2015年5月13日 記
ZAK ZAURUS 氏の「火星考古学」動画でのフィルタリング分析には果たして妥当性が有るのか?
既に元写真からJPEG化されて公開されてる画像を、フィルター加工することで得られる結果から可能な主張の限界は、いったい何処にあるか? ( YouTube での 火星考古学 動画はこちら )
JPEG等の圧縮再生画像は、( 元々の写真が如何なる波長帯域で撮影されていたにせよ ) 可視光の範囲で再現されてる画像であって、その画像そのものからの可視光外波長は含んでない。
( よって、その画像を表示してるコンピュータのモニター画面に、赤外線センサーや赤外線カメラを向けて赤外線を計る…等の恣意的で常軌を逸した勘違い分析については、最初から一切除外して論じる事にする。 無論 ZAK ZAURUS 氏がそんな事をやってる …という意味では全然ない。 )
するとそうした画像から色やコントラストや境界に注目してフィルター加工する場合、その加工対象は可視光の波長域内か黒色であるし、その範囲内に全部が納まるだろう。
その時、例えばカラーフィルター加工をすると一体何が起きるだろう?
誰でもが知ってるいちばん簡単な例は 3 D 映画を見る時の赤と青の眼鏡や、赤い色で印刷されてる参考書の答を隠して勉強する時の、あの赤い下敷きの効果であろう。
赤いフィルムを通して見れば赤い文字は読めない …というアレだ。
つまりフィルター加工とは、そこに有る全体の内から特定の一つ ( 或いは幾つか ) の特徴を持つものを除外して、残りのものだけを見る …という処理である。
このような処理を色々と複雑に組み合わせると、全体を漠然と見ていたのでは見えないものを炙り出すことが出来たり、或いは意図的に何か見せたいものだけを強調して見せることが出来る。
だから、フィルター加工を使って何かを主張する場合は、それがどういうフィルター加工をどういう手順で掛けてみた結果なのかを 「 明示 」 しておくことが、その結果を科学研究として提示する者の義務であり、また良心でもある…ということになる。
( そうでなければ、他の研究者がその結果を確認すべく、追試する事が出来ないからである。 )
こうした手順や中身を公開しないでの 「 フィルター処理加工 」 の結果が、一体どんなものに成り得るか?…について注意を促す為に、少しだけ書いておこう。
例えばあの色々な色彩を持つ 「 玉虫 」 の写真を撮ったとしよう。
その写真をパソコンに取り込んで、玉虫の羽根の 「 輝く緑色 」 のみを指定して、フィルタリング処理を施したとする。
すると玉虫の綺麗な羽根の緑色部分の大半が消えて抜け落ち、その姿は輝く緑色以外の色だけの、縦方向にスダレ状の羽根を持った見窄らしい昆虫の姿にと変わってしまう。
気を付けるべきは、フィルタリング加工によって写真の 「 玉虫の羽根 」 その他 ( 例えは NASA の火星表面写真など ) が全然別の代物のように違って見えたとしても、それでその実体が変わったワケでも、ソレが玉虫の羽根の本当の正体だったというワケでもないことだ。
つまり玉虫の羽根やその他は、その処理によって実体を失ったりはしていない、…ということである。
( 無論そんなことは当たり前なのだが、このような極く身近な例でそれを確認しておかないと、「 フィルタリング処理 」 というような専門用語によって惑わされ、ウッカリと勘違いを起こしてしまう人が結構沢山いたりするのである。 )
つまりフィルタリング処理によって炙り出される何らかの特徴が其処に有る…のは ( そのフィルタリング処理自体が適切であれば ) 事実であるにしても、それが写真画像に対するカラーフィルタリングであれば 「 その表面色にそうした何らかの特徴がある 」 …とは確かに言えても、それ以上のことを言えるワケでは全然ないし、またその画像のフィルタリング加工の結果が 「 紛れもなくその被写体の実体構造を表している 」 などとも、到底言えないのである。
こうした基本的な事を一切無視しての、しかも当のフィルタリング処理の仕方や手順をちゃんと説明しようともせず、一切公開しないままでの「火星考古学」動画の主張は、凡そ科学的な研究では有り得ず、その結論を真実と認めろ…と言う方が一般的には無理であり、無茶苦茶である。
( そうしたものは、概ね新興宗教の教祖の主張の仕方と同じである、…と言っておく。 )
この文章は、主張が面白いからと簡単にその信者になってしまう人たちへの、解毒剤として書いたものである。
追記
尚、ZAK ZAURUS 氏は自身の 「 手法を決して公開しないフィルタリング処理 」 の正しいことの例として、コメント欄での質問者への回答内で 「 実際わたしは地球のある場所の地下に航空写真だけで遺跡を発見しています 」 とも豪語している。
( だが、 「 この世界には悪人が多いので、迂闊に発表してそうした悪人に考古学者より先に其処を盗掘されてしまうのを自分は防がなければならないので、自分はその場所もフィルタリングの手法も一切公開できない 」 と、まさしく読む者が笑い出してしまいそうな内容のコメントが、その後に続いているのである。 )
確かに、人工衛星などから撮影した地表写真の分析によって、砂漠や密林に埋もれていた古代遺跡の痕跡らしき特徴が見出され、後の探検でその場所から本当にそうした遺構が見付かった …という話は、既に他の事例でも有るだろう。
が、それを 「 発見 」 と呼べるのは、普通、実際に現地踏査でそれが事実 「 遺跡 」 だったとちゃんと確認された後の話である。
そうした痕跡らしきものをご本人はまだ、画像のフィルタリング処理の結果として何か有りそう…というだけの段階で、その現場をまだ誰も ( ご本人も ) 踏査 ・発掘して確かめてもいないのに、それを 「 発見してます 」 とまで言えてしまうのは、「 発見 」 というものの一般通念、つまりその公正な発見方法の開示、踏査 ・発掘を経ての発見の立証 …という客観的なクロスチェック全く無しでの 「 考古学的発見 」 の主観的公言 …と言わざるを得ないのではないだろうか?
まあ、そういうご仁は世に多々居られるものの、自分の主張の論理的土台についてさえ何も開示しようとしないままでは、あまりにも客観性を無視し過ぎている …と言っておくしかない。
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