明智光秀 = 天海様々だったわけだ。
もし信長があのまま生き延びていたら日本は早々と西洋人に売り渡されていたかも知れない。
そして信長の300年後の後継者こそが、坂本龍馬であり勝海州であり諭吉であったらしい。
最近、日本語の“競争”という言葉を作ったのは諭吉だと知って、益々その感を強くした。
そして現在、その亡国の徒という意味での後継者は紛れもなく、橋本龍太郎であり小泉某であり竹中某金融経済担当相および福井某日銀総裁である。もう最低!
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“民主主義”はそれ自体が陰謀である。“自由”概念と共に最も巧妙で狡猾な陰謀である
愚民に選挙権があるという事 ( つまり民主主義というもの ) の陰謀性の深さに、今気付いた。
( 情報 ) ( 2008.3.9. 記 )
大室寅之祐 = 「 孝明天皇の子;睦仁親王 」とすり替って明治天皇に成り済ました維新後偽皇室の祖
( 以下は、鹿島昇氏の著書と、 Web 上にあった 「 大室 」 と 「 地家 」 、両家の末裔の方々の記した証言文書に基づく、この問題に関する情報を纏めた覚え書きである。)
大室寅之祐…という人物の触れ込みは、長州に匿われていた後醍醐天皇の玄孫 南朝 光良親王より24代目の末裔とされている。
が、その根拠とされる ( 頼山陽に依る ) 大室家24代 ( 約500年分 ) の家系図整備…というのは極めて信頼性が低く、それがそれを整えたい側の都合に合わせたものである可能性は高い。
( 家系図初期の家名は大室ではなく、大室家初代当主の死去は文政時代。よって大室家の名が歴史に現れるのはやっと1800年頃。つまり系図整備の僅かに50年程前でしかないのだ。)
大室寅之祐はしかも、大室家血統最後の大室弥兵衛の元に再婚で嫁いだ興正寺基子の連れ子であって、基子がそれ以前に嫁いで別れた田布施町麻郷の回船業者である前夫 「 ( 地家 ) 作蔵 」 との間に産んだ4人の子供 ( 長女、長男、次男、三男 ) の長男である。
屋根瓦を固定する為の膠着泥等の運搬で若くして財を成した 「 作蔵 」 は、瀬戸内海を荒らし回った豪胆な海賊の子で強靱な体格の持主であったが、南朝天皇家との血の繋がりは何も無かった。
「 ( 地家 ) 作蔵 」 は21〜22歳で隣家 「 西円寺 」 の住職の娘 「 興正寺基子 」 15歳と結婚し、8年間で4人の子供を設けた。
「 地家 」 とは 「 村の中心 」 を意味する言葉で、事業に成功していた 「 作蔵 」 は25歳頃、村の中心に在った妻の実家 「 西円寺 」 東側隣接地 「 麻郷 地家 」 に家を建て、以後 「 地家作蔵 」 と名乗るようになった。
「 地家作蔵 」 と 「 興正寺基子 」 は、協調できず結局8年後の1854年5月頃に離婚した。
( 離婚して隣の実家 「 西円寺 」 に戻った興正寺基子は、長男 「 寅吉 」 と次男 「 庄吉 」 を引き取り、父親の地家作蔵は長女 「 ○○ 」 と三男 「 朝平 」 を引き取った。従って子供たちはやがて大室寅吉、大室庄吉、地家○○、地家朝平…と名乗ることになった。)
基子は大室弥兵衛との間に長男 「 寅助 」 を産むも、自身は間もなく肺結核で死亡 ( または自殺 ) してしまう。
大室家4代目である長男 「 寅助 」 も母親の死後僅か2歳未満にて病死。
( よって、云われる大室家の血統はこの時点で完全に断絶。以後の大室家は事実上、瀬戸内の海賊某の子 「 地家作蔵 」 と、浄土真宗大谷派興正寺住職の娘 「 興正寺基子 」 の血統でしか無い。)
大室弥兵衛には実は弟が居り、その子供の名もまた実に紛らわしい 「 大室虎助 」 であった。
この子供は京都孝明天皇の名目上の子供 「 睦仁親王 」 と同い年でもあった。
( 実は睦仁親王の方も、本物は1歳で死んでおり、やはり替え玉。
その名目上の親王…の正体たるや、何と町で攫われて来た豆腐屋の幼い息子である。
もう何事も、如何に本質が失われて形骸化しようと、それを維持し続けられさえすればそれで良い…という、デタラメと誤魔化しが当り前の“形骸化への無関心”民族 「 日本人 」 の面目躍如。
役人根性蔓延の本質であるとともに、元凶である。
もう日本の天皇家なんていうものは全部が目茶苦茶、デタラメなのであるらしい。)
その為、吉田松蔭は当初、南朝 光良親王の血を本当に引いてるらしい上記 「 大室虎助 」 の方を長州の隠し玉 ( 切り札 ) にしようと考えてた。
( 大室寅之祐が基子の連れ子で南朝の血統でない事など、無論、重々判っていた為である。)
が、その肝心な 「 大室虎助 」 16歳は、慶応3年10月29日、あの新撰組 「 沖田総司 」 に、長州の不逞力士5人の内の1人としてあっさり斬り殺されてしまって、松蔭の意図は夢と消えた。
★ [ ここに、伊藤博文と大室寅之祐の関係、伊藤博文による孝明天皇の暗殺と、その名目上の子供 「 睦仁親王 」 の放逐または秘かな殺害、 「 大室寅之祐への摩り替え 」 の経緯、それを立証するに足る幾つもの証拠、突然変わった睦仁親王の容姿や性格…等々についての要約が必要である。]
・・・ということでその要約 ・・・
グラバーやフルベッキら外国勢とつるんで江戸幕府転覆を目論んでた伊藤博文は、山口県田布施で大室寅之祐と出遭い、当初は大室天皇家の末裔と思い込む。
直ぐにそうでないと気付くも、その豪胆な性格と図体、名目的な素性故に「 コイツは使える 」と踏んだらしい。
孝明天皇の子供 「 睦仁親王 」 は幼くして病死してる為、世継ぎは居らず伊藤博文が孝明天皇を刺殺した時点で断絶した。
睦仁親王の替玉として据えられてた江戸の豆腐屋の息子は、睦仁と面影が似てたが邪魔なので毒殺され、伊藤博文は平然と「 顔立ちも体格も全く違う 」大室寅之祐 ( 実は地家作蔵と興正寺基子の連れ子 長男=大室寅吉を寅之祐と改名させて恰も大室天皇家の世継ぎででもあったかの如く体で ) を「 替玉 」に据えた。
それを咎める立場の孝明天皇は既に居なかったものの、その余りにも大胆不敵で露骨なすり替え劇に気付いて騒ぎ出した宮廷の侍女たちを、後に明治天皇の妻となる一条美子 ( 後の昭憲皇太后 ) は自ら刀を振るい、一人残らず斬殺して口封じしたという。
その功績? 故、皇后にと内定したのかも知れないが、何とも恐ろしい女である。
しかしその悪業の報いなのか、この昭憲皇太后と偽物 ・明治天皇の間に子供は一人も生まれなかった。
更に明治天皇が側室 柳原愛子に産ませた子供たちも一人たりと成人せず、唯一成人したのは皮肉にも当の側室がある俳優との浮気の末に産んだ子だけだった。
昭憲皇太后は仕方なく何の血の繋がりもないその子供を養子として迎え、大正天皇にと据えた。
自業自得と言えるかも知れない。
別の視点 :
明治天皇=大室寅之祐は、遠い遠い昔に白村江の戦いで負けて新羅勢に攻め込まれて以来、「 つまりは古からの在日朝鮮人支配層に乗っ取られたままだった日本の天皇家 」を日本人の手に一旦取り戻しかけてたのかも知れない。
が、しかしそうだとすると女系での揺り戻し「 日本の天皇家侵食 」が直ちに始まってるのである。
何故なら昭憲皇太后=一条美子=藤原氏一族である。 ( が、その子は一人も生まれずに終わった。) そして明治天皇の血を受け継いでた側室との 3人の子は早逝して誰も成人出来ない。 ( もしかすると大室寅之祐の血統を残さぬ為に意図的に殺されたのかも知れない )
大正天皇は「 大室寅之祐の側室と浮気相手の俳優の子 」も、大体がこの側室 柳原愛子も公家の柳原一族である。 ( そしてその「 浮気相手の俳優 」さえも、もしかして公家とか皇族ではなかったろうか? )
かくして女系での「 日本の天皇家侵食 」は再び始まり ・・・
次いで ・・・
貞明皇后 第123代天皇・大正天皇の皇后 九条節子=藤原氏一族。
そして ・・・
香淳皇后 第124代天皇・昭和天皇の皇后 久邇宮良子=元々皇族。
と「 古からの在日朝鮮人支配層の血 」が徐々にまた濃くなって来てる構図である。
凄いな、まったく。

左側 3枚は生前の孝明天皇を描いた肖像画。 明治天皇とは全く似てない華奢な天皇であった。
右端の 1枚は死後 35年も経ってから明治天皇に似せて描かれた捏造肖像画である。
幼少時の睦仁親王と、同一人物である筈なのに似ても似付かない明治天皇=大室寅之祐。
鹿島昇氏と松重楊江氏による 「 明治天皇すり替え説 』 の著書。 ( アマゾンで簡単に見つかる。)
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桓武天皇の桓武とは韓国人初の天皇…という意味があるらしい。
大室家、熊沢家、三浦家、というのは、一応名目上は南朝 天皇家 末裔の家柄だという。
つまり日本の天皇家とは元々朝鮮半島百済や新羅の王族の家系ということになる。
鹿島氏の説では、日本書紀の前半は新羅での歴史物語を日本の歴史として日本人らしい人名にして翻訳した ( 書き直された ) ものであるという。
( 一瞬驚嘆させられるものの、この慧眼な説には信憑性が十分に有ると思われる。
白村江で百済に加担して大和が敗戦した結果、日本が新羅の占領下に置かれた…というのは、考えてみれば全く当然の成り行きだろう。
刀折れ矢尽きてほうほうの体で逃げ帰って行く、目と鼻の先に在る敵の土地 = 国を、圧倒的多数の大軍が、そのような絶好の瞬間に追走し占領してしまわない…という事があるだろうか?
そんなことは恐らく有り得ない。
その後に築かれた日本各地の「 水城 」に実戦で使われた形跡が全く無いのは、それらが言われてるように新羅からの報復に備えての防備等ではなく、占領地に建設された新羅自身の権勢を示す為の 「 城 」 であったからなのだろう。
云わば太平洋戦争終結後の、占領下に於けるGHQの如きものだから、倭国民の反乱でも起きない限りは実戦に使われる筈が無かったのだ。
日本の学校で習う通史はこの点を完全に素通りして誤魔化して来た…というワケである。
尤も、この延長線上には更に、新羅の王族たちの元々の正体は、シルクロードを越えて渡って来たユダヤの失われた12部族の内の幾つかだ…という事にまでなりかねないのだが…。)
「 フルベッキ集合写真 」 は明治革命 ( 明治維新 ) 計画における血判状の如きものだったろう…という指摘は恐らく正しいだろう。
( 単なる何処かの学校の学生たちとフルベッキが一緒に撮った記念写真に過ぎない…という矮小化説明では、どうにも納得の行かない緊張感が確かにあるのだ。)
この写真、是非にもジョー・マクモニーグル氏に透視して貰って真贋の決着をつけたい。
( フェノロサの一声と同様、それが 「 外圧 」 を利用しての一応の決着…になるやも知れない。)
少なくとも現在の皇室は、明治維新時に北朝から南朝に天皇がすり代わっており、現在の我々は名目的には南朝系の天皇を国民の象徴として税金で養っている…ということになる。
仮に宮内庁職員の大多数が古からの在日朝鮮人ではないとしても、天皇家や皇族、旧華族の類いが、実は古からの朝鮮人占領支配者の末裔 ( 広い意味での在日朝鮮人 ) であるのは紛れもないだろう。
( 実際に宮内庁職員には韓国系が多い…という話を、この文章を書いた後で耳にした。)
してみると豊臣秀吉の朝鮮侵略や明治維新の征韓論の持つ意味は、セブンイレブンジャパンや日本マクドナルドの米国元祖法人の吸収合併に近いものだったのかも知れない?
何れにせよ、上記を考慮するなら朝鮮が外国を侵略したことは1度も無い…という韓国人の主張は全くの誤りということになる。
朝鮮は白村江で百済・大和連合軍に勝利して以来、現在に至るまで日本の中枢に居座り続けているのであり、米国以上の侵略支配者と言って良い。
宮内庁が天皇陵の発掘を一切許さない最大の理由はつまり、天皇の出自が新羅王家であることが、日本人全体に分かってしまう事こそを恐れているから…なのに違いない。
高松塚古墳には朝鮮の影響が見られる…のでは無く、日本にある古墳の中身はほぼ総て新羅や百済の王族の墓でしかないのだろう。
かくして天皇陵はその単なる参考地と言えども絶対に発掘解明させない…という頑固な姿勢を続ける以外に、天皇の正体と権威 (?) を護る方法が無かった‥ということなのだろう。
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日本ヤクザの構成員に在日韓国人が多いことも、実はこの事と深い関係があるのかも知れない。
ヤクザの起源は元々天皇を護る為に外国から入れた傭兵だったという中丸薫の記述もある。
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処で、そうするとやはり中丸薫はそのスリ替わった南朝系の明治天皇の孫娘という事になる。
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一方で、例の 『 天皇 「 陛下 」 という呼称には 「 天皇の階 ( きざはし = 階段 ) の下に居る者 」 という意味が有る 』 という話は、天皇にもっと別の更なる秘密もある…事を意味してるのかも知れない。
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当初、上の文章は主に学研 「 ムー 」 所載の巻頭記事を読んだ後での覚え書きであった。
が、 Web 上の情報をザッと浚ってみると、遥かに詳細かつ無視出来ない文書が多数存在する。
一驚しつつ、その言う所を纏めてみると以上のようになる。
その一方で一切を隠蔽し開示すまい…とする宮内庁の傲然とした態度が有り、如何なる疑問や批判・疑惑にもまともには回答しようとしない以上、こうした事が実はそのまま事実…という可能性は十分に高い。
事の本質から言っても、そう考えざるを得ないではないか?
( 情報 ) ( 2008.3.21. 記 )
TXTV 「 みのもんたの歴史ミステリースペシャル 」 よりの情報
● 徳川家康に重用されたウィリアム・アダムス ( 三浦安針 ) は、エリザベス1世の密命で家康に大量の武器弾薬を提供する為に、難破を装って日本に上陸した英国の工作者であった。
戦場で家康の着けていた甲冑は、明らかに英国製の ( 銃弾をはじくタイプの ) もので、日本古来からの鎧とは違っていた。( 祇園祭の山車の側面のラクダ等の絵と同様の違和感がある。)
家康の関ヶ原での、僅かに数時間での圧倒的勝利の真因は、そうして提供された重火器の量や性能差であった可能性が高い。( 見逃した後日の番組によると、関ケ原の勝敗には春日局の動向による部分が相当大きいらしい。)
信長の初期からの銃の大量使用やオルガンチーノの重用、幕末の薩長に対するトーマス・グラバーの銃火器の大量供与…等から類推して、日本歴史の大きな切変点の全てに外国人が絡んでる。
● 従来云われてた 「 圧倒的な幕府の長州討伐軍に対し、高杉晋作の奇兵隊がゲリラ戦で勝利 」 …という話は、グラバー商会が長州に恩寵の如く提供した、ガトリング銃 ( 手動機関銃 ) などの威力の凄まじさに依ることを、公には隠しておく為の作り話でしかなかった。
● ヤマト ( 邪馬台国 ) は元々太宰府ではなくて四国の徳島県阿波に在ったものらしく、最近になって其処に1000基以上もの原初古墳群や遺跡が出土し、至る所が古墳だらけの状態である。
ここから奈良大和地方に移転したものとすると、卑弥呼の出現直前に移転したのだろうか?
何れにしても、このヤマトはまだ新羅占領軍に支配される以前の、真の日本である。
● 山形県鶴岡市に居た長南年惠という不食の超能力者は、裁判所内での実験検証でその物品引き寄せ能力を実証し、留置場においてその不食の事実を立証していた。
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これらの決定的な事実を掘り起こした、テレビ東京 「 歴史のミステリー 」 制作陣に快哉!
( 情報 ) ( 2008.7.22. 記 )
TXTV 「 日本の歴史ミステリー 」 よりの興味深い情報
● 「 平家 」 と 「 平氏 」 は基本的に全く別のものである
「 平家 」 とは 「 平氏 」 のことではなく、当時の天皇の落胤 ( 天皇が素性不明の女と姦って産ませた隠し子 ) が預けられた先が、たまたま桓武平氏だった為に平姓を名乗っていた 「 平清盛 」 に始まる平氏の 「 傍流一族 」 だけが、特別に 「 平家 」 と呼ばれる。
● 琉球王国の起源は源為朝 ( みなもとの ためとも ) にあった
無論、元々の島民はそれ以前から居たワケで、占領混血したという事である。
実際、琉球でグスク ( 石で築いた城塞 ) が造られ、戦乱が生じたのは、正に為朝が渡ったとされる12世紀以降の事であり、琉球の風土に突如こうした変異の生じた理由が説明可能となる。
[ その後の琉球は北山、中山、南山に分かれて相互に戦い、首里城の在る中山 ( ちゅうざん ) が14世紀に派遣を握り、中国皇帝に朝貢するようになって当時の海洋貿易の中心地となった。]
通説での為朝は保元の乱で落武者となり、その逃亡先の近江で裏切られて入浴中に襲われる。
為朝が捕われて京に引き立てられるとその武勇故に天皇までもが見物にやってくる。為朝はその武勇を惜しまれて助命され、希代の大弓を引けないよう肘の関節を外された上で伊豆大島へと流刑になる。が、傷めつけられた肘がやがて癒え、大弓が引けるようになると、為朝は再び武勇を発揮して勢力を伸ばし始め、瞬く間に伊豆七島を全て従えてしまう。鎌倉幕府はそれに危惧を持ち、伊豆大島に本格的な大水軍を差し向ける。すると何故かホンの一寸戦っただけで為朝は直ぐに覚悟を決め、自刃した…と記されている。
が、この顛末はどうにも信じ難い。沖縄に深く刻まれた伝承が全く無視されてるからである。
実際には…写真のまだ無い時代に、影武者の居るだろう人物の ( 特に遺体の ) 特定は極めて難しく、本人に生き延びる気さえあれば比較的容易に生き延び得たと思われる。
また逆に、その事のカムフラージュと本物が逃げ切るだけの時間を稼ぐ為にこそ、その身代わりとなった影武者は豪華な衣裳を身に纏い、( 下手に捕まって正体を見破られたりしない内に ) さっさと自刃…という可能性が頗る高いのだ。
( 平泉での義経の身代わり、杉目太郎のあっけない死も、多分にその為の演出と思われる。)
従って伊豆大島での為朝の自刃…という通説には信憑性が殆どない。
源為朝は、頼朝に島流しにされた伊豆大島を脱出して沖縄本島に上陸し、地元民を鉄器武力で一気に制圧し統一したものらしい。( 実は日本の太平洋側には、今も黒潮の外側に弱い逆流があって南下が可能である。当時の海上往来は頻繁で、そんなことは世の常識であった。)
為朝の沖縄本島上陸の事実は、鎌倉時代の京都でも既に知られており、文書記録も残ってる。
琉球史のその後の4分5裂は、中山辺りに上陸して始まった為朝による制圧への、先住民勢力による抵抗の記録であるか、或いは為朝の没した後に4分5裂した部下たちの権力闘争史だろう。
後者である場合、その覇権争いの敗者たちが倭寇の原型あるいは始祖となったかも知れない。
但し、倭寇とは南北朝時代の混乱で食い詰めたその時代の倭国貿易業者の苦肉の策が昂じ、そのまま暴走を続けたもの…という資料も存在。( 対馬には倭寇の末裔である人々が現在も住む。)
( 因みに、倭寇は秀吉の朝鮮半島侵略より以上に中国や朝鮮に大きな危害を加えており、当時の日本人全体はさながら現在のアメリカの如く強盗殺人を働く侵略者であった? )
沖縄本島には、琉球先住民とは明らかに風貌の違う源氏末裔の人々が今も居住し、源姓を名乗っており、その事実を伝える石碑や文書も多数現存してる。
( ただし 「 上陸の地 」 の碑などは琉球が薩摩に併合されたずっと後の大正期の建立であり、古来からの物ではない。琉球併合の日本側からの正当化の拠り所として押し着けた…という意図や可能性は確かに無視出来ない。このことの絡みからか、琉球正史には琉球王朝の始原は為朝に有り…と記されているにも拘わらず、史学会の通説はこれを認めず、琉球王朝の権威付けの為の虚言と解しているようだ。併し、史学会にはこの種の迷妄が頗る多いことにも注意しなければならない。)
為朝の4男が奥州平泉に居た…という記録があり、また中尊寺 金色堂の螺鈿細工には琉球の夜光貝が使われているので、当時、奥州と琉球王国間に定常的な往来のあった事は確実である。
為朝と義経は当時、頼朝を南北から挟み撃ちにしようと、画策してたらしい。
( そうであればこそ、伊豆半島沖の鎌倉時代の軍港…水軍係留地…遺跡や、房総半島に残る頼朝水軍の痕跡は意味を成す。元寇に備えてではなく、為朝水軍に備えてのものだったのだろう。)
ところで…
● 聖徳太子と楊貴妃、平家一族の出自が実は 「 ペルシャ 」 起源…という説もある。
厩戸の皇子の作り、使った 「 道 」 や 「 館 」 の方位が、ペルシャ起源の宗教方位と完全に一致しているという。( 聖徳太子は架空の人物で = 厩戸皇子ではないとすると、厩戸皇子の方が 「 ペルシャ 」 起源…ということか? )
が、当時の大和国で採用されてた方位はそれと一致せず、聖徳太子は極めて特異である為だ。
( これは 2008.7.8. の放送 )
● 「 大和朝廷 」 とは別に関東全域を領し、 高崎にその中心を置く、 「 日本王国 」 という国家があった。
既に圧倒的な量の考古学的遺物や古墳群が、この地域で発掘されている。
三種の神器や上毛野国・下毛野国古墳などである。
魏志倭人伝には、当時、この2つの国が全く別のモノである…とハッキリ記されている。
● 家康が 「 信長の命令で泣く泣く自らの正室と嫡男を処刑した 」 というのは恐らく嘘である。
実は20歳そこそこで早々と討ち死にしてしまった本当の家康 ( 元康 ) …の替え玉となった、第2の家康;世良田二郎三郎が、替え玉である自分とそれを支える側近にとって ( 正体と真相を知る ) 今や邪魔者でしかない、元康の正妻と実子を抹殺する際の、体の良い口実としてその殺害を 「 信長の命 」 として正当化し、信長を 「 悪者 」 に仕立てた上げたものだと思われる。
この第2の家康;世良田二郎三郎もまた、 「 大阪 夏の陣 」 の終盤で真田勢に鉄砲か槍で突かれ、堺の臨済宗南宗寺に運ばれて絶命した。
南宗寺には実際に家康の墓石が今も残っており、光秀の名から一字ずつ取ったらしい徳川2代目と3代目の将軍、秀忠と家光が後に共に墓参した記録がある。
異論;秀忠の幼名は長丸であり、長丸は12歳の時、天下人秀吉の名から1字賜って秀忠と名乗るようになった。
この史実からは、秀忠と家光の名に 「 光秀 」 の名を1字ずつ埋め込んだ…という話は、にわかに信じがたい。( 元服に際しての名を、その時点での天海僧正 = 明智光秀が予め仕込んでおくことは出来ない…と考えられるからである。それとも秀吉に一字賜ったという話自体が後の天海全盛時に挿し込まれた作り話なのか? )
天海の指示で直ちに据えられた第3の家康 ( 替え玉 ) は、その後一年ほど家康役を務めた後、食中毒か何かで死ぬ。( 真の死因は不明。鯛に中ったとされるが調理責任者は処罰されてない。)
天海は政敵 金地院崇伝との政争に勝って事実上の絶対権を握り、日光に東照宮を建立する。
この日光東照宮には明智家の家紋である桔梗紋が多数あしらわれ、一面に桔梗が植え付けられ、更に最も見晴らしの良い景勝地にわざわざ 「 明智平 」 の名が付けられている。
この命名には天海自身が 「 明智の名を残すのだ 」 と答えたという。
これらの緒事実から、南光坊天海 = 明智光秀は、ほぼ間違いないと思われる。
( 2009.3.24. 追記 )
明智光秀 = 南光坊天海 説への追補証拠が出て来た、
明智光秀の肖像画 上方に 「 僧侶となり、後に寺を去った 」 …と、記されている。
( これもまたTXTV 「 新説 日本歴史ミステリー 」 からの情報 )
( 2009.11.19. 追記 )
この 「 明智平 」 とはまさしく日光の全体を見渡せる山の、広く平らに延びた、強い高揚感を天下人に与うべく尾根なのであって、成程、この場所に 「 明智 」 と名付けた南公坊天海の心情が、はっきりと推し量れる気がした。 ( TXTV 「 空から日本を見てみよう 」 から )
天海僧正は、やはり紛れもなく 「 明智光秀 」 であったのだ。
この第3の家康 ( 替え玉 ) に実権の有ろう筈はなく天海 ( 明智光秀 ) が一切を仕切っていた。
よって 「 大阪 夏の陣 」 から、三代家光に至るまでの、実質的采配を握ってたのは紛れもなく明智光秀であり、( 実は信長の末裔であった ) 天草四郎の挙兵に対し、ヒステリックに12万もの大軍を差し向け、徹底的に殺し尽くしたのもまた明智光秀であった…と捉えるのが多分正しい。
● 秀吉は元々生駒屋敷に出入りしていた間者で、そこに参集する忍者集団を纏める豪族の出身であった。秀吉が信長に取り立てられる切っ掛けを作ったのは信長の側室;生駒吉乃であった。
秀吉は木下姓を元々持つことからも、百姓上がりであったとは思われない。
秀吉が一夜城を作ったと言われる場所には、それより以前から城砦が存在しており、一夜城の件は恐らく作り話である。
信長はその生駒屋敷で溺愛する側室 吉乃と逢い、3人も子 ( 男2人、女1人 ) を成した。
( 正妻である帰蝶には子供は生まれなかった。)
● 帰蝶 ( 濃姫 = 安土殿 ) は明智光秀を良く知っていた。
帰蝶の激しい気性は有名である。
帰蝶は信長の正妻であるにも拘わらず一人も子供を生めなかった。
側室に入れ込んで嫡男をも生駒で生ませた信長に帰蝶は怨みを持っていた。
その怨みを晴らす為に、好機を捉えて明智光秀に信長襲撃をけしかけたのは帰蝶だった?
記録には無いものの当時の帰蝶が安土城に居たのなら、信長の当日の動向を当然知っていた。
( 本能寺の境内は、最近の発掘によって僅かに40メートル四方でしかなかった事が判明し、当夜の信長のお供は精々数十人程度だった事が分かっている。
当時の寺は砦として使われる事が多く、一般にその地下は弾薬庫になっていた…ともいう。
従って一旦覚悟して寺に火をかけ、地下にて自刃すれば、信長の遺体は火薬で吹き飛び、発見不能になっても当然である。)
帰蝶は本能寺の変の後も、江戸時代の初めまで約30年間、安土殿と呼ばれ、手厚い禄を与えられて生き続けた。
信長との子も無く生き延びた帰蝶が、江戸時代になって南光坊天海と名乗るようになった明智光秀のもとで、手厚く保護されて生き永らえたのは全く当然である。
● お市の方は実は信長の妹ではなく愛人であり、恐らく信長の子を身ごもった状態で浅井長政の妻となり、3ヶ月未満で茶々を出産した。
その証拠に、浅井家には3姉妹 ( 茶々、初、江与 ) のうち下2人の位牌は有るが、長女 茶々の位牌が無い。
茶々だけは浅井の血統ではない…という理由だろうという。
( 尚、信長の命で秀吉に殺された浅井長政の嫡男 満福丸は、元々お市の子では無いらしい。)
● 坂本龍馬は明智光秀一族の子孫であった。
四国の坂本氏は明智の居た城の名前 「 坂本城 」 から坂本を名乗るようになったとある。
明智の残党が四国の長宗我部氏の領地内に大量に逃げ込んでいる。
( ということは遠山氏一族とも繋がっている? 明智光秀というのはつくづく面白い。)
更に坂本龍馬を暗殺した刺客が織田信長の末裔で、 「 本能寺の変 」 首謀者の末裔への復讐劇でもあった…という説も一応有る。
但し、当の暗殺者であると2度も告白した今井信郎の告白内容は、実際の龍馬の受けた傷や、共に襲われ少し生き延びた陸援隊 隊長 中岡慎太郎の証言と一致してない…という。
( 真っ先に殺害現場に駆け付けて、龍馬の遺体を確認した、土佐藩士 谷干城による批判。)
「 龍馬を斬殺した 」 と最初に白状した際、今井信郎は奇妙にも西郷隆盛により釈放されてる。
その一方で土佐での坂本家は元々が商人であり、金銭によって郷士 ( 下士 = 下級侍 ) の身分を買ったという話がある。( 明智一族の末裔という話とはエライ違いであることに注意しよう。)
龍馬が亀山社中を設立した直後、最初の取引で動かした金額9万2千両 = 現在での約46億円 ( 1両 =5万円 ) という怪。( 日本最初の株式会社云々と背景も考えずに絶賛出来るのは、政治経済に全く無知な歴史小説作家でなければ、無理な芸当である。龍馬礼賛等詐欺ペテンに等しい )
龍馬が実質的にトーマス・グラバーのダミー人形 ( = アバター ) でなければ、一介の脱藩浪人になど、全く動かせる筈のない大金なのは明白である。
山口県文書館に残るデ・ビー・グラバー史談速記中 ( トーマス・グラバー本人が語って速記させた記録 ) には、 「 坂本龍馬から私に千両貸して呉れといふので、貸した 」 等とも記されてある。
( 当時の千両は現在の5000万円程である。)
● ところで、お龍 ( おりょう ) は結構現代的なタイプの美人だった。
おりょうと龍馬の馴れ初めは、おりょうとはどういう字を書くのか?と龍馬が尋ね、龍と書くと知って、俺と同じだと笑ったことからだった…と、おりょう自身が後年に話している。
おりょうは龍馬の死後暫くして、明治7年、神奈川県横浜に今も現存する割烹料亭田中家に、勝海舟の紹介で入店し働いた。
● 上杉謙信は本当に女だった?!
家康が上杉家にだけ養子による家督相続を認める等、他藩には認めぬ特別扱いをしてる事実。
信長が謙信に対して ( 当時女性に対してのみ贈る慣習があった ) 源氏物語を贈っている事実。
髭の有る上杉謙信像は後世の想像図や偽作でしかなく、生存当時の謙信像には髭が全くない。
上杉謙信の死因 「 大虫 」 は婦人病を指す言葉である。( 股間からの出血故に厠に潜んだ刺客に股間を刀で刺されて死んだ…という噂が発生したものと思われる )
上杉謙信の持ち物には、女性好みの柄や赤色のものが混ざっている。
上杉謙信は女性に関心を持たず、世継問題を放棄して出家してしまったが、近習や小姓との同性愛? ( 謙信が女なられっきとした恋愛なのだが… ) 行為についてだけは目撃証言がある。
( 情報 ) ( 2008.9.2. 記 )
日本史異聞 追加情報
● 長篠の合戦は本当は家康主体の小規模なもので、織田鉄砲隊や武田騎馬隊 ( 甲州騎馬軍団 ) などは実在せず、それらの架空のエピソードは秀吉の創作、及び後世の粉飾である?…という。
馬防柵の位置から500メートル以上の位置に武田側の武将の没した記念碑が存在するが、当時の鉄砲の射程距離は100メートル程であり、鉄砲で撃ち殺されたとは考えにくい?…とも。
( 相手方が退却を始めても信長は鉄砲隊を馬防柵の裏側に張り付けたままで、追撃はさせなかった…というのだろうか? 鉄砲隊にだって足がある…ことを忘れてないか? )
約8時間に渡って10万発は撃たれた筈の鉄砲の弾は、現在までに古戦場設楽原からたったの12個しか発掘されておらず、とてもこの場所でそんな大規模な射撃が行われたとは思われない。
( 430年以上も前の弾丸が、鉛玉だったかどうかは知らないが、もし鉄玉なら風化して残存してなくとも当然である。何しろ田原坂の戦いより300年程も古いのだ。)
徳川方の記録によれば、奥三河 長篠の合戦の主は徳川、信長公は加勢…全く当然である。
「 信長公記 」 は秀吉が太田牛一に命じ、彼の付けてた日記を元に書かせたもので、その一部を秀吉が ( 合戦に於ける家康の貢献を軽んじる目的で ) 捏造して書かせた可能性はあること。
( この疑念は立証性に欠ける。証拠なしの誹謗中傷に近い…と言わねばならない。)
「 信長公記 」 には武田側の戦死者は1万人とあるものの、武田側の甲陽軍艦によれば 「 武田軍の戦死者は約1000人程度 」 である。
後者が事実なら、当時の大きな合戦での平均的な戦死者数は3千人程度なので、長篠の合戦での戦死者数はかなり小規模だった…とも言える。
武田騎馬隊についての印象的な記述が歴史に現れたのは、実は昭和12年の日本陸軍の文書以降である。
武田軍の馬は日本在来種 「 木曽馬 」 で、この馬はロバのように体躯が小さく、現在では人を乗せると子供の走る程度の速力しか出せない。
そのため戦闘用としては役に立ちそうもない…のだが、当時の良く訓練された木曽馬が、甲冑を着けて1.5 〜 2倍も重くなった武将を乗せて、ヨタヨタとしか走れなかった筈はない。
また当時の日本人男子の平均身長は150センチ程で、160センチでも大男だった事も忘れてはならない。
従って、現状での全く訓練されてない木曽馬の単純なデータに頼り過ぎの仮説は、恐らく正しくないだろう。
● 家茂に嫁いだ皇女和宮は替え玉で、本物の和宮と京都にて面識のあった天障院篤姫はその事を知っていてワザと苛めていた。
本物の和宮は後年箱根山中で賊に襲われ、逃げ切れずに自害して果てている。
故に和宮の墓は増上寺と京都に2つ存在する ( 家康と同じである ) 。
2つの墓に納められた和宮の遺髪は全く別人のもので、一致しない。
また、替え玉と思われる増上寺で発掘された和宮の遺体は極めて細面で、本物の和宮の容貌について記された文書の内容 ( 極く普通の顔形 ) とも一致しない。
● 篤姫は家定、家茂、井伊直弼、の3人を暗殺し、替玉の和宮と協力して江戸城無血開城の後にも徳川家を存続させ、またもしかすると勝海舟と愛人関係でもあった。
篤姫は元々徳川家達を15代将軍にと推していた。
篤姫が後見人となって育てたこの徳川16代宗家 徳川家達 ( いえさと ) は、明治36年から昭和8年まで約30年 ( 第4代 〜 第8代 ) も継続して貴族院議長に留まり、次代の徳川家正17代はその後を引き継ぎ貴族院最後の議長となった。
また結果的には辞退したものの、徳川家達には一時、徳川内閣の可能性すらあった。
つまり一見するだけなら、徳川家は明治期以降にもちゃんと権力の座に在ったように見える。
しかし、坂本龍馬を暗殺してまでも徳川慶喜が政権に残らぬように画策し、大政奉還した慶喜を完全に謹慎させ、政治の表舞台から遠ざけていた筈の薩摩 = 明治新政府は、一体どうしてこの田安徳川家から出た16代当主 徳川家達を受け入れたのだろう?
どうもワケが解らない。
その解答;実はこの段階での徳川は、既に実質的には薩摩 島津斉彬の血統を受け継ぐ 「 隠れ島津 」 でしかなかった為である。
つまりこうだ。
篤姫に幼少時から洗脳された家達の正妻は、朝廷出身であったが、島津斉彬の娘 ( 斉彬の養女である篤姫にとっては義理の妹 ) と朝廷との子 ( 娘 ) 、つまり斉彬の孫であった。
そして家達の子である家正もまた、島津家から正妻を迎えさせられていて、結局、家正の子は島津の血を3/4、徳川の血を1/4、でしかない。
その上、この徳川家では毎月二十日には 「 二十日様 ( とは篤姫の意 ) の儀式 」 として家内の者全員で篤姫の好物を食べる…という程に、篤姫流の価値観に洗脳され、埋め尽くされていた。
つまり篤姫は、リドリー・スコットの映画 「 エイリアン 」 で異生物が人体を乗っ取るように、徳川家の名を残す振りをしつつ、ほぼ完全に島津の価値観と血脈で田安徳川家を内側から侵食し、徳川の殻だけを纏わせて実質的に乗っ取っていった…という事になる。
その謀略を知っていたからこそ、明治新政府内にあった薩摩の勢力は、この事実上の薩摩の傀儡でしかない徳川家達と家正を政権の内に受け入れた…ものと考えられる。
( ヤゴとかコウガイビルの食性を彷彿させるような空恐ろしい事実である。よくまあこんなにも不気味な女を主人公に据えてNHKは大河で1年間も大ウソのドラマを放送し続けたものだ。)
明治維新とは、ロスチャイルド → グラバーによる武器供与、そのパシリであった坂本龍馬、相次ぐ天皇と将軍の暗殺事件、そして全くの偽物南朝血統である大室寅之祐の明治天皇とのすり替わりで成立した偽皇室…と、まさしく途轍もない魑魅魍魎の跋扈した闇の闇であった。
私たち日本国民は、こんな出鱈目をあたかも真実のように日本の歴史として文部省やマスコミに繰り返し教え込まれ、洗脳され続けて来たのである。
● 士族一掃の 「 ゴミ袋 」 西郷隆盛
西郷は、( ヤラセ戦争 ) 「 西南の役 」 を、本当に勝つつもりもなく旗頭となって始めさせた。
もし本気で勝つ気なら、同時期に起こった百姓一揆と共闘すべきだったのに、しなかった。
西郷隆盛は云わば明治政府が不満士族を撲滅する為の大義名分を提供した工作人だった。
1891年 ( 明治24年 ) 3月31日付け東京日日新聞は、西郷が城山から串木野 → 甑島と脱出し、ロシア軍の艦船に同乗してウラジオストックに渡り、ロシアで生き延びていた旨報じた。
また同4月9日の時事新報も、西郷をシベリアの兵営で目撃したという記事を掲載していた。
「 西南の役 」 の5年後に、西郷の甥と従弟がロシアへと渡っていることが、ロシア側の資料からも判明してる。
「 西南の役 」 での西郷の死の確認は、西郷と見做された首無し遺体の陰嚢水腫 ( 金玉肥大 ) 症状のみであり、他に何も決定的な証拠が無かった。
( 当時はこの地域の男の十人に一人が、フィラリアに感染してこの症状を呈していた。)
上野の西郷像は明治政府自ら建てたもので、西郷の実弟と長男はその後明治体制内に入っており、 「 西南の役 」 の旗頭であったにも拘わらず明治政府が西郷を逆賊扱いしたフシは全く無い。
何故に明治政府は西郷を功労者として讚え続けたのか?
つまり、西郷隆盛は 「 反乱士族という維新の大掃除で出た粗大ゴミ 」 を纏めて捨てる為に必要なゴミ袋として機能し、その後、身を隠してロシアへと渡り、歴史の表舞台からは消えた…と考えられないこともない。
● 薩長同盟締結の基盤;坂本龍馬も西郷隆盛も共にフリーメーソンであった
山口県文書館 ( もんじょかん ) に残る毛利家文書 「 デ・ビー・グラバー史談速記 」 の中でグラバーは 「 自分こそが徳川幕府に対する最大の反逆人である 」 という意味のことを言っている。
同文書には 「 坂本龍馬から私に千両貸して呉れといふので、貸した 」 とも記されてある。
また 「 長州の伊藤 ( 博文 ) から海外渡航の相談を受けたことを確かに覚えている 」 ともある。
英国ケンブリッジのジャーディン・マセソン・アーカイブ内には、トーマス・グラバーが徳川幕府側とも大砲や火薬などの取引を行っていた事を明示する記録が残っている。
山口県萩博物館には、横浜港からロンドン大学に向かうその渡航直前に撮られたという伊藤博文他五人の記念写真がそれとして残っている。
明治維新当時の鹿児島史を記した 「 忠義公史料 」 には 「 五代 ( 友厚 ) はグラバーと共に上海に渡航し軍艦を購入した 」 とあり、薩摩藩もまたグラバーと関係の深かったことは決定的である。
日本初のフリーメーソン・ロッジの開設は1866年、薩長同盟締結とピッタリ符合してる。
米カリフォルニア・サンディエゴに在る、フリーメーソン支部のグランドコマンダーであるゲイリー・ミラー氏によれば、1978年の日本支部のトップであった山田某の記した 「 日本初のフリーメイソン 」 という資料中には龍馬と薩長の夫々にフリーメーソンのメンバーが居た…とある。
山口市県立図書館に残る幕末の長州史 「 防長回天史 」 には 「 グラバーが購入した4300丁の銃が、海援隊の名目にて74400両で長州藩に引き渡された 」 とハッキリ記されている。
グラバー邸内の石柱にフリーメーソンのシンボルマークが刻まれてる事は周知の通りである。
また邸の天井裏に、幕末の志士たちの密談に使われていた、隠し部屋の有る事も有名である。
ところが現存する亀山社中の一階天井裏にも、押入れの天井から入れる6畳間ほどの隠し部屋 ( 密談場所 ) の有ることが、最近 ( と言っても2000年 ) の調査によって判明した。
これで、龍馬とは如何に怪しげな人物であったのかが、ハッキリと判るだろう。
これは龍馬とトーマス・グラバーの秘密裏の関係を亀山社中の内部にも隠しておく為だろう。
亀山社中は名目上の武器輸入商社でしかなく、その正体は倒幕行動全体への武器商人としてのグラバー商会の深い関わりを、日本国内に対して表向き隠しておく為の傀儡である。
亀山社中はつまり、グラバーのお膳立てで全てが整えられ設立された、ダミー会社である。
このような事実からは、龍馬は唯の新しモノ好きの脱藩浪人でしかなく、実質的にはグラバーの使いっ走りであったに相違ない…という判断になる。
「 船中八策 」 の大半もまた、グラバーから示唆を与えられてのモノだったろう。
但し唯一 「 大政奉還 」 だけは、龍馬独自の慧眼による偉業だったのかも知れない…とは思う。
● ところで清水の次郎長や森の石松というのは幕末の出来事であり、維新後の次郎長は社会事業家として色々やったが殆どは上手く行かず、唯一 「 英語学校 」 だけは上手く行き、成果があった…のだという。
● 西郷隆盛はクリスチャンであったらしい
西郷は維新後の明治政府で士農工商の撤廃、人身売買の禁止、禁教令 ( キリスト教布教の禁止令 ) の廃止、太陽暦の導入を決定している。
西郷の座右の銘である 「 敬天愛人 」 は、儒教ではなくキリスト教の教えを集約したもので、晩年の彼は、地元の川邊一族に対して聖書を読み聞かせ、キリスト教を布教していた。( 川邊氏談 )
1872年、横浜に出来た横浜海岸教会 ( 最初のプロテスタント教会 ) で、西郷は極秘に入信の洗礼を受け、牧師へのお礼にブタ2頭を贈ったと日記に付けてた…という口伝が川邊家に残っている。( 但しこの日記は戦災で焼失した )
西郷は2度離婚し、僧の月照との同性愛もあったが、プロテスタントの教義ではそうしたことは禁止されていない。
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以上TXTV 「 日本の歴史ミステリー スペシャル 」 からの情報だが、この番組、面白過ぎる。
( 情報 ) ( 2008.9.30. 記 )
縄文期の海洋民族を統一支配していた巨大帝国 「 胡不興 」 および 「 扶桑国 」
● 沖縄北谷沖合で発見され、琉球大学 木村政昭 名誉教授が発掘中の、階段式海底ピラミッド。
● イースター島モアイの作り手が、実は古代日本の縄文巨石文明だった可能性があるという?
秋田県仙北市の山中に在る縄文中期 ( 約 4000 年前 ) の石像 「 お諸仏さま 」 は、2段の台座に乗った顔高 4 メートルのモノで、現存する上に、モアイにも酷似する。( 但し一体のみ )
奈良の石像である 「 猿石 」 とイースター島 「 ティキ像 」 のデザインも極端に酷似。
傍証;パプアニューギニアの伝承によると、彼らの先祖は元々日本から来たという。
他にも、ポンペイ島やインドネシアの風習 ( 入墨や犬歯の抜歯など ) は、縄文期日本起源である可能性が高い。
中国最古の地理書 「 山海経 ( せんがいきょう ) 」 によると、約 4 千年前には太平洋全域を支配する巨大帝国 「 胡不興 ( こふよ ) 」 が有った…という記述があること。
( 葦高山 / 広島や、隣山 山頂付近の 100 トン近い巨石群の存在も含めて無視など出来ない )
● 海洋民族を束ねたこの 「 胡不興 」 帝国は、金の知られていなかった当時の貴重品 「 真珠 」 にこそ導かれて太平洋の真珠産地を辿り、太平洋全域に拡がったものらしい。
縄文人と縄文文化は、その結果としてイースター島や中南米チリにまで拡がった…。
色々な点で、ほぼ完全に辻褄が合ってくる。
● 中国の 「 梁書 」 によると、当時の中国の東には 「 扶桑国 」 が有ったと記されている。
「 扶桑 」 とはハイビスカスの事で、位置関係やその内容記述から見ると、現在海底に沈んでいる縄文期の日本を指すと思われる。
● 記録文書や弥生時代の土器に描かれている出雲大社は高さ 100 メートル、桁の全く無い階段という驚異的な形態である。
そのまま事実なら、現在でも木造での建造など到底不可能だろう。
仮に多数の桁を使っていたとしても、この巨大さだと、人力のみでの建造など全く不可能。
何らかの重機の存在を仮定せざるを得ない。( …という鹿島建設技術者の証言 )
● 天草四郎時貞は 10 km の海原を徒歩で渡る 「 奇跡 」 を行った…という記録が残っている。
10 km の海原を徒歩が史実なら手品・奇術手法での実行は今でも不可能…とDr.レオン。
● 当時僅か 16 歳でしかなかった天草四郎時貞に、3 万 2 千人もの一揆勢を統率して指揮し続ける能力が、如何にして有ったのか?…という全く当然な疑問。
イエスと酷似する奇跡の伝誦は、一見すると後世の 「 イエスに何とか準えよう 」 という粉飾の結果と取られ易いが、そのどちらにも異星人の絡んでる可能性は極めて高いので、事実では有りうる。
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以上、2008.9.30. のTXTV 「 新説?! 日本ミステリー 」 より。
( 情報 ) ( 2008.10.15. 記 )
近江に於ける信長の一早い脱出はお市の方の通報による?
お市の方が信長 「 に浅井長政の背後からの攻撃 」 を“あずき袋の底を紐で括って”教え、間に合う内に窮地から脱出させた。( 但しお市の方は既に完全に浅井方で、有り得ぬという説も )
しかし、お市の方が実は信長の妹ではなく、元々は愛人だったのだとすると、完全に浅井方…という説明は成り立たない。
信長が浅井家を訪れた際、お市と二人だけの親密な時間を持ったという記述もある。
浅井家に伝わる位牌の中に浅井長政との長女である筈の茶々の位牌だけが存在しない点。
そしてお市が浅井家に嫁いでから、僅かに3ヶ月未満で茶々を出産しているらしいこと。
また信長とお市の方の歳が、当時の兄妹としては離れ過ぎてる ( 12歳も離れている ) 点。
…等からは、お市の方は信長の元愛人で、更に 「 くの一 」 だった…という説はそれなりに信憑性の有る話だ。もしそうなら“あずき袋の底を紐で括って”教えた…というのも十分あり得る。
危急の信長の為に動くのは、政略結婚で浅井に潜り込んだ 「 くの一 」 の当然の役目だからだ。
( 情報 ) ( 2008.11.18. 記 )
日本史異聞 追加情報
● 桶狭間山での織田信長は、( 同盟中の今川義元を潰し、海沿いの領地を獲得したかった ) 武田信玄の手駒として戦わされた可能性がある。
( 少なくとも武田の血縁だった武将が6000人の武田勢を率いていながら、清州城から出て目の前?を通り抜けていった2500の信長勢に手を出さなかった。)
● 延暦寺は比叡山の全体を含む巨大寺社であった。
信長の比叡山焼き打ちは十分に警告を与え、非戦闘員は殆ど残っていない状態で行われ、しかも極く一部を焼き払ったに過ぎない。
● タケミナカタノ命は元々諏訪地方の古い神であり、出雲からの逃亡エピソードは、土着の神々の権威を貶める為の大和朝廷 ( 従ってその歴史偽書である日本書紀を創作した藤原不比等 ) の捏造であると思われる。
● 秀頼と真田幸村の墓が共に鹿児島県 ( 薩摩 ) に現存する。
● 秀吉の正妻 北政所 ( ねね ) の実家は、秀吉の姻戚となって栄え始め、後に孫の代が家康側に着き、阿芸広島藩 ( 42万6000石 ) となって以後明治維新まで続いた。( 維新後は侯爵家 )
「 播磨 赤穂藩 浅野家 」 は、同じく孫の代の3男による分家だったが、その更に3代目が内匠頭長矩で、五代将軍綱吉の治政下、刃傷松の廊下事件により切腹。赤穂浅野家は断絶した。
( 徳川宗家;紀伊藩、分家;尾張藩、水戸藩を 「 徳川御三家 」 という。が、この内の水戸藩は一段格下と見做され、確執があったという。赤穂浅野家は水戸藩と親しく朝廷側で、子に恵まれない綱吉の正妻 信子側に与し、一方の吉良家は紀伊藩の人間で綱吉の生母の側である。)
刃傷松の廊下事件の当日は朝廷から遣いが綱吉の生母への従一位授与の為に江戸城を訪問中であったという。( 松の廊下刃傷沙汰の勃発により、従一位授与は延期となり、正妻側の思うツボ )
つまり、綱吉の生母への従一位授与を何としても阻止したかった正妻こそが事件を画策した。
綱吉を失脚させたい朝廷派 水戸藩 ( 水戸光圀は屋敷の中では生類憐れみの令を無視していた ) は討入りに加担し、浪人となっていた大石内蔵助らに秘かに資金提供していたものと思われる。
「 松の廊下刃傷事件 」 と 「 吉良邸討ち入り事件 」 は、幕府裁定への民衆の不満の盛上がりによって見事に目的を果たし、綱吉の治世を終わらせた。( 綱吉は信子に喉を刺されて殺された* )
そのため徳川綱吉の治世終了後直ぐに浅野家は許された…という。( 再興されてはいない )
● * 綱吉はこの正妻 信子に喉を刺されて殺された
徳川実記によれば、1708年12月28日に体調を崩した綱吉は、1709年1月9日には回復し、快気祝いをしていた。
が、その翌日の記録には 「 容体が急変、危篤となりそのまま死亡した 」 とあり
日光かんぜん枕?には。 「 御台所 ( 正妻 ) は綱吉公の喉に剣を突き立て、殺した 」 とある。
それを裏付けるかのように、正妻 信子はその1週間後に急死しており、その信子の墓には当時、罪人の墓の徴である 「 金網 」 が掛けられていた…という。
正妻 信子は京都 「 五摂家 ( 関白職を務める公家 ) 近衛・鷹司・九条・二条・一条 」 の鷹司家の家柄であり、伊達家4代目当主伊達綱村もまた1680年に鷹司家の牡丹紋を貰っている。
鷹司家と伊達家の先祖は元々同じで藤原姓を名乗っていた。
そしてこの1680年は綱吉が将軍になった年で信子が正室として大奥に入った年でもある。
この時期の伊達家は、徳川家から 「 力有る危険な外様大名 」 として最大の苛めを受けていた。
徳川幕府の押し付けによる請け負い工事は、伊達家14回、細川家10回、島津家8回、前田家7回、池田家・黒田家各6回…で、伊達家は最も過酷な虐げを受けていた。
神楽坂から秋葉原に至る3kmの外堀部分 ( 仙台堀 ) は、伊達家3代目当主の押し付けられた伊達藩の手弁当での大工事であった。
1688年。4代目当主伊達綱村は徳川綱吉から日光東照宮の修復という途轍もない工事を押し付けられ、24万両もの借金を作らされた。( 但しこれは綱吉の死の20年も前のことであり、伊達家は15年間で借金を完済していて、この件が直接的な原因だとは考え難いことに注意。)
綱吉の死後、伊達家は大きな工事は一つも請け負わされていない…というが、綱吉が死ぬまでにも他に大きな工事は請け負わされていないように見える。
綱吉暗殺の背後には恐らく水戸光圀が居たものと思われる。
● 徳川4代目家綱から以来50年間以上も、徳川将軍家には世継ぎが出来ず、その都度代用品の将軍 ( 弟とか甥など ) を備えてお茶を濁していた。
● 浅井長政が美濃の武将に尾張守信長を紹介して欲しい旨したためた書状が残っているが、信長の尾張守任官は1566年7月17日 〜 1568年8月であり、少なくともその時点まで浅井長政は信長と何の面識も無かったことが確かである。
併し、茶々の誕生は1566年であり、お市の方は信長の娘を妊った状態で長政に嫁いだというよりは、茶々は最初から連れ子であった可能性が高い。
傍証としては、浅井三代記には浅井家三代の極く些細な出来事まで記されているのにも拘わらず、長女である茶々の出生については全く何も記録のないことが挙げられる。
( 茶々がもし浅井長政との実子であれば、当然、重要事として記載されてる筈である。)
既に以前、浅井家には 「 お初 」 と 「 お江与 」 の位牌のみ有って、 「 茶々 」 の位牌が存在しないことも判明している。
さらに次女である筈のお初の方の名が 「 初 」 であること。( 浅井長政の最初の子の意味か? )
また、淀君専用の駕篭の引き戸に金箔で記された2つの家紋が、織田の 「 五つ葉木瓜 」 と、豊臣の 「 桐 」 の家紋であったとも指摘される。
お市の方が信長の ( 妹でなく ) 愛人なら、この引き戸に記された 「 織田の家紋 」 は、淀君が 「 信長とお市の方の間に出来た娘 」 でなければ説明がつかない。
が、もしお市の方が本当に信長の妹なら、引き戸に 「 織田の家紋 」 が記されていても別におかしくは無い…とも言えるので、これだけでは淀君が信長の娘だったとは証明できない。
( 但し、信長にはこの他に判明してるだけでも10人の娘がいる。)
拾 ( ひろい = 後の秀頼 ) に対しての秀吉直筆の手紙4通が大阪城博物館に残っているが、その総ての宛名部分で秀吉は、自らの子に対し 「 おひろいさま 」 と敬称を付けて呼び掛けている。
これは秀頼を嘗ての主君信長の 「 孫 」 として秀頼に接していた証拠であるとも受け取れる。
以前に判明した通り秀頼が秀吉の子でないのは明白であり、秀頼の父親は誰か不明である。
● 秀頼の体躯から生じる疑問
記録に依ると秀頼は身長197センチ ( 6尺五寸 )、体重161キロ ( 43貫 ) の巨漢。
茶々 ( 淀君 ) の身長はお市の方の長身を受け継いで168センチ程と推定されているものの、この力士並の巨体からすると、父親は無論秀吉以外の余程の巨漢としても、母親もまた茶々以外の大女であった可能性がある。
( つまり何処からか探してきた巨きな赤子を茶々が産んだと偽った…という可能性だが、その場合は当然、秀頼は ( 明治天皇 = 大室寅之助 と同じく ) 「 どこかの馬の骨 」 ということになる。
尤もそんな例は、怪しげな日本歴史の至る所にある。)
● 秀吉は無類の女好きで、北政所を始めとして300人余の側女を相手にしているが、淀君 ( 茶々 ) 以外には誰も、全く妊娠していない。( 恐らく妊娠させる能力が元々無かったと思われる。)
にも拘わらず、淀君だけが続けて2人も男の子を産んでいる。( 最初の子供、鶴松は、当時の嫉妬状況から見て、育児を任された正妻 北政所に殺害された…ものと思われる。)
秀吉自身、300人もの女と交わっていて子が出来ないのだから、自分に子作り能力のない事を自覚していた筈である。( 大阪城での側室は16人とも )
しかも秀頼の誕生した日 ( 1593年8月3日 ) から逆算すると、その懐妊時期 ( 1592年10月頃 ) の秀吉は、九州に居て淀君と床を共にしていない…という。 ( Check! )
従って秀頼は、たとえ淀君が本当に産んだ子であったとしても* 、元々秀吉の血は継いで無いことは決定的である。
( *;つまり何処からか貰い受けたり、攫って来てでっち上げた赤子、ではなかったとしてもである。そういう例は、幕末 孝明天皇の怪しげな世継ぎなど、歴史に山と有る。)
しかしながら、絵に描かれた秀頼像と淀君像の顔立ちは似てるので、淀君の実子である可能性は十分にあり、秀頼の父親は1592年10月頃に淀君の側に居られた者…ということになる。
秀頼の父親と目されるのは石田光成、片桐且元、大野治長の3人だが、大野治長以外のふたりは 「 文禄の役 」 で当時朝鮮に出兵しており、国内には居なかった。
残る大野治長は秀吉の親衛隊と云える 「 馬まわり役 」 だが、淀君の乳母の子で、淀君とは幼なじみであり、治長の祖父は信長の家臣であった為、秀吉に目をかけられて登用されたのだという。
山口県文書館に残る 「 萩藩閥閲録 」 ( 毛利家家臣間に伝わる古文書や系譜の一大集成 ) に 「 大野治長という評判の良い家臣が、こともあろうに淀君と密通…という事件が起きた。 」 とある。
なお、徳川方の 「 駿府記 」 には 「 大阪夏の陣の際、大野治長より家康に自らの生命と引き換えの“淀殿と秀頼”の助命嘆願の手紙が届いた 」 …とある。
子に恵まれぬ秀吉に世継ぎは必須故、この密通事件は不問に付されたが、共に織田家系の大野治長と淀君には、信長の孫に当たる秀頼を通し、織田家の再興を夢見ていた…節は十分ある。
秀頼の正妻 千姫は徳川秀忠とお江与の長女だから秀頼とは従兄妹同士の結婚である。
千姫は祖母お市の美貌と知性を受け継ぐ美姫であり、性格の良い優しい人であったらしい。
千姫には浅井長政と秀忠の血は入っているものの、秀頼と千姫は信長とお市の方の夫々の孫同士の結婚でもあり、二人はつまり信長とお市、織田家ふたりの血を濃く受け継ぐカップルである。
信長とお市が実は兄妹でなく、単に愛人関係だったとしてもそうだし、もっと大胆に実の兄妹同士の近親相姦だったとすれば尚更にそうである。
とするなら、千姫が、家康に処刑されそうになった ( 秀頼と側室の娘 ) 奈阿姫を身体を張って助命嘆願し、自らの養女にして護った…という事の深い意味は、( 秀吉の血ではなく ) 織田家の血を何としても自らの手で護り、絶やさずにおく為だった…とも読める。
● 関ケ原の合戦に際して家康は東軍に参加した諸侯には豊臣の領地を分け与えると約束し、合戦勝利後、実際にそれを実行して大阪城を孤立させた。
家康がそんな事を約束出来た理由は、秀吉の正妻北政所から豊臣の領地を分配することについての了解を得ていたからだ…という説がある。
( 関ケ原の合戦 = 「 北政所 vs 淀君 」 の代理戦争…という説 )
また大阪夏の陣での落城に際して、浅井3姉妹の末妹であるお江与の方 ( 秀忠の正妻 ) が、長姉である茶々の助命嘆願をしなかったのは、姉には浅井の血が入ってなかったからという。
だが、当時江戸城に居ただろうお江与の方に、大阪城の戦況がリアルタイムに分かる筈はなく、そんな解釈は全くのコジツケに聞こえる。
そんな下らぬ確執を持ってたら、当時の女は生きて行けなかったのに違いない。
● 島原の乱の異常性
天草四郎時貞が秀頼の子であったことは、徳川実記にも記されている。
( 従ってお市の方 = 信長の愛人説が正しいなら、天草四郎は、織田信長のひ孫だった…ということにもなる。)
天草四郎の馬印は瓢箪であり、瓢箪の馬印は他に余り無く、秀吉の馬印は言うまでも無く千成瓢箪で、それらが一致しているという事実。
僅か17歳の少年にも拘わらず、天草四郎には絶対的なカリスマが有った…という点。
タカが九州辺境の百姓一揆に対し、徳川家光 ( と南光坊天海 = 明智光秀 ) によって送り込まれたという、実に12万人規模の幕府軍の本気の異常さ。
この途轍もない大軍に対しても全く怯まず、完全に統制のとれた戦いを展開して、数万人の一揆勢が実に3ヶ月も持ち堪えた、武器兵粮と資金の異常性。
これらは豊臣の残党と軍資金による…としてしか説明できないこと。
天草四郎時貞の遺体は、結局最後まで確認されておらず、豪華な衣服を着けた遺体が推測でそれとされただけである。( 源義経、真田幸村、秀頼、明智光秀、石田三成などの最後と同じだ。)
● 戦国時代における独立商業都市 「 堺 」 の茶人とは、実は武器商人である。
彼らの使った茶道具 「 茶臼 」 は元々火薬を作る道具 ( 硝石や炭を細かく挽く道具 ) だった。
それを茶葉に転用した。
彼ら茶人が戦国武将と深く関わった本当の理由は、南蛮武器である鉄砲、大砲、火薬等を売り込む営業行為の一部としてである。
故に、彼ら武器商人の哲学や茶の湯が、その何処かでユダヤ商人の哲学や金融思想と繋がっていても全く不思議ではないだろう。
● 因みに江戸時代の俳人である、松尾芭蕉や小林一茶、そして地図作成者の間宮林蔵などは、実は幕府安泰の為に地方外様大名の内情を探るべく隠密が本業であり、俳句や地図作成は ( 彼らが色々な場所を調べに行く為の ) 体の良い口実であった。
( 但し当時の 「 お伊勢参り 」 や 「 お寺参り 」 もまた、庶民が関所を抜けて他の土地へ自由に旅する為の、半ば口実であったと思われる。)
● 石田三成は40歳で斬首されたのではなく、実は津軽にと逃げ延び、81歳まで生きた?
津軽杉山宗家第15代という石田三成の子孫が実際に青森におり、石田三成の肖像画の掛け軸と家系図が、家宝として保存されている。
三成の次女の家系でひ孫にあたる“お振の方”は、徳川家光の最初の側室で女子を産んでる。
大奥とは、元は“女に全く興味を持たぬ ( = 男色家 ) ”家光に、何とか世継ぎを作らせるべく仕組みとして、乳母の斉藤福 ( 春日局 ) が企画したものらしい。( なるほど、そーゆー事か )
この春日局は明智光秀の家来の娘であり、その父は本能寺の変で急先鋒を務めた斉藤利三、山崎の合戦後に捕縛され、秀吉によって磔刑に付されている。
春日局は南光坊天海に初めて会った際 「 お久しぶりで御座います、殿 」 と挨拶した…という。
言うまでも無く天海 = 明智光秀だから、再会であった。
その大奥に、石田三成のひ孫である僅か5歳のお振の方を入れた人物は、春日局の右腕といわれた祖心尼 ( その俸給;百口 = 約2億円程。その所領;渋谷 原宿 新宿 早稲田 目白 ) である。
祖心尼の父は秀吉の元家臣であり、高麗渡海 ( 朝鮮出兵 ) 時の陣立書では、石田三成と共に船奉行に任命されており、秀吉の側近12人の内の1人だった。
石田三成は、この戦友の娘である祖心尼を介して、大奥に自分の血を注ぎ込み、徳川家次期将軍の座を乗っ取ろうと、秘かに画策してたのかも知れない?
青森県青森市の革秀寺に、三成が秀吉から拝領した ( 保存状態の良い ) 秀吉の木座像が保存されており、関ケ原での敗戦から逃げ延びた三成が、はるばる津軽にまで持ち来たした物とされる。
なお、秋田県秋田市の帰命寺には、石田三成の墓所がある。
( 2009.4.16. 追記 ) 決着!日本ミステリーから
● 静岡県焼津市の良知家31代当主 良知淳行氏宅には、同家に伝わる家康縁りの品が幾つもあり、家康は春日局とここで密会し、( 竹千代の腹掛まで残っていることから ) 幼い家光とも共に暮らしていた時期があったと考えられる。
( かくして家光が春日局と家康の間の子である可能性は益々高くなった。)
● 春日局は伊勢参りに行くと偽って駿府の家康を訪ね、家康と自分の子である竹千代 ( 家光 ) を世継ぎとするよう直訴した。
現在の文京区は、そのまま全体が春日局の領地跡に当たり 「 春日 」 の地名はその名残である。
● 前田利家はオーギュスタンという洗礼名まで持っており、妻まつの記した文書の文言からも、間違いなく隠れキリシタン大名であった。
前田利家の最初の城があった石川県能登の七尾市に在る本門法華宗 本行寺には、キリシタン小紋の織り込まれた着物や額部分に十字を刻んだ狛犬像、キリシタン石地蔵、デウスの塔 ( デウス = ゼウスは当時のキリシタンには唯一神ヤーウェの意味であった ) 、そして前田利家の納めたという ( 体内に十字架を刻んだ ) 秘仏までが残っている。
本行寺住職 小崎學圓 氏によれば、前田利家はこの寺で隠れキリシタン達を庇護していた。
イエズス会の宣教師が故国に送った報告書を集めた 「 十六・七世紀イエズス会日本報告集 」 には、イエズス会が前田利家と 「 筑前 ( 利家 ) 殿は茶の湯の席で息子と共に太閤 ( 秀吉 ) に食事を饗応し、太閤を殺すことに確かに決めた 」 とある。
秀吉に最も気に入られていた前田利家こそは、隠れキリシタン擁護の為に、秀吉の暗殺 ( 微量の砒素による緩慢な暗殺 ) を企てていた。
盛大な花見会の後。たった4ヶ月で見る間に衰弱して死んだ秀吉の死に方は砒素中毒と符合。
● 明智光秀にも似たような話があり、公家の日記 「 晴豊記 」 に 「 斉藤蔵助と申す者は明智の者なり 信長征伐を話し合う 」 とあって、朝廷に従う気の無い信長の抹殺を望む朝廷の意向が明智側に伝わっていたことが判る。
( 信長は朝廷の差し出した太政大臣・関白・征夷大将軍の地位の総てを蹴り、朝廷の特権であった年号の変更まで勝手に行い 「 天正 」 と改めてしまった。これは朝廷の地位を揺るがす脅威のみならず朝廷消滅の危機であった。)
● 鎌倉幕府の実態は、桓武平氏本家北条氏が実権を簒奪した、見せ掛けの源氏天下だった。
源頼朝は北条政子と結婚し、鎌倉幕府を開いて僅かに7年で暗殺された。
恐らくその事を隠す為に 「 吾妻鏡 」 にその前後3年間の記録が欠落してるものと思われる。
因みに頼朝の墓は元々は存在せず、江戸時代に薩摩が建てた極く粗末な墓しか残っていない。
頼朝に続く後代も、悉く、桓武平氏である北条氏一族の画策で謀殺されていたものらしい。
かくして鎌倉幕府の実態とは、平氏の正統本流だった鎌倉北条氏が、頼朝に与して源氏の名義で京の平氏 ( 当時隆盛を極めていた分家傍流一族の嫡男やそれに与した源氏の次男等の連合軍 ) を壇ノ浦で追い落として後、頼朝の一族を名目で据えつつ執権としてその権力を簒奪…という事でしかなかった。
つまり清和源氏の支配とは名目で、日本はほぼずっと平家の支配下に在り続けた。
● 因みに頼朝は政子と結婚する以前に1度、伊東祐親の三女八重姫と掛け落ちし、千鶴丸をもうけているが、千鶴丸は平家を怖れる伊東祐親に轟ヶ淵 ( 伊豆 ) に投げ込まれて殺されたとある。
結城朝光 = 千鶴丸…なのか?
ロックミュージシャンのダイヤモンドユカイは、頼朝の乳母;寒河尼の子;結城朝光の末裔であるとか。( CX 「 ごきげんよう 」 09年4月30日放送での、本人による家系図調査に基づく談話。一見すると本人が結城朝光を曽我物語の千鶴丸と混同してる様に見えるのだが、上述のような状況で殺されるべき子を生き延びさせる場合、乳母の子として縁のある豪族に預けるというのは十分に考えられる事である。だからこそ頼朝は朝光の元服に際して烏帽子親となり、その後も何かと目をかけて可愛がっていた…のだとも言える。但し朝光の頼朝落胤説は通常、乳母;寒河尼の娘との庶子である…というもので、千鶴丸 = 結城朝光ではない。尚、結城朝光は壇ノ浦まで義経と共に戦い、鎌倉に戻った後、義経に 「 鎌倉入り不可 」 と告げて頼朝の意向を伝えた使者でもある。)
● 京都での平氏台頭の祖 平清盛は、或る娘 ( 今でも名前の不明な女性 ) に生ませた当時の天皇の隠し子がただ平氏に預けられていた…というだけのことであった。
従って平清盛は平氏として育ちはしたものの、本来的には全く平氏の血筋に非ず。
( 尤も 「 平氏 」 というのは、元々、平安京を作った桓武天皇の子作り行為が余りに過ぎて人数が増え過ぎ、朝廷内にとても全員を入れておく訳にも行かなくなった為に、武士として外に出し 「 桓武平氏 」 となっただけ…なのだ。そして 「 源氏 」 の一族も、全く同じような事情で子作りをし過ぎた清和天皇の云わば落胤集合体である。だから京都の平氏の台頭が平清盛に依るなら、平清盛からの一族は平氏の分家どころか、最新の天皇に直系の最新型平氏…ということに、あゝそうか、それだと桓武平氏としては全く偽物ということか… )
追記;これを書いた後に初めて知ったのだが、 「 平家 」 とは平清盛からの一族のみを指す言葉であって、それ以外の平氏のことを全く指していない…のだという。
( しかし日本の学校での歴史教育は、熱意の有る教師など殆ど居ないまま…という実に惨憺たるものだから、この事に全く気付いてない日本人はきっと多分物凄く多いだろう。)
● 聖徳太子とは、日本書紀を編纂した藤原不比等が、大宝律令を権威付ける為に、実在し ( 当時既に子孫の絶えてた ) 厩戸皇子の名を用い、架空のエピソードを括り付けてデッチ上げた架空の存在でしかなかった。( 以前、紙幣に多用されてた聖徳太子像は、古い絵の中の人物像 ( 中国人像 ) を 「 聖徳太子 」 として勝手にお札などに転用しただけのもので、厩戸皇子の肖像ですらない。
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以上、TXTV 「 新説日本ミステリー歴史を変えた陰謀SP 」 より
( 情報 ) ( 2008.12.16. 記 )
月照の死について言及した西郷隆盛直筆の手紙が 「 何でも鑑定団 」 で発見されていた
( これまで、この事件についての史料は存在しないと思われていたが、覆った。)
● 西郷隆盛が抱えて入水自殺を図り、ひとり死なせてしまった僧の月照とは、恐らく友情
この事件の実際は、 「 安政の大獄 」 によって月照が追い詰められ、薩摩藩に厄介者扱いされ、日向送りの決定 ( 国境で斬り捨てよの意 ) を付された直後の出来事であること。
西郷と月照は共に尊皇攘夷派の同志であり、彼らを弾圧しようとする 「 安政の大獄 」 下に、同じ塹壕で戦っていた云わば戦友なのであった。
つまり、その状況での入水自殺は安易に男色を云々されるべきものでは決してなく、戦友を見捨てて自分だけ生き残る訳に行かない、西郷の殉死に近い行為であった。
西郷はその少し前に島津斉彬の死に際しても殉死しようとしており、それを説得して止めたのが月照だから、月照の逃れようのない死に際して西郷が ( 主君では無いものの ) 殉死と同種の感情で行動した…としても全くおかしくない。
月照がたまたま美形の僧であった為に、心無い人々によって現在でも、状況に思いを巡らせもせずに面白半分の男色説などが流布されているものと思われる。
この事件の暫く後*で西郷自身の親しい友人宛に書いた手紙が、 「 何でも鑑定団 」 ( 再放送分 ) の鑑定品として出品されていた。
鑑定の結果、正真正銘、西郷本人によるこの事件についての第一級史料と鑑定された。
差し当たり500万円の値段がつき、なかなかに興味深かった。 ( 注*;西郷は奇跡的に生命を取り留めたものの後遺症が残り、元の状態にまで回復するには暫く掛かったという。)
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TXTV 「 何でも鑑定団 」 ( 再放送分 ) より。
テレビ東京の歴史発掘の業績は素晴らしい。
但し上の文中の“殉死という解釈”は筆者のオリジナルである。
( 情報 ) ( 2009.1.20. 記 )
新日本ミステリーより追記分
● 土方歳三の遺体はその墓に葬られておらず、行方不明である。
新政府軍がその2日前に蝦夷共和国の要人を殺さないと決定していた。
新政府軍の使っていたスナイドル銃の射程距離 (1.2km ) では土方の撃たれた場所までは届かない。( 新政府軍がその時点でひとりも射程距離内にまで近付いていなければ…の話だが )
土方に住居を提供していた豪商はロシアと貿易しており、当時はロシアの領事館も有った。
従って土方にもし逃げてでも生き延びるつもりがあれば、ロシアへ渡ることは可能だった。
( 但し、土方は武士としての死に場所を求めていた節があり、その最後のチャンスにおめおめ生き延びようとしたとは考えにくい。
が、古くは義経も ( 天草四郎も ) 、同時代の西郷隆盛も大陸へ逃げてること、そして何より、土方の死体が見付からなかった…という事実から、その可能性は有る…と考えざるを得ない。)
● 相撲は古代イスラエルの神事であった。
相撲宗家 吉田司家の第25代 吉田追風氏の話に依れば
野見宿禰が日本の相撲の始祖 崇神天皇の前でとった。
シュモーとは元々ヤコブのことだった。( ヤコブは天使と相撲をとっている。)
ハッケヨイはヘブライ語で 「 投げよ、やっつけよ! 」 の意味。
ノコッタノコッタは同じく 「 投げたぞやったぞ 」 の意味。
( ヘブライ語でのノコッタの綴りは、前と後で異なる )
ロープで丸く区切った場所で行うこと、塩での清めの儀式を行うこと、
そして愛媛県大山祀神社に 「 独り相撲 」 の儀式があること。( 相手は稲の精霊 )
柱を相手にするテッポウ稽古…というものが相撲には有るが、ハシラとはアシラで神の意味。
相撲文化はシルクロードに沿った地域に点々と今も残っていること。
● 伊達正宗はスペイン人との混血だった?
昭和49年の遺骨分析で伊達正宗は片目ではなく、鼻筋の通った美男子だったと判明してる。
白人との混血で起き易いオッドアイ ( 左右の目の色が異なる形質 ) であった可能性がある。
銀髪の僧に 「 胎内を借りたい 」 と言われて正宗を身ごもった…という、何とも不気味な伝承が残る伊達正宗の母は、その故に正宗を殺そうとしたことがある。
後年、伊達正宗の側室中には白人の女が居て、大変な寵愛を受けていた。
● 節分の豆撒きは古代ローマのレムリア祭で背中側に向けて黒豆を撒く儀式と酷似している。
投げ付ける相手はレムールという魔に対してであり、豆とは元々 「 魔を滅する 」 一種の薬と考えられていたようで、どうやらそれが起源であるらしいこと。
( 情報 ) ( 2009.2.3. 記 )
新日本ミステリーより追記分
● 5回も有った謙信と信玄の川中島での戦いの本質は、両軍の家臣を引き締めておく為の行事の如き云わばヤラセであって、二人とも本当に戦うつもりなど毛頭無かった。
謙信と信玄は表面的には敵対してるかのように見せていたものの、実際には親友であった。
( 長野市の善光寺には、謙信と信玄の位牌が昔から二人並んで納められている。信玄は死の直前、勝頼に対して 「 謙信を頼りにするがよい 」 と言い、信玄の死を知った謙信は 「 自分に親友はいなくなった 」 と語っている。双方に人間としての強い信頼感が有ったのは確かである。)
その証拠に4回目を除いて両軍共戦死者を殆ど出しておらず、またこの時代の戦いで同じ武将同士が同じ場所で5回も引き分けるなどという結果は、本気の合戦であれば考えられない。
それにも拘わらず4回目の戦いで実際に合戦が起こり、両軍に27000人もの戦死者を出してしまったのは、ちょうど美濃攻めを行うのに甲斐の武田信玄を牽制しておきたかった信長の画策で、両軍の中に居た信長と懇意の武将 柿崎景家 ( 上杉軍 ) と穴山梅雪 ( 武田軍 ) に、起きない筈の 「 本当の戦い 」 をワザと起こすように…という要求があったからだと考えられる。
この二人の裏切り者たちによって意図的に引き起こされたアクシデントにより、単なる形だけのものであった筈の4回目の対峙は、ふいに本物の戦いに変わり、その混乱の中で両軍は多数の死傷者を出し、大きなダメージを被ってしまう。
その証拠に信長の命に従った二人の武将は、突然始まった本物の戦いの中で最も危険な位置 ( 先鋒隊で通常は生き残れない ) に居た筈なのにも拘わらず、二人共にまんまと生き延びている。
また彼らが夫々の主君よりも信長の命令に従っていただろう 「 証拠 」 も存在する。
( その後、穴山梅雪は忠節により信長から甲斐西部を与えられ、1582年には信長と一緒に京や大阪に遊覧に出掛けている。また柿崎景家の方も、その後、信長と通じての謀反を企てた事が謙信に露見し、切腹させられている。)
こうしてこの画策により、謙信と信玄が共に大きく力を削がれて動けなくなっている間に、信長は美濃を攻略し、その平定に成功したのである。
● 他にも、 「 謙信は信長によって暗殺された 」 という説が、この以前に紹介されてたらしい。
その謙信暗殺の実行犯は直江兼続だった…という説もある。
● 来日して最も長く山口の大内義隆に取り入っていたフランシスコ・ザビエルの真の狙いは、石見銀山の支配であった。( イエズス会はインカでも同じように銀鉱山目当てに布教名目で入り込み、地理情報を収集した上で艦隊による攻撃を仕掛けさせる…というスパイ工作を行ってきた。確かメキシコに於ける世界最大の銀鉱山ザガテカスもそうではなかったか? )
石見銀山周辺には隠れキリシタンの多かったことが判っており、隠れキリシタンの十字を刻んだ墓やバテレン地蔵、聖母子像を模した地蔵までが残っており、イエズス会が精力的にこの地域を勢力圏内に納めようと動いていたことが判る。
● 信長の死がイエズス会の画策だという説も、以前に紹介されているものらしい。
● 日本仏教での葬式は、イエズス会の葬式に感化されて仏寺が行うようになったものらしい。
( 情報 ) ( 2009.2.17. 記 ) ( 歴史異聞色々 )
「 新説?! 日本ミステリー 」 からの追補分
● 645年、乙巳の変以来衰退した曽我氏は、新羅経由で日本に入植したローマ人だった?
曽我氏の出自は元々明らかでなく、一体何処からやって来て、当時の朝廷や聖徳太子に、蘇我一族の娘を嫁がせられる程の地位を得たのかが、全く不明の 「 謎の豪族 」 である。
奈良県橿原市に在る、新沢千塚古墳群にある墓の殆ど全てが、新羅特有の木棺直葬墳である。
奈良県明日香村甘樫丘東麓遺跡の曽我入鹿邸跡には、当時の日本の技術水準では考えられない石垣の内側に沿った排水設備や噴水施設の存在していたことが判明している。
新羅の遺構として天文台と思われる石組みの建造物が現存し、古代ローマの天文台に繋がる。
曽我氏最古の古墳;曽我満智の墓126号墳と大仙古墳からは、奇妙にも当時の日本では作れた筈のない、ローマングラスや、首飾りに使われたトンボ玉が出土する。
興味深いことに、唯一、5 〜 6世紀の新羅の古墳からもこの同じローマングラスやトンボ玉は出土している。( が、高句麗や百済の古墳からは出土していない。)
更に新羅では、馬頭飾りを握り手に持つ、古代ローマのリュトン ( 酒杯 ) まで出土している。
つまり韓国では唯一新羅にのみローマ文明が伝わっている。
( それらの出土物がもし交易品であれば、他の場所でも出土しておかしくないが、中国を含めて他の地域では一切出土していない…という事実に注意。)
傍証として、629年に成立した中国の正史である粱書 ( りょうじょ ) 中に 「 百済や高句麗と言葉は通じるが、新羅とは言葉が通じない 」 …という意味のことが書かれている。
但しこのローマ人、その実体がシルクロード経由で中国や朝鮮半島新羅にまで達してたユダヤ人を中核とする混血種族であった…という可能性は大いにあるだろう。
何しろあのテイワだって漢民族で無かった事が確実なのだ。
● 新幹線の広軌レール巾1435ミリは古代ローマのポンペイに残る馬車の轍の巾と等しい?
● 富士山の8合目から上は、徳川家康によって浅間神社に贈られており、17年間の国との裁判の結果、最高裁判所は 「 浅間神社の所有地である 」 と決定し、国が敗訴している。
● 川島芳子は1978年まで長春で生きていた
清朝の王女であり、その美貌と服装から男装の麗人と謳われた川島芳子 ( 愛新覚羅顕子 ) は、運命の悪戯で日本軍の謀略に加わり、日本の敗戦後、裏切者として処刑されたことになっていた。
しかし実際には、身代わりとして別人 ( 母親に金の延べ棒と引換に売られた非運の劉鳳玲 ) が処刑されただけで、川島芳子本人は1978年まで縁の地 「 長春 」 で生き永らえていた。
( 被害者;劉鳳玲については、その妹による悲惨な証言がGHQの資料記録として残ってる。)
川島芳子の晩年を知る長春周囲の証言と、確かに本人の物と信じられる数々の遺品が存在。
川島芳子の処刑があった…とされる日、新聞記者達は処刑現場から完全に締め出されてた。
また奇妙にもその遺体はワザワザ残酷に顔面を撃ち抜かれ、容貌の確認が不可能だったとも…
但し実際に残る当の遺体写真を詳しく見ると、顔全体が血で染まってはいるものの、その全体が大きく破壊されてる…というワケでは全然なく、容貌の確認が全く不可能だとは到底思えない。
恐らく別人だろうということ位は今でも分かり、替え玉は特に川島芳子と間違えるほど容姿が似てた為に選ばれたワケでなく、同じ年頃であれば少々体形が違っていても良かったと思われる。
処刑の少し前に川島芳子と面会した新聞記者 ( 恐らく外国人 ) の証言では、その時点での頭髪は丸刈り状態に近い短髪だった…ということで、遺体写真の長髪とは全く符合しない。
これは、辻褄合わせに 「 髪を刈る 」 という程度の事すらしなかったことを意味する。
つまり、単に誰か身代わりの女を一人射殺すれば済む…という程度の、極めて原始的で強引な隠蔽しかしてなかったと思われる。
かくして、処刑翌日の中国国内の新聞でさえ、既に 「 すり替えによる川島芳子生存説 」 が、もう唱えられていたのである。
加えてその7年後の1955年末か1956年初頭、川島芳子の親族 ( 当時11歳 ) が、自宅に金壁輝の名 ( 川島芳子が中国で以前から使っていた偽名の一つ ) で訪ねて来た川島芳子本人と直に会った時の経験を証言してる。
また川島芳子の全盛時にその秘書官を務めていた人物にも、川島芳子の遺品が届けられており、この人物も処刑が報じられた当時からずっと、川島芳子の生存を確信していたという。
晩年の写真が残っていて、良く知られてる川島芳子の面影をそのまま残している。
( 以下、2009.5.10.放送テレビ朝日の特番よりの追記 )
川島芳子を“方お婆ちゃん”と呼んで育った画家の女性が本人の遺志を担って来日し、当時親密な交流のあった山口淑子 ( 李香蘭 ) 氏を訪ねて縁の品を渡し、山口氏も本人と断言した。
中国国内もこのニュースには大きく反応し、詳しく検証した結果、この老婦人が川島芳子本人であったことを認めている。
● 家康は東南アジアに傭兵として送り込んだ浪人による 「 徳川植民地王国 」 を目論んでいた?
江戸時代の歴史を綴った 「 当代記 」 には、徳川家康がその晩年に、隠居していた駿府城の南、水郷の地区に 「 軍港と完全に合体した形の新しい城 」 の築城を計画してた…ことが記されている。
徳川家康は没前の12年間に195隻の朱印船 ( 山田長政のシャム = タイには37隻 ) を東南アジアへと派遣していた。
山田長政は元々は沼津の駕篭かきであったが、シャムに渡った後、シャムに自分の王国まで作っており、最後はその侵略的な意図に気づかれて暗殺されたものらしい。
山田長政とその家来がそこまで強大になれたのは、その行動の背後に家康の存在が有り、資金や物資面でのサポートがあったものと思われる。
山田長政は縁の神社に絵馬を奉納しており、その意図は家康への報告であったと考えられる。
家康が浪人たちを集め、傭兵としてオランダなどにも輸出していた事の証拠は、オランダのハーグの記録に残っている。
古い時代の航海術や海外渡航については、戦後の日本教育では意図的に日本人の能力を矮小化して伝える…という悪意によって捻じ曲げられてきた…と考えた方が良い。
古い時代の日本やアジア圏は、現在以上に緊密な行き来や関係を築いていたものと思われる。
● 直江兼続は上杉家を事実上乗っ取っていた。
直江兼続30万石は、上杉120万石を事実上乗っ取っていた。
直江兼続は事実上の領主として行動しており、景勝の家臣であるにも拘わらず、景勝の3倍ものお伴を連れて移動していた。
直江兼続の異常に早い出世は謙信急死の直後からであり、それ以前には直江兼続の名を記した確かな記録は何も残っていない。
信長と図って上杉謙信暗殺を実行したのは直江兼続である?
謙信が脳卒中?で倒れてまもなく、直江家の側室が密室状態で 「 後継者は景勝様で宜しいのですね? 」 と誘導的に尋ね、危篤状態の謙信がそれに頷いたことで後継者は景勝に決まった…と伝えられる。
が、もし本当に脳卒中で倒れ、4日で死んだのなら、その状態での意志の表明などは全く不可能という。
当時 「 愛 」 の文字は 「 愛欲 」 の意味であり、相当に異常かつ破廉恥な兜飾りでしかなかった。
直江兼続は、自らの家臣が斬り殺した使用人の遺族3人に 「 本人を返せ 」 と迫られると、構わずその3人の首を刎ね 「 この者たちを使いに送るから、先の者を返せ 」 と閻魔大王に手紙を書いて済ませてしまった…という空恐ろしい逸話が残る。( 紛れもなく相当の悪人である。)
● 大活躍したと伝えられてる義経は ( 夏の陣までの家康と同じく ) 奥州平泉の地に生まれた百姓の杉目次郎であり、本物の義経ではなかった。
( 本物はこれも本物の元康と同じく、若くして死んでいたのかも知れない。)
義経の身代わりとなって首を取られた杉目太郎は、杉目次郎、杉目三郎との3人兄弟だった。
杉目三郎は奥州藤原氏の家臣として戦って戦死したと記されている。
が、杉目次郎についての死亡記録は全くなく、何故か消息不明である。
義経と同い年で、ソックリだったが故に杉目太郎が身代わりになった…のだとすると、杉目太郎は杉目次郎と双子であった可能性さえあるのかも知れない。( 同い年がウソなら単に兄弟か? )
吾妻鏡には、義経が22歳で頼朝の陣に突然現われ 「 長い間、奥州で暮らしていた 」 と話したと記される。( 何れにしても、こうして突然現われた者が本物か否かは判らなかったろう。)
鎌倉の満福寺に残されていた義経自筆の腰越状にも 「 私は遠い国に住み、農民として使われていた 」 という記述があるから事実だろうが、 「 京で育った筈 」 の義経の経歴とは全く一致しない。
当時の奥州藤原氏は朝廷に金などを贈り、後白河法皇と手を組んで頼朝を討とうとしていた。
つまり、奥州藤原氏は杉目次郎を義経に仕立てて頼朝の元に密偵として送り込もうとし、それに勘付いた頼朝はこの義経を信用せず、酷い扱いをして殊勲を立ててもそれを評価することなく、やがて全軍に義経討伐を命じた…というワケである。
だからこそ義経は故郷の奥州平泉へと逃げ帰り、そこで兄の杉目太郎を替え玉に立て、蝦夷から大陸へと渡った…とも考えられる。
が、ロシアや中国に源氏の家紋や義経の墓までが残っているのだとすると、案外この義経はやはり本物かも知れず、頼朝が関東で育ってるちょうどその頃、平清盛によって義経は ( 京の鞍馬山ではなく ) 奥州平泉に放り込まれ、百姓として苦労していたのかも知れない。
● 中国 「 公主嶺 」 の付近に義経の墓がある。
ロシアでは、源氏の家紋 「 笹竜胆 」 がレリーフに刻まれた建物も発見されている。
( 情報 ) ( 2009.3.3. 記 )
新説 日本ミステリーより追記分
● 「 ひな祭り 」 の起源は 「 流し雛 」
そのまた起源の恐ろしい真相。
国立国会図書館所蔵の 「 続飛鳥川 」 に、 「 婦人病に患った女が浜から流され、3月3日に神島に着いた。女は紙を裂いて人の形に切り抜いた。これが雛遊びの始まりである。 」 とある。
つまり当時は 「 婦人病 ( 不妊症を含 ) を患った女を厄介者、婦人病の感染源…として、和歌山の淡島神社総本社の向かい5kmの海上に浮かぶ島の裏側にある、たった150m四方の全く何も無い神島 ( かみじま ) に、生きたまま島流しにして餓死・野垂れ死にさせていたのである。
流されて島に置き去りにされ、死ぬしかなくなった哀れな女たちが、悲哀と怨みの中で、紙を引きちぎり、人の形を作って、雛遊びをしながら果てていった 」
…というゾッとする故事に由来するものであるらしいのだ。
故に 「 ひな人形に災いや厄を移し、子供の身代わりに海へと流して我が子のの健康を護る 」 という、淡島神社の 「 流しびな 」 に見られるおどろおどろしい不気味な風習となったワケである。
( おお怖い!…。
だがこの神島、島の東側、直ぐ目の前に結構大きな島がある。
女たちはそこまで泳いで渡って生き延びることは出来なかったのだろうか?
否、多分それも許されない死の島流しであったのだろう。本当に酷い話だ。)
● 平賀源内は獄死せずに田沼意次に匿われて相良で生きていた
橋本町の屋敷内で知人を斬殺して捕えられ、僅か1ヶ月後に獄中にて死んだ筈の平賀源内。
しかし源内には、台東区橋場2丁目 ( 浅草 ) 元総泉寺跡の墓と、生誕地の香川県さぬき市志度 微雲窟 自性院の墓、そして静岡県牧之原市相良の寺に有る墓…と、実に3カ所も墓が有る。
実は先の2つはどちらも空で、名目的なものに過ぎず、最後の相良が本当の墓と思われる。
何故なら、この相良の藩主は幕府老中 「 田沼意次 」 であり、地元では田沼の殿が平賀源内を獄中から救い出し匿った…と伝えられているからである。
源内がこの地で田沼の為に発明した 「 香時計 ( お香の燃える様子で時間を計れる時計 ) 」 等も田沼家縁の品としてちゃんと残っており、源内本人が生き延びていたことは恐らく間違いない。
当時はまだ田沼時代のさなかであり、江戸での源内の遺体引き取りはお上が許さず、空の墓への名の刻印も許されなかった…というから、源内獄死が見せ掛けであった事は間違いない。
源内先生遺品館に残る口伝の書き写し 「 織出蝦夷錦 」 には、源内が蝦夷に渡海したとある。
また源内は鉱山開発の為に温度計や歩数計なども作っていた。
即ち、源内は北海道に渡って鉱山開発に関わっていた…ということであるが、
田沼の蝦夷鉱山開発やロシアとの貿易の件は既に良く知られており、田沼がロシアと通じて幕府の転覆を図ったというのは全く信憑性に欠ける。
田沼の失脚は、その重商主義による金銭至上主義や賄賂政治に対する、朱子派の徹底的な巻き返し・報復によるものである。
もし幕府転覆計画の露見であったなら、切腹・お家断絶ものであり、相良城打ち壊し・蟄居では済まないだろう。
意次の孫による1万石への減転封後 「 家督相続 」 も有り得ない。
この件についてはこの番組のウソ八百である。
● 信長に攻められて落ちた武田勝頼は、山梨の天目山で自害などしておらず、土佐に逃げ延びて1610年に64歳で天寿を全うするまで生き永らえた。
…という伝承が高知県仁淀川町に残っており、その後の家系図も残っている。
勝頼は土佐に落ち延び、名を大崎玄番 ( げんば ) と変えたとある。
武田勝頼の墓も残っており、勝頼の建立したとされる神社の鏡には武田家の家紋である花菱。
そして近くの民家の瓦にも武田菱が刻まれているなど、武田の痕跡が色濃い。
恐らくは史実であり、平家谷と同じく武田勝頼ら残党は土佐の山奥に潜んで生き延びたのだ。
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● 何と学校の歴史教科書が、この番組のせいで少し変わるかも知れない…という。( 面白い! )
( 情報 ) ( 2009.3.3. 記 )
中国テイワの巨大船団の海外遠征は常に朝貢貿易を薦めるだけの友好的なものであった
これは欧米列強や日本 ( 倭寇を含む ) の海外遠征の本質が、常に侵略強盗行為や強引な植民地造り ( 山田長政を含む ) であった事と較べると極めて紳士的であり、尊敬に値する。
但し中国の宦官であったテイワは五色人であって人種的には中国人ではなく…と説明されているが、この五色人とは通常、色々な人種の総称であるから意味が不明であることに注意。
( 情報 ) ( 2009.3.11. 記 )
会津戦争の女傑たち
山本八重 ( 後の同志社英学校創立者新島襄夫人 ) ( 2017.11.12. 追記 ) その後、2013 年に 「 八重の桜 」 で 綾瀬はるか の演じた人物。
照姫
中野竹子・優子姉妹ら会津娘子隊 ( じょうしたい )
白虎隊も実は全滅ではなく 8 割方は生き残ったのだが、飯盛山で煙を見、落城と勘違いして自決した一分隊の事のみが事更に取り上げられ、語り継がれてるものらしい。( NTV 「 歴史ミステリー 」 他より )
早合 ( はやごう;一発分の火薬と玉を紙で包み先込め式の銃に一度で装填出来るようにしたもの ) が既に考えられ、使われていた。
( 情報 ) ( 2004.3.26. 記 )
スネフェルの孫ヘムオンが星派の信仰を入れた3大ピラミッド
本来の王位継承権者だった筈の外来“星派”信仰の父 ( スネフェルの子 ) と、同じく“星派”信仰の祖母を共に暗殺した、土着民族系太陽派信仰のヘテプヘレス ( 女性 ) 。
その彼女への復讐として星派のヘムオンは、依頼されたピラミッド3つを秘かに“星派信仰のピラミッドとして”造ってしまった。
即ち星派の信仰対象であったオリオンとシリウスに向けて、ファラオと王妃の“魂の通路”を通したピラミッド;クフ、カフラー、メンカウラーの3つのピラミッドを造ってしまったのである。
ピラミッドの建設技術の全ては星派が握っていた為に、王室内の星派ヘムオンは20年 〜 25年の建設中は生き残っていたものの、ピラミッドが全て完成して間もなく、太陽派によって言い掛かりをつけられ、殺されてしまった。
上に述べた“復讐”の内容は、何処にも書き記されてはいなかったが、ボーバルらによる「オリオン・ミステリー」がそれを解き明かして見せた。
( 以上、TXTV 2004.3.26. 放送の「ビートたけしのエジプトミステリー」より )
( 情報 ) ( 2004.2.27. 記 )
実はユダヤ人と思われる民族の色々
景教徒
ユスフザイ人
パタン人 ( = パシュトゥン人 ) = タリバン
アフガニスタン旧王室
カシミール人
カナーン人
インドのコチン・ユダヤ人
アフリカのレンバ族 ( 黒人種族 )
平安京の秦氏一族 ( 広隆寺などは日本の寺ではなく異国のヤハダの神を祭ったものという )
日本の神社を司る神主の一族? [ 八幡 ( 元はハチマンでなくヤハタ = ヤハダ ) 神社と… ]
[ 稲荷神社の稲荷(イナリ)の語源は、キリスト像の背後に記されている“INRI”の訛り…というなかなか興味深い仮説もある。]
( 疑問符 ) ( 2004.2.27. 記 )
ラビ・トケイヤーのあの思わせぶりな「日本=ユダヤ同祖論」への決定的な反論
By うつぎれい
ラビ・トケイヤーは日本の古い風習や儀式の中に、数々の古代ユダヤ人のそれを発掘して見せ、日本とユダヤの間には単に古い時代からの繋がりがあるだけではなく、日本 ( 大和 ) 民族までが遠い時代にユダヤから移住してきたゼブルン一族の末裔ではないかと示唆する。
つまり神武天皇とはユダヤの失われた十部族の首長であったと言わんばかりである。
だが、如何に日本と古代ユダヤの、仕来りや、儀式や、風習などが符合するとしても、それはただ日本人の異文化吸収・固定能力の高さに由来するだけだと見做す方が遥かに合理的である。
何よりも、日本人はずっと以前 ( 恐らくは何万年も前 ) から、アラム語でもヘブライ語でもなく、大和言葉 ( 日本語 ) を使い続けているのだし、また、日本全国の貝塚遺跡が証明しているように、日本人は何万年も前からずっと、ユダヤ教での食物制限 ( コシェル ) に反する“貝類を食べ続けて”今日まで生きてきたのである。
更に、魚介類以外の生きた動物を生け贄にして、その血を家の四隅に塗りたくるなどという、およそエゲツない宗教上の風習もまた、日本には基本的に無い…のだ。
沖縄にそれがあるのは多分、後に入ってきた外来ユダヤ教徒の感化によるのだろう…。
例え“囃し言葉”や“数え方”、“一部の単語”などにアラム語で上手く意味の通るものがあるとしても、それは現代の日本語の中にも多数の外来語 ( 取り分け大量の米語 ) が混じり、時には英語のイディオムまでが、日常語にそのまま入り込んだりしているのと、たぶん同じ事である。
何より決定的なのは、そうした極端な類似が特殊な場面での“掛け声”の部分でだけ認められるという点である。
つまりお経の、例えば般若心経の最後の「ギャーテー、ギャーテー、ハラソーギャーテー、ボーダイソワカー」と同じようなものなのだ。
しかし、このような部分が元々のパーリ語のまま般若心経で唱えられているからといって、中国人や日本人が古代スリランカ人の末裔かも知れない…とは誰も思わないだろう。
それはこの部分だけが、ワザと元々の原典通りに唱えられていることを誰でも知っているからではあるが、同じ事が祇園祭の始まりの「エンヤラヤー」や、数を数える時の「ひぃーふぅーみぃー」についてもあったとして、それがお経の場合と違っているのは、お経のようにそれを解説する人がいなかった為に、その理由をもはや誰も気にしたりはせず、唯の囃し言葉と思って、元々の意味や経緯を全部忘れてしまったからなのだろう。
それはちょうど長崎の「ばってん」が、元々は英語の「But and」から来ていると、殆どの人が気づいていないのと同じことである。
確かに、実際に日本に帰化したユダヤ人であったらしい、平安京の都市計画者;秦一族の太秦の件や、広隆寺のあの弥勒菩薩が実はユダヤ・キリスト教由来の救世主像 ( つまりはキリスト像 ) のメタモフォーゼであったということや、天狗の原型らしいやたら鼻の高いお面がほぼユダヤ顔である点、及び天狗や忍者の持ついわゆる「虎の巻」が「トーラーの巻物」の意味だった…等がトケイヤーの指摘通りであるという可能性は、十分に高いと思われる。
だが、そうしたものの類似を以て日本人が失われた十部族の末裔だなどとは笑止千万。
何故なら、日本人は別に、記紀の記述のある2600年前に漸く日本列島で生活を始めたという訳では、さらさらないからである。
少なくとも日本には。ヤハウェがアブラハムと契約を結ぶずっと以前から人が住んでいたのだ。
実際、青森県の三内丸山遺跡の発掘により、縄文人の生活や文化が東北のこの地を中心にした北海道から中部地方、樺太、中国北部、朝鮮半島に至る広大なものであったことが判明している。
その頃すでに三内丸山では、少なくとも800人規模以上の村が存在し、定住し、栗の栽培を行なっていたという事は確実である。
その後、紀元前 5000 年頃になって、九州南方の鬼界カルデラの噴火により気温が下がったものらしく、この地方での栗の収穫が不可能となると縄文人は村を放棄した。
そしてロシア方面やバヌアツ、エクアドルに移住したものらしい。
それらの地域からは縄文土器と全く同じものがが出土してるからだ。
日本人に特徴的なウィルスのDNAの分析から、南米アイマラ族インディオが当時日本から移住した縄文人の子孫であることが、既にほぼ判明している。
更に言うなら琉球列島の与那国島沖の海底遺跡は、その階段状の石組から巨石を切り出す時に穿つ“矢穴”が発見されたことにより、完全に人工的な加工物であることが判明しており、少なくともこの巨石遺構が地上に在った筈の紀元前1万2千年以前には、この場所に何らかの文明があったということを示している。
この、日本人なら殆ど誰もが決して無視できない事を、ユダヤ教のラビであるマービン・トケイヤー氏は、ユダヤ教の教えを絶対視する余り、平気で無視してしまっている。
何しろ彼は、あのロクでもない神ヤハウェが、粘土からアダムを造り出すより前、それも何万年も前に、既にこの地上に人間が居たなどとは、多分いまだに信じないのだろう。
もう一度言っておこう。縄文時代の日本にも三内丸山遺跡に代表される文化がちゃんとあり、蝦夷をも含めた日本の歴史は、当然何万年以上前からこの日本列島にあるのである。
日本民族は、以前考えられていたように弥生人が縄文人を駆逐して、入れ代わって成立したのではなく、縄文から弥生へと徐々に生活様式が転換していっただけらしい事が、既に判明している。
縄文時代に対する、従来の考古学研究の底の浅さによって、私たちは縄文について実はまだ殆ど何も知らなかったことを、最近知ったばかりであるが、それでも自分たちの祖先が、この島に数万年も前から住んでいたことくらいは、ちゃんと知っているのだ。
創世記のモーゼから数えても高々3000年程度の歴史しか持っていないユダヤ民族の、その失われた同胞のサマリア人の子孫が、神武天皇や日本民族であるなどと、日本人に対して好き勝手な事を言われてはたまったものではない。
地球上で恐らく最も押し付けがましい、3大一神教のお陰で人類世界全体がどれほど迷惑してるかを考えもせずに、他の民族の優秀性がユダヤの血筋にあるからだなどと図々しいことを仄めかすのを是非やめて欲しいものである。
あの聖書のロクでもない神ヤハウェが直接に、或いはナザレのイエスが、或いはムハンマドが間接的に、そのアブラハムやシモン・ペテロやパウロをそそのかして、人類全体にいったいどんな非道い事を、結果的にし続けてきたかをよおく考えて貰いたい。
( 疑問符 ) ( 2004.6.16. 記 )
キリスト教とは何と気味の悪い宗教だろう?
そしてこの世界は、何と気味の悪い“原罪”宗教の蔓延する世界なのだろう?
話題の映画「パッション」を観て、改めてそう思ってしまった。
“有って有るもの”が何らかの理由で固執してる“地域”での出来事ではあるにしても、中東の一地域での一人の超能力者の“想像を絶する苦痛の中での悲惨な死”が、いったい何で、彼の殺害を意図したユダヤ人たちの“罪”の…ではなく、そんな事を全くあずかり知らなかった“全人類の罪”の贖いになった…などという、馬鹿げた理屈 ( 信仰 ) になるのだろう?
ここにこそ「キリスト教の論理」の全世界化に於ける、根本的な無理があるように思われる。
こんな論理は、元々「生け贄の風習」がある所でなければ通用しないだろう!
だからこれは、元よりキリスト教が、犠牲の風習を持つ民族や宗教の思考法にだけ根差して構築された、云わば「挿し木型の新興宗教」だったということを意味している…に過ぎない。
だがその「生け贄世界観を持つ民族の宗教」が、いったい何だってこの地上全体に拡がらなければならないのだろう?
「生け贄世界観など全く持たない民族」にとってみれば、この常に生け贄を要求する、云わば「肉食の神」の、指示に従って生きなければならない…という如何なる理由とて無い。
キリスト教とは、「獰猛な肉食の神」が支配していた地域に生まれ育ったが故に、「生け贄世界観」を信じ込んで生き、そして死んだ、超能力を持った若いラビ;イエスについての「極めて印象的な記憶」に基づいた当時の新興宗教なのであり、そこに幾度か当の「獰猛な肉食の神」自身が関与したと思われる奇跡的な事象が起きて、当時の何も知らない人々を非常にビックリさせたのであると思われる。
だが、聖書の中で“有って有るもの”としか名乗らないこの何者かが、この地上の万人の観念するところの「神」だという証拠は、何処にも無い。
…というよりは、そうとしか名乗らなかった“有って有るもの”自身が、自ら「神」と名乗る事を慎重に避けていたのは間違いない。
従ってそれが「神」でなくそれ以外の「別物」だったという可能性は大いにある。
ユダヤ教徒が「ヤハウェ」と呼び、キリスト教徒が「主」と呼び、イスラム教徒が「アッラー」と呼ぶものが、そのどの信徒でもない人々が一般的に「神」と呼ぶものと同じレベルの存在だという保証は、実は何処にも無い。
それがそう言ったように“有って有るもの”でしかないとしたら、それが実は「神」や「大霊」などではなく、異星から来訪した他星への干渉者でしかなかった…という可能性の方がずっと大きいだろう。
聖書の中と、歴史の中で、ソレのやった事は、「神」の行動とはおよそ程遠い悪辣非道さだから、元よりそうでないと話の辻褄が全然合わない。
( 疑問符 ) ( 2004.6.16. 記 )
完全に唯の「アメリカ流の派手映画」…メル・ギブスンへの評価は大いに減
…じてしまった
メル・ギブスンには、実は「あずみ」の原作者小山ゆうと同様の「血みどろ大好き」…のサディスト、またはマゾヒストの気が、有るのではないか!? 考えてみるとそんなものばかりを作ってるという気がする。
ちょっと考えてみれば、あのような尖った金属片を沢山括り付けた九尾の縄鞭で、処刑係の屈強な男達が本当にあんな風に力任せに滅多打ちにしたのなら、その金属片の内のかなりの数がイエスの太い血管を破った筈である。
そうすると恐らくナザレのイエスは打たれてる途中で血が止まらなくなり、辺りはあんなものではとても済まない血の海となり、イエスは重なる深い傷のせいで肋骨や内臓までもが飛び出し、恐らく失血死しただろう。
そんな状態で、イエスがあのゴルゴタの丘を十字架 ( 実際には確かその横木だけだった筈 ) を担いで登れる筈はなかったと思われる。
十字架そのものも、かつて別の映画「ナザレのイエス」が史実に忠実に復元していたように、実際には格子状に組まれた縦横の木材の結節点の一つ ( 左右の被処刑者の分を入れれば三つ ) が利用されただけであって、独立した三つの十字架が立てられたワケでは無かった。
従って十字架を引っ繰り返したり、十字架を立てるプロセスでの残酷さは、全くの映画上の演出に過ぎず、史実を忠実に復元…という謳い文句は ( アラム語でのセリフというのはアメリカ映画としては確かに画期的であったにせよ ) 聞いて呆れる単なる映画の宣伝文句にしか過ぎなかった。
かくしてこの映画「パッション」の説得力は全く無かったと言ってよいだろう。
この映画よりは前述した以前の ( ビデオ化もDVD化もされていない ) 映画「ナザレのイエス」の方が、同じ題材を扱っていながら、ずっと格調が高かった。
メル・ギブソンも本当につまらぬ映画を作ってくれたものだ。
危惧するのは、この映画の「全くの演出による」残酷描写に感化されて、今後この表現を真似た残虐な猟奇犯罪が多発するようになるのではないかという事である。
この映画の表現とそっくりの目に合わされて殺された、被害者の遺体の側に「Passion ( 受難 ) 」と落書きされるような事件が、今後頻発するようにならないようにと、ただ祈るばかりである。
( 疑問符 ) ( 2004.6.12. 記 )
第三帝国が陰の帝国による実験なら、忽然と失踪した幹部達は崩壊直前に陰の世界に吸収された筈だ
いま突然、その可能性が非常に高いことに気付いた。
ハンス・カムラー、ジョセフ・メンゲレ、マルティン・ボルマン、そしてアドルフ・ヒトラー ( とエヴァ・ブラウン ) といった、第三帝国の真の中心に居て、その後行方が全く分からなくなったという人々は、大戦末期、実は皆揃って陰の世界帝国に ( その開発した技術の一切と大戦の“秘密の”真相の一切と共に ) 吸収されて隠蔽された…のだと考えれば、結局全ての辻褄が合うのではないか?
この真の責任者クラスの人物で捕まったのは、実際にはヒムラー唯一人で、それ以外は言うなれば単なる雑魚や替え玉だったのではないか?
だからこそヒムラーは逮捕されるなり、さっさと自殺してしまったのではないか?
実はその可能性は大いにあるのだ。
( 情報 ) ( 2004.1.7. 記 )
ダイアナ・スペンサー暗殺説の新たな証拠群
●ダイアナは実はドディ・アルファイドの子を身籠っていた。 ( ドディの父親ムハメド・アルファイド氏の証言。
氏は「二人を謀殺したのはイギリス王室と○○○だ!」とも発言していたが、後者は放送では伏せられた。恐らく“ユダヤ”或いは“モサド”と、発言したのだろう。 )
●防犯カメラに写っていた事故直前の“当の運転手”の様子からは、専門家が見ても酒に酔っている様子は全く無かった。
●しかし運転手は誰かに指示されて、ホテルからアパートへ向かう本来の最短コースではなく、事故の起きた迂回コースを選んだという可能性が高い。
●ある証言者に、当夜何かを撮ったあるパパラッチからメールで写真データが送られた。
だがそのデータを収めたハードディスクは、直後、パソコンと共に何者かに持ち去られた。
●イギリスのMI6とMI5という諜報組織は現実に存在していて、MI6は海外、MI5はイギリス国内での工作や諜報活動を行っており、この事件に関わっていた可能性が大いにある。
( 鳥越俊太郎氏のコメントによれば、元々はMI1 〜 MI20 まであって、MI19は王室担当だったのだが、その後、整理されて国内はMI5、海外担当はMI6に纏められたという。 )
●実際にMI6のメンバーだという人物の証言によれば、次後に述べる強烈な閃光を発する特緒な発光装置がこうした事故を引き起こすための仕掛けとして存在し、使われている。
●またオートマチック車の深部に仕掛けて車のコントロールを完全に外部から奪って、自由にハンドルやブレーキを利かなくするような装置も既に存在し、実際に破壊工作用に使われている。
●事故を起したダイアナたちの車は、事故直前に修理から帰ってきたばかりであり、この修理の際にこうしたコントロール機器が埋め込まれていた可能性は大いにある。
●ダイアナたちの車には、運転手が咄嗟にブレーキをかけたり目前のコンクリート柱を避けようとしてハンドルを切った形跡が全く無く、完全に正面からコンクリート柱に衝突している。
●事故の際、助手席のボディガードだけがシートベルトを着けていて助かった。
車は大破したが、この番組が全く同じ速度と同じ年式の車種を使って、厳密に行った衝突実験によっても同じ結果となった。
車の大破自体は完全に設計的なもので、衝突の際、車の前方と後方が衝撃を吸収して徹底的に潰れ、同時にエンジンがストンと下に落ち、乗客を衝撃から護る構造になっていた。
実際にこの仕組みによってボディガード氏は助かったので、もしもダイアナが律義にシートベルトを装着していたら、生命を取り留めて生き永らえていたのかも知れない。
( 尤もその場合には、後述する怪しげな救急車の中で、ダイアナ諸共、あるいはダイアナのお腹の中の胎児だけが何らかの方法で謀殺されるという、別の可能性もあっただろうが… )
●ダイアナたちの車がトンネルに入った直後に、通常のフラッシュ光とはケタ違いの強烈な閃光がトンネル内から洩れた。 ( たまたまその瞬間にトンネルの側に居た目撃者の証言 )
●事故現場に遅れてやってきて何も決定的な写真を撮ることのできなかったパパラッチの一人が、ダイアナを乗せた救急車の後をついていくと、救急車は病院に急行するのではなく、驚くほどノロノロと走行し、しまいには停車してしまった。結局病院に着いたのは、事故発生から2時間 ( 4時間? ) も後だった。
[ ★★★これがそのまま事実なら、この救急車は予め事故予定現場近くに張り付けてあった恐らく偽物で、本物の救急車が一般人からの通報を受けて現場に到着する前に、一早く現場に駆け付け、重体のダイアナを収容して、“ダイアナの死亡が絶対に確実になるまでは病院に運び込まない”…という意図があったものと思える。同時にドディの確実な死の実現や、運転手の体内への残存アルコールの仕込みなどという工作も、この時点で行われた可能性が高い。
だがちょっと不思議なのは、この時点ではまだ他のパパラッチたちもダイアナがまだ生きている ( 死んではいない ) ことを知っている訳で、それなのに、この証言を行ったパパラッチ ( 氏名は非開示 ) 以外には誰も、この重体のダイアナを乗せた救急車の後を追って、この救急車の奇妙な挙動を目撃していなかったということである。むろん大スクープ写真をモノにしたパパラッチたちは我先にタブロイド紙などへの売り込み合戦を開始した筈だから、遅れて現場に到着して、救急車の走り出す瞬間にたまたま出合ったこのパパラッチ本人でもない限り、救急車の動向に“一抹のスクープの望みをかけて”注目するなどという可能性は無かったとも考えられるが。 ]
●ダイアナたちの車が動き出す直前に動き出し、トンネル内で閃光を発して事故原因を作り出したと見られる白いフィアットが存在した。
●その白いフィアット・ウノの車輛はその後発見され、パパラッチの一人の所有車と判明するも、その持主は焼死体で発見された。
・……………………………………………………………………………………
ダイアナ暗殺説 更に後の追加情報
ソーラーテンプルというテンプル騎士団系 ( テンプル騎士団そのものではない ) のカルト集団のヒットマンがダイアナやグレース・ケリーの暗殺に関わっていたという話が、突如出てきた。
当該教団のディ・マンブロ教祖の死により、この教団は無くなったと言われているものの、実際にはまだ存在している。
この教団はかつて信者の集団自殺 ( 殺害 ) という事件を起こしている。
ダイアナ暗殺のMI6の手先として、この教団が50万ドルを貰って「実行犯」として動いた可能性があるという。
この教団の教祖の助手だったギー ( 仮名 ) はこの 50万ドルのお金を運んだと証言している。
イギリスのTVプロデューサーのディビッド・コーエン氏は、ダイアナ暗殺には「ピンの頭ほどの遠隔爆破カプセルに入ったVXガスが使われた」と主張する。
だが無論この人物がテレビ朝日の取材班をミスリードする為の工作員だという可能性もある。
ハードディスクを盗まれた例の白いフィアットのパパラッチ;ジェームス・アンダンソン氏は、実はMI6の工作員でこの村の近くの牧場で焼身自殺をした…ということになっている。
発見された時には既に骨だけになっていたが、頭には銃弾を撃ち込まれていた形跡があった。
この近くの集落にはテンプル騎士団の赤い十字の紋章が至る所に描かれている。
この近隣の南フランスのル・バロウ村には、夏になるとチャールズ皇太子が避暑に来るという。
・……………………………………………………………………………………
( 以上、テレビ朝日2003.12.27.放送の「ビートたけしのこんなはずでは !! シンデレラは消された!? …疑惑の事故死 !! ダイアナ元皇太子妃 7年目の真実」及び、同 2004 年に放送のその続編の内容の集約。)
( 疑問符 ) ( 2002.5.22. )
「崩壊時のWTCに見られた一つの明白な異常性」
by うつぎ・れい
元より昨年の 9.11テロでの WTC ( 貿易センタービル ) のあの崩落の様子が、もし現実ではなくディザスター ( またはパニック ) 映画の一場面であったら、恐らく誰もがあの不自然な崩壊の仕方を見て "余りにもふざけた表現" と感じてしまったろう。
実際、あの情景は極めて非現実的だったから、多分パロディかコメディ映画でもなければ許されなかったとさえ思う。しかし無論あれは映画なんかではなく現実だったから、たぶん誰もが、自分の見たものを何とか頭の中で合理的に説明しようとした筈である。筆者もそうだった。そして多くの人が ( 筆者と同様 ) 上層階ブロックの重みと落下の衝撃で下層階が次々潰されていったと理解したろう。
だが、数カ月間そう思い込んでいた後で突然、「一体何故あのビル ( 特に北棟 ) の上層階ブロックはまるで削岩機のように強靱だったのか?」…という全く当然な疑問が筆者の頭に浮かんだのである。
9.11テロにおいて、旅客機に突入されて炎上した崩壊直前のWTCビル ( 特に北棟 ) の上層階部分内部は、広範な火災によってその構造体の強度が著しく損なわれていた可能性が高い ( もしそうでなければ崩落それ自体が始まらない ) 。
他方それより下の階では ( 火は上に向かって拡がるために ) 火災はまだそれほど拡がっていなかった可能性が高い。
従って構造物としての強度は ( 少なくともこの時点では ) 上層階部分より下層階部分の方が高いことになる。
ところが上層階ブロック全体が落下を始めた時、まだ火の回っていない ( 従って構造的強度の損なわれていない ) 下の階が、落下して来る上層階ブロックの重量と衝撃に耐えられずに次々に破砕して潰れていくにも拘わらず、上方から下層階を砕いていく上層階ブロックの下端部は ( 無論はっきりとは見えなかったが ) 殆ど破砕せず、まるで全体が鋼鉄かダイヤモンド製の破砕機の刃先であるかのように強靱に下層階を次々噛み砕くようにして地上近くまで崩落していったと考えるしか無かった。 ( どうしてそう考えるしか無かったかは以下に説明する。)
これは明らかに、見掛け上から我々が瞬間的に受けた印象と、崩壊の実態が全く異なるという事を意味している。
これはつまり、我々が学校で習った作用・反作用の法則に明らかに反していたのである。もしも上から落下する上層階ブロックの重量と衝撃によって下層階の上端が次々に破砕されていったのであれば、上層階ブロックの下端もほぼ同じかそれ以上の速度で ( 火災で構造的な強度が損なわれていたのなら当然そうなる ) 上に向かって次々破砕していかなければ不自然なのである。
ところが少なくとも北棟では、旅客機はビルのかなり上端近くに突入していたから、上層階ブロックの裾の部分が崩れゆく下層階の上端ともし同じ割合で破砕していけば、元々のビルの高さの1/2まで崩落する以前に、上層階ブロックのほぼ全体が ( 裾から破砕し尽くされて ) 消滅してしまう筈なのだ。
実際にはそうはならずに上層階ブロックのシルエットがほぼ元の形を保ったまま、地上近くまで沈んでいったようにしか見えなかった。従って ( 少なくとも ) 北棟の上層階ブロックの形が元のWTCの高さの1/2の位置で完全に消えて無くならなかったという事は ( 言い換えれば北棟が元の1/2の高さで残らずに、地上近くまで完全に崩落したという事は ) 、先に指摘した通り、上層階ブロックは下層階に比較して非対称に強靱だったという事になる。
南棟の崩落の瞬間の映像の印象も北棟とほぼ同じなのであるが、残念ながら筆者は南棟の上層階ブロックが地上近くまで裾部分がさほど破砕されずにいたという明確な証拠を示す事ができない。南棟では突入された位置がほぼ元々の高さの半分くらいの高さだったので、上層階ブロックが下層階部分と同じ割合で境界部分を破砕し合いながら落下したとしても、理論上は上層階ブロックが完全に擦り減って無くなってしまう前に、何とか地上近くまでビル全体が崩落し尽くす理論的可能性は多少残っているかも知れないからだ。 ( 多分、実際にはありえないが… )
だが北棟から導きだされた先の結論は物理的には当然納得できない。これは例えば玉子を2つ用意して、1つを下に置いてもう1つをその上に落とした場合、壊れるのはしばしば上から落とした方だという実際の経験にも反する。 ( 読者も是非自分でやってみると良い。但し生玉子でやると後が厄介だから茹で玉子でやった方が無難である。)
落下する上層階ブロックと下層階の衝突によって生じる衝撃は、ぶつかる方の端とぶつかられる方の端に等しくかかる以上、上から落ちてくる上層階が殆ど無傷で ( 強度のほぼ等しい ) 下層階を次々噛み砕くように潰して、ダルマ落としのダルマみたいに下まで落ちていくなんていう事は、物理的にまず起こる筈が無いのである。
もし本当に上層階が下層階に衝撃的に落下したのなら、少なくとも下層階を潰したのと同じだけ上層階の下端部が潰れていき、双方が潰れる過程で落下の衝撃は或る程度まで吸収されてしまう筈である ( 自動車が衝突時に潰れることでショックを吸収するのと同じ理屈である ) 。
だから双方が或るレベルまで同じように上下に向かって崩壊したところで、落下の衝撃と残っている上層階全体のブロックとしての重量は ( それ以上の破壊を引き続き起こす為には ) もはや十分で無くなり、ちょうど下層階の上に帽子が載ったような状態で ( 下層階は元々その上の全体を支えるだけの強度を持っており、相当量の破片が下に落下して荷重は軽減され、火災もまだそこまでは拡がっていないのだから ) 崩壊が止まるか、途中で上層階部分がバランスを崩して地上に転げ落ちるかだろう。
…にも拘わらず実際には、あのように異常な完全崩落が双つのタワーで全く同じように起こった。という事は、あの崩落が上層階部分の落下の衝撃によるものなどでは決してない事を、物理学が間違いなく証明していることになる。
では一体あの崩落は何だったのだろう ?
既にWTCの崩落の仕方の奇妙さについては別の疑惑が幾つか提出されており、それが参考になる。但し筆者の知る限り、アメリカと日本のマスコミは殆どこうした見方を報じていない。現在のところ、基本的には次のような指摘である。
1 ) 最初にビル中心部に完璧な形で突入され、突入階全体に火災が拡がって30分も燃え続けていた北棟がまだ崩落せずに持ち堪えている時に、北棟より18分も遅れてビルの片側にやや斜め外側に向けて不完全に突入され ( 突入機の燃料の半分がビルの外側に飛び出してしまった為に ) 、まだ完全に火の回っていなかった筈の南棟が ( 何故か先に鉄骨が溶けたという理屈になるが ) 早々と不自然に崩落してしまった。
( これについては、北棟よりかなり下に突入された為に上層階部分の重さに早く耐えきれなくなったという説明はある。だがビルの右角近くに突入されて最初にその部分の鉄骨が大きく破壊され、集中的な火災で溶けて北棟より重い上層階ブロックの重量にその部分が耐え切れなくなったのだとすると、先ずは南棟の上層階ブロック全体が大きく右側に傾く筈であろう。)
2 ) WTCのツインタワーが崩落する以前に、その足元の低層のビルで最初の ( 恐らく複数の ) 爆発が起きていた。ビルはその爆発で崩壊してコンクリートの破片の白い煙が舞い上がった。それは決してWTCの崩落に巻き込まれて倒壊したものではなかった。
こうした疑惑に対して「恐らく最初から大量の爆発物が、周到にWTCの下層階に仕掛けられていた」という興味深い意見が既に提出されている。 ( F Dan、F Springmayer )
こうした目新しい意見には反論も多いだろう。しかし、もし仮にこの爆発物併用説を受け入れれば、いまここで指摘した「物理的に全く説明のつかない」あの極めて異常な崩落の様子に実に簡単に説明がついてしまう事に注意しなければならない。
つまり、もし旅客機の突入以前にWTCの両棟の下層階 ( の至る所 ) に予め多数の爆薬が仕掛けられていて、それが計画的に上から順に次々爆破され、上層階部分は単に下部の崩壊によって足場を失って、見掛け上、下層階全体をまるで圧し潰していくが如くに落下していっただけなのだとしたら、地上に叩きつけられる直前まで上層階の下端部分には何の損傷も生じない。恐らくこれは物理的に可能な唯一の説明だろう。
WTCの崩落が飛行機の突入に因る偶然でも必然でもなく、計画的な爆薬に因るものであるという意見は、恐らく正しいと考えられる。
以上