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アニマル・コミュニケーター企画 関連情報など

written by ミネルバ企画 うつぎ・れい( 宇津木 令 )    連絡先はこちら


 徳間書店 書籍編集部 石井 様

                    2005.10.6. ミネルバ企画 うつぎ・れい より


( アイディア ) ( 2005.7.8. 記 )
ワールド・アニマル・コミュニケーター・シリーズ」企画

 できれば全部抑えて「ワールド・アニマル・コミュニケーター・シリーズ」として順次刊行
 ( …は無理ですかねぇ )


( 情報 ) ( 2005.6.18. 記 )
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I can talk to animals ( BBC ) のあの女性アニマルコミュニケーターを見付けた!
 Kathleen A. ("Kat") Berard Kathleen A. Berard Kathleen Berard
http://www.katberard.com/
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 NTV エ 03-6215-1111 ( 視聴者センター )6215-4444
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 2005.6.9.放送分の「志村動物園」で Joyce Leak という animal communicator が登場している。
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この件の関連項目と思われるもの
 宮崎駿の「風の谷のナウシカ」、ホメロスの「イリアッド」のナウシカー、日本書記の虫愛ずる姫、手塚治虫の「ブッダ」のタッタ、「ドリトル先生」、バロウズの「ターザン」、ソロモン王の伝説の指輪、聖フランシスコ( 何とサンフランシスコの語源だ! )、タカラの出したバウリンガル・ニャウリンガル、コンラート・ローレンツの著作としての「ソロモンの指輪」「ヒト、犬に会う」、ルパート・シェルドレイクの一連の著作、ココ・シャネルのネコとの会話、作家の庄司薫とピアニストの中村宏子の使うネコ語、ナミビアの野生少女ティッピ、アヴェロンの野生児、インドの狼少女2人、等々


( 情報 ) ( 2005.6.24. 記 )

野生の動物たちと話せる少女;ティッピ・ドゥグレについての覚え書き


Tippi Degr'e;
 彼女が、他の animal communicator と決定的に違うのは、相手がそこいらにいる安全なペットではなく、全くの野生、それもナミビアの野生の象やワニや黒豹の単体だということである。

 彼女は1997.7.1.当時6〜7歳だから現在14 〜 15歳だが、現在では皆古い話ばかりである。

 翻訳本を2冊出した小学館の担当編集者の話では、一旦パリに住んだ Tippi がホームシックにかかり、再びアフリカに戻って2冊目が出版された後、 Degr'e 一家は経済的な理由から結局そのままアフリカには留まれなくなり、パリに戻って定住し、Tippi はパリの学校に通うようになった。
 だが、Degr'e 一家と翻訳者水品修氏との連絡は 2003 年以降取れなくなり、現況は分からない。
 …ということは小学館との繋がりも現在は切れているワケで、しかもテレビの「あの人は今…」的な番組の絶好の題材ではある。

 ならば現在の Tippi を、松島トモ子( 猛獣に食べられかけたことのある )に取材させるというのは結構イイ企画である。
 それをテレビの企画として「志村動物園」などにぶつけて予算を取り、放映直前にテレビ番組とタイアップでその取材本を出す…という企画は、十分に成り立つだろう。
 但し余りにも一寸興味本位に過ぎる…ナ。

 しかしあれだけの映像ネタを、世界のドキュメンタリー番組や出版社に独占的に売ることができ、しかも Tippi の不思議な能力は動物行動学者やアニマル・コミュニケータや世界中の一般の動物好きたちの関心をも十分に喚起した筈なのに、いったい何だって一家はお金に困ったりしたのか?
 …追ってみる価値は十分にありそうである。( この後の分析でこの謎はほぼ解けてしまった )

▼ 以下引用 start ---------------------------------------------------------▼

          [ 紀伊国屋書店のHPのブックレビューより ]

野生のティッピ―動物と話す少女 ロベール,シルヴィ・ドゥグレ,アラン 著 水品 修 訳
[ 原書名:TIPPI OF AFRICA〈Robert, Sylvie, Degr'e, Alain〉 ] 
ISBN:4093560714 [ B6判 ] NDC分類:936 販売価;\1,785( 税込 ) ( 本体価:\1,700 )
245p 19cm( B6 ) 小学館 (1997.7.1出版)

ティッピは、ナミビア生まれの最初のフランス人だ。
私たちはこの広大なアフリカの地平線を、ティッピとともに分かちあうのだ。
彼女は動物たちとふれあいながら、世界でもっとも美しい風景の中で大きくなっていくだろう。
アフリカに移り住んだ家族の、愛と自由に溢れる驚愕のノンフィクション。

第1章 象と会話するティッピ
第2章 運命的な出会い
第3章 ブッシュはどこに?
第4章 ミーアキャットが待っている
第5章 ミーアキャット・ピープル
第6章 女の子ならティッピ
第7章 ティッピ、早く出ておいで!
第8章 お尻のスタンプで国境通過
第9章 アブー、私のお兄ちゃん
第10章 パパが飛ぶ!パパは鳥さん!
第11章 ワニさんが、うれしがっている
第12章 クモは耳に巣を張るの?
第13章 世界でいちばん強いヒョウ
第14章 ブッシュマンの火を囲んで

 南アフリカの砂漠で生まれ、ゾウやヒョウなどの動物や先住民を友として育つブロンドの少女ティッピ。アフリカへ移り住んだフランス人の両親が、ティッピの成長を見守りながら大自然への限りなき愛を綴る。

 映像作家として独立を目指すものの、なかなか成功しないアランと、宝石店カルティエ本社の広報という、パリでも女性たちの憧れの的の職業についていたシルヴィは、パリの生活にきっぱりと別れを告げ、南アフリカの大自然のなかに移り住みます。数年にわたるミーアキャットの研究で、世界的に有名になった二人は、アフリカ・ナミビアの大地で子どもを産んで育てる決心をします。 愛娘ティッピは、苛酷な自然のなかでものびのびと育っていきます。彼女の初めての友達は、体重5トンもあるアフリカゾウのアブー。大きな足をよじのぼるティッピの、頭の上をとびまわるハエを、アブーは、鼻で追い払います。ヒョウも、ティッピの身ぶりひとつでついてきます。その姿は、動物たちとあきらかにコミュニケーションしているものです。
 現在6歳のティッピと両親の暮らしぶりは、物質文明に慣らされたわれわれに、自然と人間の関係を原点にかえって考えさせてくれます。また、両親が交互に綴っていく共著のスタイルが、男女の視点の違いを浮き彫りにしていることも大きな魅力です。6月15日放送のテレビ朝日「ザ・スーパーサンデー」の特集も大反響』を」呼んでいます。

▲ 以上引用 End ---------------------------------------------------------▲

本質的な注意点
 テイッピの能力はアニマル・サイキック…ではない可能性がある。つまりティッピが子供ゆえに色々な動物のボディ・サインに敏感に適応しているだけ…という可能性である。

 だが、そう仮定してしまうと、全く説明の付かない問題が別にあることが判る。

 相手の動物の出しているサインを彼女がもし読み取れるのだとしても、成獣の豹などの動物にとっては、本来ティッピはちょうど手頃な獲物である筈なのだ。
 だから、彼らのその認識を抑え込むような信号( ボディ・サイン )を、彼女自身が何か出せているのでない限り、ティッピが簡単に彼らの懐に入れる筈はない…ということである。

 “自分が服を着ずに裸でいれば相手の動物が怖がらないで受け入れてくれる”とティッピは確か説明していたように記憶しているが、他の原住民の子供たちだってそれは同じだろうが、彼らはティッピと同じように安全だというワケではないだろう。
 しかも相手の動物にとっては、服を着てない人間の方が、着てるのより食べ易いに決まってる。

 それに“裸”なのは他の動物の幼体だって同じだが、彼らはちょっとでも親から離れている時にそれらの猛獣たちに出合えば、簡単にその餌にされてしまう筈である。

 更に象や豹といった全く種類の違う動物たちに、共通のボディ・サインがあるとは考えにくいし、それが殆ど同じものであったとしても( 例えば犬とネコはそっくりのボディ・サインを幾つか持っているが )種類の違う動物間では、互いに相手をそのボディ・サインの対象と見做していないためにか、相手のボディ・サインを全く理解することができない…というのが一般的である。

 但し上記は成体間でのことなので、それが理解不能になるのはむしろ、種の文化としてそうなのだとも考えられる。
 何故なら、十分に幼い動物の子供たちが、その天敵である動物の子供たちと、親たちの見ていないところで出会った場合、暫くの間そのまま一緒に戯れて交歓する…というような奇妙な現象は、実際に時々あるからである。
 まだ子供だから相手が敵だと分かっていないからだ…というのは極く普通の説明だが、それはとりもなおさず異種間の断絶がコミュニケーションの問題ではなく、完全に文化の問題だと云ってるのと同じことである。
 従って少なくともその時期には、異種の動物間( それも天敵の間柄 )といえども、個体間のコミュニケーションは或る程度までは成り立ちうる…ことの証明があるという事になる。

 上記と関連するが、このことから次のようにも考えられる。

 人間の側がペットなどの動物に対して出す音声や身振りによるサインを、一般に動物の側は或る程度まで解しているとは思われるのに、人間の側は( 大抵はオトナになってから動物と接している為に )動物の出すサインの意味がそれほど判っているというワケではない。
 …ということから見ると、ひとつの可能性として( ペットの動物たちが通常そうであるように )もし人間の子供を動物の間に最初から居させたら、人間の子供だって動物たちの出すボディ・サインを簡単に解せるようになる*…かも知れないということである。

 つまりこの意味で、ティッピはその極端な例( 周り中の全ての動物たちのボディ・サインを解するという意味で特別な例 )なのに過ぎない?…のかも知れないのである。

 ティッピがしばしば比喩的に準えられるターザンは、元々アヴェロンの野生児の発見から着想を得たバロウズの創作だが、実際のアヴェロンの野生児の末路は悲惨で、結局彼は学者の研究材料になり得ただけで、ターザンのように人間社会に戻れたというワケでもなかったし、映画「グレイストーク」のターザンのように人間社会を捨てて再び野生の世界へと戻って行ったワケでもない。

 だから、生まれた瞬間から両親の作る最も緩い( 但し高度に文明化された )人間社会の一部と、色々な野生動物の世界の両方に同時に居て、多数の動物種の間で云わばマルチ・リンガルに育ったテイッピこそは、架空のターザンの物語を遥かに超えて、今後人類と動物間の掛け橋となれるような画期的な動物学者になる…という大きな可能性がある…かも知れないのである。

 だがティッピが、もしあのままナミビアの地に留まり続けていたとすれば、( 両親が一緒に居るから、アヴェロンの野生児のようになる心配はないだろうが )人間の文明社会には極めて馴染みにくい、特異な人間になってしまったのに違いないだろう。
 何しろ象やワニといった動物たち以外、ティッピには殆ど友達がいなかったのだ…。
 ティッピは動物たちとのコミュニケーションには幾ら熟達していても、パリの同世代の人間の子供たちとの普通のコミュニケーションでは、全くの落ちこぼれになる可能性が高かったのである。

 人間の家庭で育ったペットが自分自身を人間だと思い込むという現象とほぼ同様なことが、逆に人間にだって起こり得るのは恐らく間違いない。

 だから本当に経済的理由だったかどうかは分からないが、ティッピの両親が彼女をパリに連れて行って、何が何でもティッピをまだ十分小さい内に( つまりまだ幾らでも適応ができる内に )彼女自身の今後の人間としての人生がどうなるかを真剣に考えて( 興味本位ではなしに )、人間社会へと連れ戻してしまった…。
 …というのがもし事の真相だったとしても、それは元々人間である筈のティッピの親の行動としては、全く正しかったのに違いない。

 ティッピはどうあっても先ず人間としてちゃんと生きていけるようにならなければ、単なる見せ物か、両親の実験材料に過ぎなかった…ということになってしまいかねなかったからだ。

 かくしてティッピは現在パリに居る!…というワケなのだろう。

 周囲が「ティッピはあのまま動物と一緒に暮らし続けるべきだった」…などと呑ん気に無責任な感想を言ってて良いような状況や問題では、恐らく全然なかった筈である。

 それは、感受性の強いティッピが、仮に一時的に傷ついたとしても…であろう。

 ただもう一つの問題は、彼女がまるで何でもないかのように実現していた、あれほど多くの種類の野生動物たちとの( 殆ど前代未聞の )コミュニケーションの取り方を、果たして今でも明確に記憶したままで居るのかどうかということである。
 彼女がそれを幼児期のぼんやりとした記憶としてしか覚えていない…というようなことになってないことを、ひたすら願うばかりである。

 何故なら元SPEEDの上原多香子にしても、小さい時には隣家の飼いイヌと一緒に犬小屋に入り込んで、イヌの餌であるスパゲティをイヌと分けあって食べていたという記憶があるのに、自分がその時どうやってイヌとコミュニケーションを取っていたかの記憶はない…と言うのだから。

 極く幼児期に尋かれれば、まだ覚えていて答えることが出来るという“自分が母親の体内に居た時の記憶”を、私たちは或る時期を過ぎると全く忘れてしまって何も答えられない…という例のように、こうした幼児期の体験というものは、明確な記憶としてそれがそのまま残り続けるという保証が何処にもないのである。

 ティッピの場合は恐らく、その野生動物たちとの驚異の交歓の様子を記録した映像が、相当量残されている筈なので、彼女自身がそれを完全に忘れてしまおう…という心理にでもならない限りは、それを思い出す為の材料や手掛りは極めて沢山あるということになる。
 何しろ父親は映像作家なのだし、両親揃って動物学の造詣が深いのだ。

 私自身は、ティッピや「幼児期の子供一般」の他の動物たちとの親和性には、本質的にサイキックな現象や能力が関わっていると考えている。
「となりのトトロ」のサツキやメイの物語を一々引き合いに出すまでもなく、幼児期にサイキックな体験を普通にしていたと言い出す人たちの数は、決して少なくない。

 動物たちが人間より遥かにそうした能力を日常的に保持し続けているという可能性は、尚さら高いから、ティッピや感受性の高い幼児期の子供たちの一部が、自分ではそれと気付かずにそうした能力を極く普通に発揮して、他の動物たちと簡単にコミュニケーションを確立してしまえた…ということは十分にあるだろうと思うのである。

 取り敢えずは以上である。
・……………………………………………………………………………………
 注*;アヴェロンの野生児の例があった! 考えてみるとティッピもアヴェロンの野生児も共にフランス人だ。フランス人って野生の動物と同化し易いのだろうか? そうかも知れない!
 グレイストークのクリストファー・ランバートだって、えらく役にハマっていたけど彼の本名はクリストファー・ランベールで元々フランス人なんだし…って、お前、それコジツケだろうっ?
・……………………………………………………………………………………
↓ 翻訳者の水品修氏…の友人のペンションの連絡先( 多分水品修氏への連絡先を知っている )
TEL&FAX 0551-36-3826 E-mail;furo@kobuchisawa.gr.jp
ペンション風路から教えて貰った水品修氏のメアド → ;shukei@yhb.att.ne.jp


( 2005.7.5. 記 )
日本中の動物病院

 現在、日本で飼われているペットの数はイヌだけでも1,300万頭。

 2002年に6999軒だった筈の日本中の動物病院の数は、今や増えに増えておよそ3万軒。
 他にペットショップが約5000店。
 爬虫類専門のペットショップでさえ、中野だけで3店もある。
 更にトリマーなどのペット関連ショップさえある。

 従ってそういうところが1冊ずつは買いそうな内容の本を出したら、その一つ一つにたった1冊ずつ売るだけでも、実に3万冊以上の直販が可能?

 しかも動物病院( やペットショップやペット関連ショップ )は、動物好きな固定客を夫々相当数抱えているから、その待合室はその種の本の見本展示スペースとして最適であるし、待合室に本がおいてあるのは普通のことである。

 その本を手に取った飼い主たちが、例えそこでは注文できなかったとしても、同じ本を書店やアマゾン.com や明窓出版のサイトで注文して買うことはありうる。
 ( ↑ 今後はこの意味において本の裏表紙に、自社サイトのトップページ( ケータイサイト自動振分け型で自社直販ページや共同出版編集ページに直結するトップページ )のQRコードを印刷表示しておくことが一般化するだろう。 )

 従って1冊ずつ買ってもらった他に、そこは宣伝チャネルにもなりうる。

 そしてもしそれらの施設の経営者にもう少し意欲があれば、動物病院の待合室は明らかにこの種の本の販路としても使えるのではないか?

 利幅が50%で仕切りロットが5〜10冊なら、そうした新刊書が買切りで売れる可能性は高い。
 つまり全体のたった1割の動物病院に、僅かに5冊ずつ卸しただけでも、実に15000部が即実売で1,125万円の現金に化ける。

 1冊辺りの原価は初版3千部での500円としてでさえ、定価1500円なら半値750円の買い切りでも( 送料別途で )250円の利益になる。

 委託での販売と6ヶ月後の決済が常識の、書店ルート以外での新しい販路の開発が、今後の書籍販売に於いてどれ程重要かが、端的に分かる。

 しかも万一に備えてこうした販路を書店ルートに流す以前のテスト販売、先行販売として位置づけ、その後に( このテスト販売での売れ行きを見て )書店ルートでの改版発売というやり方だって出来るわけだ。
 インターネットで売行きが良かったから本にもして出す…という、最近良くあるパターンだって、実のところはこれと似たような事なのだから、そのようなやり方が出版業界で御法度だなどということは、( 実際の売れ行きが良ければ )最早通用しないだろう。


( アイディア ) ( 2005.7.8. 記 )
商品の制作過程のすべてに出来るだけ沢山の人々を巻き込んでそのシンパにしてしまう

 …という、舞台公演や映画制作での手法を汎ゆる面で応用すれば、本の出版制作には出来るだけ沢山の人々を巻き込んで、買い手( 読者 )と売り手( リアルアフィリエイト )にもしてしまうべきだ…ということになる。

 そして今回の場合、そのファンド出資者を売り手予定者でもある動物病院や、ペットショップや、トリマーや、ペットの飼主たち…といった人々に限定して募集すれば、彼らは同時に売り手であり買い手にまでなってくれる筈なのだ。

 だからこそファンドを立ててそこに出資させるということには、実に大きな意味がある。
 それは出版の考えうる最も初期から、その本( のシリーズ全体 )の「販売活動」&「販促活動」&「販路開拓」&「宣伝」そして何より「出版資金調達」までが全部同時に一気にやってしまえるからである。
 その過程で彼らを単なる出資者のままには置かずに、制作の各段階で意見を聞く…という形で参加させてしまうことにすれば( これは現在では、インターネットを使って会員コードでアクセス出来るページや掲示板、そしてブログやメールを使えば全く簡単にできるが実際に相手を訪ねるというのも有ってよいだろう )、自分が実際に少しでも関わった人々は強力な販路を形成してくれるに違いないのである。


( 2005.7.13. )
アマゾン・ランキングの数字の意味

 ●アマゾン・ランキング とは、そのタイトルの本のアマゾンでの「当日分の注文件数」についてのみの累計ランキングである…とのアマゾンからの正式回答。
 ●注文件数での累計なので、1件で100冊売れても1件、1冊の注文3件でも3件と出るので、実際に本がどれだけ売れたかの目安には、全然ならない…とのこと。
 ●従って発売から時間が経過したブーム本などのランクキングは、当然、急落してゆく。

 つまり「発売時期の異なる全体」としては殆ど全く意味のない、単なる数字上の“煽り”でしかない…というワケだ。
 このような数字を、アマゾンでの“全販売累積金額”に基づく本のタイトル毎の「売上順位」であると、勝手に誤解させられることの危険性が、どれ程大きいか。やれやれ…。



( アイディア ) ( 2005.7.10. 記 )
サイコメトリストの見た本当の恐竜の姿図鑑…発行企画
 これは出来るだけ安易にやるなら、日本国内で確かな化石に触( さわ )れる福井断層線( 福井県 )の発掘現場や、そのあたりの博物館などに渡りをつけて、そこにサイコメトリストと、ついでに客寄せと説得と日テレやマスメディアとのタイアップの為にTOKIOの国分太一( 彼は恐竜化石発見のちょっとした権威である )を巻き込んで連れてって、差し当たり可能な範囲でお茶を濁す…というのも一応は一つの方法ではある。
 ( 日テレをこの企画に巻き込むというのは、どちらにしても正解だろう )
 が、これは本来ちゃんと本格的にやるべき企画でもある。


 そこでもう少しまともにやろうとすると、恐竜化石の主要発掘現場は現在、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、中国ゴビ砂漠だから、勢い海外取材ということになる。だが予算が大変。そこで…
 元よりディノニクスやドロマエオサウルスなど、注目すべき重要な恐竜の化石の殆どはアメリカや中国に在るのだから、そこまで日本のサイコメトリストを連れて行って霊視させて絵を描き起こす云々よりは、企画の為に必要な一切をリモコンで現地の編集会社に任せて、適切なサイコメトリストと描き手をも現地で揃えさせ、その相手の各々と守秘義務契約を結ばせ、彼らにこちらから直接的に指示を与え、その結果を逐一インターネットで送らせて指示を与え直し、全体をこちらで纏めれば良い。…という事になる。

 尚、この新しい恐竜想像図との比較の為の、既存の想像図のイラストについては、もし使用料が高ければ模写で書き起こしても良いが、その方が高く付くかも知れない。


( アイディア ) ( 2005.7.10. 記 )
不在遠隔作業( リモコン綜合取材 )の理想形について
 つまりこうだ。出版企画段階から、一切の取材と資料集め等の実行作業を現地の編集会社などに任せ、現地語で情報を纏めさせ、それをインターネットで逐次日本に送らせてこちらで全取材データをチェックし、本の原稿として纏める。
 この作業を細かくストリングにして分散させておけば、個々の実行作業委託相手にはその企画の全体像は見えないから、企画それ自体を現地でそっくりパクられるという心配は減じる。
 だが、そのやり方は決して完全にはパクりを防止できないし、そういうことをする事で逆に、相手の実行作業時の熱意が大幅に減じるのは目に見えている。
 そこでもっとずっと有効な良い方法がある。

 当の現地の編集会社( というより要は“人”なので、その責任者 )に、本の完成時には最初からその現地での翻訳出版権を預けると確約する。そして現地出版社と交渉させ、その現地翻訳本の出版契約とその販路までを開いてもらう。
 そうすれば制作段階から関わっている為に熱も入る上、折角のネタを当の国で第1次的にパクられるという心配も先ず無くなる。

 この方法であればどんな画期的な企画アイディアであっても、核心の極く一部だけを秘密にしておく位の注意をするだけで、その企画を相手の取材実行編集会社に一任することが可能になる。
・……………………………………………………………………
 これは元々は「恐竜絶滅の謎を解く」中に使うべくサイコメトリストの霊視を元に起こした挿絵が必要だ…と考えている内に、それ自体が単独で本の企画として成立すると気付いたものである。


( アイディア ) ( 2005.6.2. 記 ) ( 実際にこれを考えたのはこの半年程前だが… )
書籍のカバーだけに人気アイドルや女優の写真を使うということ

 書籍のカバーだけに人気アイドルや女優の写真を、手に取って貰うべくアピールの為に( 雑誌のように )使うという手法…は未だ殆ど使われてはいない。
 ほぼ同様の意味での江口寿史のイラストでなら、この手法は既に。小室直樹の憲法解説書にさえも使われている。

 その他にむろん映画化・テレビドラマ化された原作本やノベライゼーションでは、帯には使われている。

 唯こうしたものはみんな当の本の関係者に限られており、その関係性に縛られているという意味において、全然ここに述べているものとは趣旨が違う。

 つまりこれは、そのような関係性一切無しに、雑誌が行なっているのと全く同じ理由と意味で、人気アイドルや女優の写真を( 場合によっては帯の代わりにカバーを2重にしてでも )使ってはどうか? いや使用すべきだ…ということの提案である。

 何れにせよ単行本が店頭に並ぶのは3ヶ月 〜 6ヶ月なのだから、その間に表紙に起用した人気アイドルや女優の人気が凋落することは余りあるというワケではない。
 単行本の寿命はそんなに短いワケではないといっても、その本の内容に一応は関連付けたイメージで写真を撮って貰って表紙にはそれを使えば良いのだから、少し時間が経っただけで逆効果になるというわけではない。例えば或る本の表紙が、その内容に合わせたイメージで撮った上戸彩の写真だったら、それだけで本を手に取る人の数が、そうでない時よりも遥かに増えるのは、ぜったいに間違いないのである。

 この手法をこれまで単行本が使って来なかった事こそが、むしろ不思議なのである。
 恐らくはそれを余りにも軽薄だと考える風潮が、単行本の編集サイドには未だにあるのだろう。

 恐らくハッキリと気付いてはいないかも知れないが、現在のY層と呼ばれる若者( 概ねは私自身が1982年生まれ以降…と定義している若者層と重なる )たちに主に受けている新しい小説の表紙の多くは、既にしばしば描き下ろしのアニメ絵になっている。
 団塊世代以上の読者層には、そうしたものが実は小説本なのだとは多分気付かないかも知れない。最近、幻冬舎刋の桜井亜美「ミラクル」という文庫本が著者のイメージモデルとして一定の美少女モデルを起用していて、既にこの手法に手を付けていることに気付かされた。

 だからそうした表紙カバーそのものに、雑誌の表紙と同様、今注目の瀬戸早妃や、まだ無名の沖倉はるなや松山まみ、( 或いはジャニーズ事務所のジュニアでさえも )が登場したとしても、デザインとしては別にそれほど驚くようなことではない。店頭で手に取って貰える確率はだが、それで大幅に増える。…だろう。

 実際に( これは本人自身だから上記には当たらないが )素人向け株式投資本の中で、若林史江Cの本が、店頭で手に取って貰える確率が極めて高いのも、この理由としか思えない。
 むろんテレビに多数出て知名度が高いということはあるだろうし、実際に手に取って読んでみて結局買って貰えるのは中身がそれなりにちゃんとしてる( 彼女は明らかに…子供たちならぬ、小金持ちたちの虎の子を、株式投資という奈落に誘い込む…“ハメルンの笛吹き”なのだが、なかなかシッカリはしているから )からなのだが、とにかく先ずは手に取って貰えなければ話にならない。
 書店の店員だって、表紙が手に取って貰えそうなら平置きにして並べる。
 その方が店頭が魅力的に見えるからだ。
 実際私自身その表紙のせいでついつい手に取って、読み始めてしまう雑誌や本は実に多い。
 若林史江の「株が好き!」もそうして手に取って、読んで、結局は買ってしまったのである。
 この効果は、確かに大きい。





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